岡崎守恭「自民党秘史 過ぎ去りし政治家の面影」(講談社現代新書)を読んだ。著者は元日経の政治部長を勤めた政治記者であり、55年体制の頃の自民党の政治家たちの”エグい”エピソードを収録している(文中敬称略)。
田中角栄は別格として、ここで描かれる政治家たちは、私見であるが、3種類に分類できるように思える。
リーダーシップ型、孤高型、調整型である。
リーダーシップ型は、アクが強く自己主張が強いタイプであり、中曽根康弘、そしてその”ライバル”山中貞則、橋本龍太郎、原健三郎、宮澤喜一など。
孤高型とは、高い教養や苦労経験などをバックボーンに自己抑制が強いタイプであるが、えてして政治の世界ではスケープゴートとして”泥を被らされる”役割が多い。自己抑制が強いので、その場合でもことさらに自己弁護をしない、あるいは他人を道連れにしないため、結果的に失意で沈黙するようなケースが多そうである。宇野宗佑、藤波孝雄、加藤紘一など。
そして調整型とは、いわゆる寝技師でありフィクサーである。いわゆる党人派的な派閥のドンのようなタイプ。やはりここが長期に政権を維持してきた自民党の中でも人材が豊富に思える。田中六助、金丸信、小渕恵三、森喜朗、そして竹下登である。
調整型タイプは竹下がそう言っていたように”汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう”といった人に尽くすような、低姿勢な人格であるような印象がある。しかし、実際は必ずしもそうでないような印象もあった(関連記事:竹下登のズンドコ節は何かリズムがおかしい)。
本書でも、こうした調整型の政治家の代表格である竹下登と小渕恵三の”恨み”が述べられており、こうした政治家の「実力」というか”凄み”を感じさせる。
”怒らない政治家”として有名な竹下登、小渕恵三であるが、必ずしもそうではなく、心の奥底で深く”恨み”を蓄積するタイプであるとする。以下に引用してみる。
「人柄の小渕」は人口に膾炙している。
その気配りは師匠の竹下登氏譲りだと言われる。が、竹下氏も小渕恵三氏も何でも水に流し、すぐに人を許すという意味では「人柄」は必ずしもよくなかった。
むしろ深い恨みをずっと胸に秘めるタイプだった。
ただ怒りを決して表には出さない。声を荒げたり、人を面罵したりはしない。
竹下氏の場合、最大の怒りの表現はおしぼりを絞る格好をして、「あいつはキュッだな」とやることだった。(中略)、「一生、あいつは許さない」「生涯かけて成敗する」という意味なのである。
岡崎守恭「自民党秘史 過ぎ去りし政治家の面影」(講談社現代新書)p.73
軽い口調、ジェスチャーであるが、あの竹下から繰り出される「キュッ」は、逆に恐怖がある。どこまでも許さないような凄み、そして、怖さを感じるのである。
その竹下登が「キュッ」とした人物とは、具体的には誰か。
著者は、竹下内閣時代のリクルート事件に襲われていた際の平成元年予算案採決に自民党から欠席した河野洋平であるとする。
河野洋平は、自民党下野時代の自民党総裁は許されたが、政権に復帰した際に村山富市から総理を禅譲されることはできなかった。竹下登の意を汲んだ経世会の意向が河野総理を阻止したとされている。