マイナーな(失礼)地元の資料館「町田市立自由民権資料館」の企画展「町田の民権家たち」展示を見てきた。
入場無料で、あまり期待はしていなかったが、なかなか面白い展示であった。
三多摩地区出身でもあり、小学校の授業などで地元の歴史学習として自由民権運動の情報はそこそこあったのだが、改めて明治初期の日本人の「熱気」を感じることができたのである。
明治維新後の、政治体制としての近代国家に変化、それと同期して経済システムとしては資本主義への変化が行われていく状況下で、社会変革のために当時の日本人は極めて熱い情熱で議論を闘わしている。
この展示でもあったように、建白書を作り、同志を集め結社・政党・メディアを作り、演説会を開き意見を表明する。そして、過激な場合によっては社会騒乱事件なども起こす。
時代の大きな構造変化に対する民衆のエネルギーの発現といえば、それまでなのだが、一応豊かになった現代の我々の中に存在する集団同調圧力とは異なり、一人一人が明確に「意見」を述べている。むしろこの時代の日本人の方がシャイではないように思える。
もちろんこうした人物たちが資本力のあった一部の比較的高い階層を中心としていたことも事実であろうが、それでもなお、現代の我々が実名で明示的に、同調圧力に屈せず意見を表明することに大きな抵抗があることを考えると、複雑な思いをもつ。
(おまけ)関連人物として北村透谷の展示もあり、古本界隈での掘出もの事件の代表例として有名な「楚囚之詩」の複製が展示されていた。
「楚囚之詩」は日本に4冊しかない、と言われていた希覯本(紀田順一郎「古書街を歩く」p.58)である。紀田によれば、1967年の古書即売会で80万円という値がついたという高価本でもある。
複製といってもこの提示物は、北村透谷が町田市の友人(八木虎之助)に謹呈したもので、表紙に北村透谷の自筆の「呈進」が記載されているというもの。展示は複製であろうが、自筆の追記があるのはまさしく原本が存在するのであろう。