緊急事態宣言の繰り返しは「茹でガエル」との戦いの様相になってきた:互酬性と囚人のジレンマ

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 いや〜まいった。

 前回の2回目の緊急事態宣言があり、テレワークだなんだとへとへとになり、解除でまたドタバタした挙句に、そして今回の3回目。

 ただし、防疫観点で感染者増加数の勾配を見ると、確かにそのトリガーがかかっているのは非常に理解できる。

 その反面、結局人間社会というのは多数の個人の集合であって、1対1の関係における命令と実行の関係とは、その「時定数」が異なる。

 だからこそ、”自粛”の効果は、数日遅れてやってくるし、”コロナ疲れ”の効果も、同様に数日遅れてやってくる。この時定数に対して、ニュースなどが報じる感染者数の速報値の情報伝達自体はリアルタイム性を持っている。時定数を持った”遅れてきた過去の行為に対する結果”に対する速報性だけがあるという状況になっているのである。

 文化人類学的にいう”互酬性”というか、結局人間心理として、我慢したならその結果が報酬として得られれば頑張れる。さらに報酬とはリアルタイムに欲しい。後から褒められても、忘れてしまうので効果は薄れるのである。そして、その報酬が遅れてやってくれば来るほど、その耐えた我慢に対して個人レベルでは納得がいかなくなる。やはり無形有形に報酬を返してほしい。でも、報酬を返す当事者も誰かわからない。みんな当事者で、誰から報酬を貰えば良いかわからない。でも、誰もが報酬を貰いたい立場と思っている。ただ過去の結果に対する悪い情報だけが問われるという負のループ。

 このあたりが、今の社会的ジレンマになっているように思える。

 その結果として、個人の行動にも”ブレ”が生じるわけで、どうして良いのかわからない、あるいは、ストレスをムダに貯めることになるのであろう。

 おそらく社会的に思いを一つにできれば良いのだが、今のままだとまさに「茹でガエル」の世界で、単純な我慢比べというか、囚人のジレンマ的に「自分だけ良ければ良い」戦略側に利得の雪崩を打つ方向になりそうで、少々不安である。

 そんなことを考えつつ、私も今まさに色々環境が変わりつつあり、非常に悩ましい状況にあるのである。 

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