パトリック・クェンティン「二人の妻を持つ男」(創元推理文庫)を読んだ。
いやあ、めちゃくちゃ面白かった。
ネタバレになりそうなので書きにくいのだが、読者には誰が真犯人かということ以外の「真実」が提示され、その真実を特徴のある(そしてそれぞれクセのある)登場人物たちが、各自の都合や他人との利害関係の中で、全く異なる「事実」に仕上げられ、主人公と一緒に翻弄させられる。
そしてそのきっかけは、ほんの僅かな偶然から始まるが、”強固な嘘で塗り固められた虚構の方が真実よりもリアリティがある”という逆説を「真実」を知る読者自身が突き付けられるのだ。
そのためには、個々人のキャラクタ造形とその関係性を作り込まなければいけない。作者(合作らしいが)の力量の凄さは、この関係性を強固に構築したことである。
いわば、各自が独自の生存戦略を持った社会的戦略ゲームのルールを作り込んでいるのである。そしてそれが同時に荒唐無稽でなく、リアリティおよび必然性を保っているのである。
そして最後まで、読者も、肝心の真犯人はわからない。
しかし、それがラストに向かって、次第に絞り込まれてくる。
行き詰まる戦略ゲームの進行と、全く思いもよらない結末。加えて登場人物の評価、印象すら、序盤と終盤で一気に転換させられるのである。
さらにいえば、結末で真犯人が判明したのちに、読者はもう一度この戦略ゲームを「真犯人の視点」から読み返すことができる。
そのとき、この小説のもつ文学的とすら思える、提示した「問題」のレベルの高さに驚かされる。大傑作であろう。