先日読んだメルヴィル「白鯨」の重厚長大さに、いささか食あたり気味になっていたところで、続きとばかりに同じ作者の「幽霊船 他1編」(岩波文庫)を読んでみた。
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「幽霊船(原題:ベニート・セレーノ)」と「バートルビ ー」の2編が収められている。ところが、両編ともに、”陰鬱な交響楽”「白鯨」とは少し毛色が変っていて、意外と面白かったのである。
「白鯨」の発表は1851年。「幽霊船」は1855年、「バートルピー」は1853年と、いずれも「白鯨」の後に書かれたものであるが、解説にもあるように比較的通俗的なテイストになっている。
しかし”メルヴィル節”とも言うべき、陰鬱かつ雄大な描写は絶好調であり、ところどころ読んでいて目標をロストしそうになるが、「白鯨」ほどではない。
「幽霊船」
「幽霊船」は、現代であればホラー+ミステリというべきジャンルの小説であり、“幽霊船”なる遭難船とその乗組員たちとの遭遇というメインの謎が呈示され、読者は推理しながら読み進む。
伏線というか強烈なキャラクタが多く登場するので、なんとなく途中から最終的な構図は見えてくる。しかし、そこで謎解きの妙が薄れているのかというと、全くそんなことはない。
むしろ、読者は薄々と”まさかこんな怖すぎるオチじゃないよね・・・“という想像を膨らませつつ、物凄い緊張を強いられるのである。
最終的に、ある意味一番いや~な予想が当たってしまう。その後の謎解きの過程は淡々としている(実際の 裁判記録の羅列らしいので読みにくい)のだが、謎解きによるカタルシスよりも、その前の”謎が謎のままである状態”がものすごく怖いのである。
幽霊船が潮に流され、乗り移ってきた主人公が一人その船に取り残される状態もきつい(その割に主人公は終始楽観的で、読み手との認識の差異も際立った効果になっている)。
ホラーとして上質な小説である。
「バートルビー」
「バートルビー」はメルヴィルにしては読みやすく、また随所にギャグも交えた軽妙な文体(それでもしっかりしてはいるので、「白鯨」との比較の問題ではあるが)。
内容がこれまた現代性があり、カフカやベケットを思わせるような不条理小説なのである。
裁判所の書記として雇用された”バートルビー”なる学士が、雇用主である語り手(=読者の常識)の制御を超えつづけ、最後まで噛み合うことはない悲喜劇である。
他者を契約や権力により使役する行為に対して、バートルビーは、”I prefer not to〜”(ぼく、そうしないほうがいいのですが)という口癖に代表される、拒絶のようでいてそうではない、その消極的な意思によって、その権力行使の枠組み自体を無効化し続けていく。
他者からの命令を一切拒否しながら、その一方で「といってぼく、前にも言った通り、選り好みはしませんが」という会話に象徴されるように、全てを受け入れる姿勢自体を保ちつづけて、その不思議な立場と存在感を示し続ける。
雇用主である語り手(そして読者)は、自らの意思(常識)を悉く無効化され続けるという悪夢としか思えない光景が続く。しかし読者は、決して不快ではない。まさしく我々がいつも視る”夢”がそうであるように、その世界自体のロジックとしてはむしろバートルビーの方が正しいのではないか、とすら思わせる。
ラストシーンにおいて、更に切ないエピソードを付け加えて、物語は締めくくられる。
全体を通して合理的に理解可能なストーリーラインではないのだが、哀しさとユーモラスさが迫ってくる。
シンプルな話でありながら、色々な読み解き方ができる物語の豊饒さがあり、まさにカフカの読後感に近いものがある。非常に面白く、傑作と言って良いであろう。