【書評】谷川ニコ「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」15巻:加速するリア充路線に対して、原点回帰の可能性

 谷川ニコ「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」15巻を読む。高校3年生になり、ここ数巻のリア充の勢いは止まらない。

 ヤンキー勢から隠れオタクだけではなく、スクールカーストの最上層までが、黒木さんを太陽としてその中心を巡る惑星のような構造が鮮明になってきた。

 しかしそもそもは”ぼっち”のマンガだったはずで、日常系アニメのようなまったりになってしまうと、最初からの読者としては、ある種の違和感を感じる。

 ”日常系アニメ”とは言っても、本当に平凡で偏差値50の主人公では何も面白くない。日常系の主人公とは、暗示的に、その世界のルールから超越した価値を与えられているのであって、建前では”平凡な主人公の日常”であるが、実際には”超越的な主人公の非日常な日々”なのである。

 これは本音と建前のようなもので、言うのは野暮なのであるが、「わたモテ」がこのままのリア充路線で行くと、どこかで物語構造に綻びが生じる可能性があるのが心配である。

 そんな15巻であるが、「喪147 :モテないし一人で寄り道」では、そうした不安を黒木さん自身に語らせている。

別に欲しくて手に入れたものじゃないけど……

2年間のぼっち生活で手に入れた「一人でも寂しくない」という強さだが

ここ数ヶ月だけで無くしてしまいそうな気がするな……

「谷川ニコ「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」15巻 」

 主人公にそう語らせるほど、悩ましい問題なのである。

 ”ぼっちの強さ”が物語の魅力であるが、リア充路線で周囲のキャラとの相互作用が多くなると黒木さん自身の存在感のエネルギーが薄れ、空虚になってくるのである。

 ある意味、登場人物である黒木さんがメタ構造を語り始めたようなもので、これはこれで興味深いが、出口はあるのだろうか。気になる。

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