池田晧「漂民の記録 極限下の人間ドラマ」(講談社現代新書)を読んだ。1969年出版であり、現在の講談社現代新書とは装丁がかなり異なっている。カバーもない。また現在はついていない「スピン」(栞紐)がついている。
サバイバルものの王道(?)、日本の海上遭難=漂流に関して整理されたもので、吉村昭「漂流」で知られている鳥島で20年間暮らして生還した”無人島長平”のエピソードや、1年5ヶ月かけて太平洋を横断してしまった”史上最長”とも言える「督乗丸」のエピソード、アリューシャン列島に漂流しロシア皇帝に謁見した大黒屋光太夫のエピソードなど、読み応えがある。
更に通常の漂流ものではあまりない、東南アジアへの漂着も描かれる。このケースでは、遭難船を現地民が略奪し、奴隷として使役され、場合によっては奴隷貿易の対象で売られてしまうといった過激なエピソードもある。そうした中でも、様々な工夫を凝らし鎖国中の日本に戻るエピソードもある(このあたりは当時の文献に引き摺られているのか、著者の目線が少々ポリティカル・コレクトネス的にまずい表現もある。これが再販できない理由であろうか)。
著者が冒頭に記載したように、鎖国前、16世紀から17世紀において日本人は船で世界を駆け巡っていた(朱印船貿易)という。航海技術も、西欧流の天体観測技術を持っていたという。しかし、鎖国体制が確立すると、最先端だった造船技術や航海技術は失われてしまう。
その一方で、江戸・大坂に物資が各地から集中するため、水運体制が必要になり、外洋を使う廻船が必要になる。しかし日本は黒潮と偏西風によって、容易に遠くへ流されてしまうという、漂流の宿命を持っているのであった。
大阪と江戸、松前から江戸の航路は波も風もともにきびしい外洋航路であり、そこには熊野灘、遠州灘、鹿島灘といったなうての難所があった。しかもこの外洋航路の海運が、内海航路向きの大和船で行われた。
池田晧「漂民の記録 極限下の人間ドラマ」(講談社現代新書) p.15
こうした遅れた技術(山見航法)の元で運悪く漂流をしてしまった場合、多くのケースで遭難者たちは「おみくじ」を頼りに”どちらへ向かうべきか”、”今どこにいるか”を頼る他がないという状況に陥る。
見えるものは四方海しかなく、今どこにいるかが全くわからない中で、「おみくじ」を頼りにデータを集め、戦略を練るという状況(そして生還した状態での漂流体験記では、意外に辻褄があってしまう)は、現代の我々にとって後進性とは言い切れない何かがあるように思える。