斎藤邦雄「シベリア抑留兵よもやま話 極寒凍土を生きぬいた日本兵」(光人社NF文庫)を読んだ。以前、シベリア抑留の文章を書いた際にも読んでいたが、やはり人によって経験が異なるのか、この体験記からの引用はできなかった。
著者は元々絵の才能があり、終戦後は漫画家やテレビアニメの制作などをしている。本書は、この著者が陸軍に赤紙召集され、シベリアのラーゲリ(収容所)で約3年強制労働を強いられた記録である。
マンガタッチのイラストが添えられており、ユーモラスな雰囲気もあるが、実際の経験談は他のシベリア抑留体験と同様に過酷で、厳しい。
昭和20年10月にイルクーツク近くの「第12ラーゲリ」で、製塩工場に約1年8ヶ月従事し、その後、昭和22年5月にセルジャンカの「第13ラーゲリ」で石切り作業に1ヶ月従事、その後「第9ラーゲリ」で道路工事などに従事し、昭和23年8月に帰国となった。
著者が言うように、「ラーゲリ」によって環境が異なっており、「第12ラーゲリ」「第9ラーゲリ」では”比較的”労働環境が良く、「第13ラーゲリ」は過酷だったようだ(「第12ラーゲリ」の死者は2%に過ぎない)。こうした「運」の要素も、シベリア抑留者の運命を分ける結果となっている。
また絵を描くという「能力」が著者の身を助けている場面もある。上記のイラストにあるように、著者の「絵」の才能が、こうした環境下でも色々な面で生かされ、単なる労働力から区別され、環境を好転させる要因の一つとなっている。
本書でも、他の体験と同様、騙し討ちのようなシベリア移送、日本軍隊組織の温存、その後の崩壊、民主化運動と言った時系列エピソードがある。
そして、以下のような「シベリア病」と呼ばれる、人格の崩壊も語られる。
敗戦によって、シベリアあたりへ連行され、境遇が激変したラーゲリ暮らしがつづけば、どんな人でも人間が変わる。惚け老人のように、ラーゲリ内をうろつく人。考えこんでウツ病のような人。ロシヤ人を見れば、乞食のようにものをねだる人。生死をともにした戦友のパンを盗む者など……。変わりかたもいろいろであったが、これらの症状を称して私たちは「シベリア病」といった。
斎藤邦雄「シベリア抑留兵よもやま話 極寒凍土を生きぬいた日本兵」 p.104
こうした拘禁反応的な変化に耐えられなかったのは、インテリや将校たちであったようだ。むしろ生活者に近い、赤紙で召集された著者たちのような軍隊制度に馴染んでいないものの方が、その能力、生活力を生かしてたくましく生き残っており、むしろ人間としての「節度」を維持しているようである。
この差異は何なのであろうか。
著者が言うように、困難な局面では、学歴のあるインテリほど無節操に振る舞うということが、この事例のようにある種の「普遍性」を持つとすると、まさに教養や知識の存在価値さえが揺らいでくる。
ユーモラスな絵柄であるが、非常に重要な問題を提起しているのである。