村松友視「トニー谷、ざんす」(毎日新聞社)を読んだ。
戦後すぐに現れた芸人であり、”大スター”トニー谷についてのエッセイである。
永六輔やトニーの妻など、関係者の証言も多く載せられている。
トニー谷という存在は、日本の芸能史において特異な地位を占めている。
太平洋戦争終戦後の混乱期に現れた、日本人のアメリカ文化へのコンプレックスをカリカチュアした、いわば「植民地芸人」と呼ばれるような露悪的な芸風(トニー・イングリッシュと言われるカタコト英語)や、本人の態度(マスコミへの敵意、同業者への不遜な態度)もあり、その真実の姿は見えない。
本書においても、やはりその実像は見えないのである。
太平洋戦争中に何をしていたかは、やはり「謎」のままであるし、トニー自身の悪評を産んだ行動の理由自体もまだ不透明である。ただし唯一の手がかりとして、トニーの複雑な家庭環境、不幸があったことは間違いなさそうだ。
先日YouTubeで視聴した「ザ・エレクトリカル・パレーズ」という芸人のイケイケサークルについてのドキュメンタリーを見た際と同様のモヤモヤ感が残っている。「ザ・エレクトリカル・パレーズ」も非常に「謎」が多い動画なのだが、ここでトニー谷との類似性があるように思える。
「エレパレ」では、吉本芸人の卵たちのカースト上位のエリート軍団が、その情熱と裏腹に生まれた排他性や党派性により、逆にプロの芸人集団の中では”原罪”のようになってしまう皮肉な結果を産んでいる姿が描かれる。
トニー谷は、たった一人だが「エレパレ」であったように思える。
当然のことながら、その排他的・独善的な態度は、結果的に周囲からは徹底的に浮き上がっていった。その運命を最後まで引き受けていった。
そうした排他的な行動の原因として、芸人になる前の前半生での極めて「不幸な生い立ち」があったことが示唆される。本人がその過去を全く明らかにしなかったほどの。
そして「エレパレ」でも明示的には描かれていないが、こうしたイケイケメンバーの「不幸な生い立ち」、そしてその遅れてきたスポットライトを取り戻すために足掻く様が、残された「謎」として提示されている。
自己の生涯に対して幸福の収支決算を貪欲に追い求めること、それ自体は何ら非難されるべき行為ではないが、そこに乾いた焦りのようなものが随伴し、結果としてルサンチマンにまで増大してしまうケースもある。そうなると、周囲への極端な排他性を生み出すのであろうか。