行きつけの古本屋に創元推理文庫のヴァン・ヴォークト作品が並んでおり、未読のものをいくつか入手することができた。100円均一であったが、その中でもちょっと高めの値段(といっても420円であるが)がついていたヴァン・ヴォークト「終点:大宇宙!」(翻訳:沼沢洽治)を読了した。
これもカバー装丁は「武器製造業者」同様、司修のものである。
原著の初版は1952年で、翻訳者による「訳者あとがき」では本書に収められた「作者のあとがき」の存在について言及されている。
(前略)「終点:大宇宙!」は数冊あるヴォークト短編集の中でも白眉と称すべき逸品揃いで、作者自身非常に愛着を感じていることは、珍しく「あとがき」を付して刊行していることからおわかりいただけよう。この「あとがき」自体、ヴォークトが自分のSF論(かなりひねった形であるが)を開陳に及んでいる点、資料としても貴重なものと思われる。 「訳者あとがき」p.290
引用終わり
ここに収められた短編は、どれもヴォークトによる過剰なまでの物語性の魅力に富んでいる。SFだけでなく、恐怖小説の系譜、推理小説の系譜にも連なる「謎」の呈示とそのゲーム戦略的処理(あくまで処理であって、解決ではないことに注意されたい)が豊富に盛り込まれ、読者を飽きさせない。
ヴォークトの小説は短編であっても、そこに込められている”材料”がそのサイズに対して豊富で、再読、三読に耐えうる。これは、別にわかりにくいというわけではない。
しかし、推理小説の読後感のような、一気に全ての謎が明快に説明されてスッキリ、というカタルシスはない。むしろ逆である。
異星人の侵略に対する1人の子供の戦いを描く「音」では、子供を導き訓練されたプログラムの存在や”音”については明快に描かれることはない。
記憶を失ったセールスマンがその記憶を取り戻すために時空を超えて冒険する「捜索」では、重要な役割で描かれる”無限に出るインク””無限に出る飲料”や、それを唯一壊すことのできる老人についての背景説明は積極的になされない。
こうした著者自身ですら消化しきれない(させない)伏線がそのまま呈示されることにより、メインストーリーの陰で進行する何か別の流れが存在しているような状態である。
読者としては、異国の狭い裏路地を歩んでいるような気分になる。再読の過程で、前回通り過ぎた分岐点に差し掛かり、別の細道の方を注意して眺める。はるか道の向こう側で”何かが起こっていそうな雰囲気”は確かに感じる。しかし目を凝らしてもよく見えないので、やはりモヤモヤ感じを持ちながら、元のメインストーリーとしての道を歩むことになる。
しかし、そうしたモヤモヤは決して作品の瑕疵ではない。むしろメインストーリーはそれ自体で十分なSFになっているのである。そこに更に加えて過剰な要素があり、いわばコップのふちから、面白さが溢れ出ている状態なのである。
センス・オブ・ワンダー的な要素は確かに希釈されてしまうが、これがまさしくヴォークトの個性なのであろう。