R.バックホート「目撃者の証言は信用できるか」(日経サイエンス社)を読んだ。ワンポイントサイエンスシリーズの1冊であり、平易な日本語で科学解説をしたシリーズである。
著者はニューヨーク州立大学で心理学の研究者。表題の通り、心理学的な観点から、”目撃証言”が状況証拠と同様に客観的証拠たりうるか、という点について否定的な視点から論じている。その理由として、人間の知覚、記憶といったものが能動的な行為であり、それが故にバイアスがかかりやすいとする。
例えば、端的に以下のように人間の知覚と記憶について述べている。
ここで人間の知覚と記憶について考えてみよう。コーネル大学のアルリック・ナイサーは次のように断言している。
「知覚と記憶は、いずれも複写過程ではない」
ことばを変えれば、知覚と記憶は、その人間の能力、背景、態度、動機、信条の全体と、環境および記憶が再現されるときの手つづきによって大きく影響される「一つの決断過程」である。つまり目撃者とは、テープレコーダーのように一方的に刺激を受けとめ記憶するだけではなく、もっと能動的に知覚し記憶する存在なのである。
R.バックホート「目撃者の証言は信用できるか」(日経サイエンス社) p.14-p.15
そうした「人間の能力、背景、態度、動機、信条の全体と、環境および記憶が再現されるときの手つづき」のいったバイアスによって、過去に目撃した内容が事実と相違するかについての心理学実験的な例を著者は紹介している。
・先入観による思い込みの例①:1930年代のハーバード大のブルーナーとポストマンによる研究で、トランプのカードを数秒見せ「スペードのエースは何枚あるか」と回答させる実験。”赤い”スペードのエースが混じっており、スペードのエースは黒い、という先入観から誤った回答をするというもの(p.25)
・先入観による思い込みの例②:ハーバード大のオルポートによる実験で、地下鉄車内で、ややデフォルメされた黒人および白人の二人の男が言い争うイラストを数秒見せる。「剃刀を持っていたのは誰か」という問いに、多くの回答は「黒人」であった。しかし実際に剃刀を持っていたのは「白人」であり、偏見によるバイアスがかかっていたとする(p.27)
・時間とともに変わる記憶:ハーバード大のオルポートによる実験で、不完全な「三角形」(ある一つの辺が途切れている)を見せる。30日後、3ヶ月後にその図形を思い出して描いてもらう。すると、時間が経過するほど完全な三角形を描く回答が多くなる、というもの。「人間は記憶をより論理にかなったものに「修正」しようとする傾向がある」(p.36)
・同調による改変:スワースモア・カレッジのアッシュが1950年代に実施した実験(アッシュの同調実験)。7人の実験者に2本の線を見せ「どちらが短いか」を問う。7人のうち6人は実はサクラで、1人が真の被験者である。6人はあえて間違ったほう、つまり長い方を「短い」と回答した結果、真の被験者もそれに引きずられて長い方を短い、と回答しやすくなるというもの(p.43)これがさらに上司と部下(被験者)のような権威があると更に同調は大きくなる、という例も紹介されている。
このような我々自身の実感としてもそうであるように、知覚・記憶はバイアスがかかりやすい。こうしたものがデマや風評被害などを引き起こす要因の一つとなっているともいえる。
また科学による不正行為においても同様の例が挙げられる。
例えば、統計的データに対して、本来あるべきでないパターンを先入観によって読み取ってしまう”テキサスの狙撃兵の誤謬”や”どこでも効果”などもある(関連記事:【次元の呪い】私が思う「かっこいい科学技術用語」、「響きが面白い科学技術用語」14選【オーマイゴッド粒子】)。
また、データの解釈にしても、そのコミュニティにおける”権威”により、バイアスがかかる例もある(参考記事:【書評】村松秀「論文捏造」-ベル研究所の世紀の大捏造事件と”発見”の栄誉の正統な帰属とは)。
こうした客観的なはずの自然科学的な現象の解釈ですらも、人間の知覚や権威が介入することにより、同様の心理的バイアスが存在するのである。
と言っておきながら、実は自分でも不安になっている。
この本自体ももっともらしく実験例を挙げているが、そもそもそれが事実なのか?
「科学者が著者としてクレジットされ、良く知られた出版された本」だから、その内容が信じているだけで、全くの「嘘」かもしれない。その位の仕掛けがあってもおかしくなさそうでもある(考えすぎかな)。
この記事を書くのも、この著者の「権威」によるバイアスがかかって、先入観的に無条件に信じて良いのかという疑問も抱き、完全ではないが、上記実例は別に存在を確認しておいた(だからと言ってそれでも正しいかと言われると厳しいが)。