例えば水泳を趣味にしていると、泳ぐことそのものの楽しみに加え、次第に泳ぎ方について興味が湧いてくる。
これは水泳に限らず、趣味一般に言える、方向性なのではないかと思う。
翻って、読書についてはどうか。
面白い本を読むことから、読書それ自体について語ることについても興味が出てくる。いわゆる読書論というジャンルなどがそれに該当する。
ただ流石に、”どうやって読むか”自体は対象になっていない(遠くない過去には、音読から黙読への移行があったし、識字率の問題もあったので、そうしたものもあった。現代であれば、さしずめ速読法とかがそれに該当するのかもしれない)。
私自身は、こうした「本について語る本」「読書について語る本」のジャンルがあまり好きではない。好きではない、というのは嘘なのだが、どうしても好きでない、と言いたくなってしまう。
本は所詮情報であって、と脳みそでは割り切って考えている。つまり、本というのは中身であって、本それ自体について語ることって実は少ないんじゃないのと言いたいのだが、ものすごく気になる。
英語の学習をしている際に、気分転換で”英語の学び方”とか”体験談”の方に夢中になって、本来やるべきことが全然できてない、みたいな後ろめたさがあるのかもしれない。
でも、こうしたジャンルの本については、時々どうしても読みたくなって何回も繰り返して読んでしまう。気持ちは嫌いなのだが、どうしても離れられない、やめられない、だめ、絶対という状態である。この状態は何か他にも例えられそうだが、不穏なので掘り下げるのはやめておく。
こうしたジャンルは小説のように筋があるわけでもなく、要するに単なるエッセイなのだが、時々反復して読みたくなってしまう誘惑に逃れられない。
本棚の手の届くエリアに置かれているものをざっと挙げると、こんな感じ。
・紀田順一郎『古書街を歩く』(新潮選書)
・紀田順一郎『書物との出会い』(玉川選書)
・紀田順一郎『現代読書の技術』(柏選書)
・荒俣宏『稀書自慢 紙の極楽』(中公文庫)
・呉智英『読書家の新技術』(朝日文庫)
・西牟田靖『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)
・井上ひさし『本の枕草紙』(文春文庫)
・・・要するに好きなんですな。