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【書評】東野治之『木簡が語る日本の古代』ー古代の乳製品”蘇”(そ)とは牛乳の湯葉ではないのではないか(追記あり)


 東野治之『木簡が語る日本の古代』(岩波新書)を読んでいて、日本の奈良時代に既に”牛乳及びその加工製品”があったことを知って、興味深く思った。

 牛乳自体は6世紀半ばに日本に渡来してきたようだ。

 その中で、蘇(そ)と呼ばれた加工品があり、朝廷へ地方からの納める租税品として収められたことが、木簡の荷札で明らかになっているらしい。

 著者は「乳製品を食べる古代人」という章で、文献にあった製法に基づいて蘇の再現を試みた記述がある。

 なお、蘇の製法は文献によってもまちまちで、この本では3種類がある。

 (1)牛乳を煮詰める方法 ー文献『延喜式』の記述

 (2)牛乳を弱火で煎じる。かき混ぜない。最後に乳皮を取り除くー文献『斉民要術』の記述

 (3)牛乳を桶に入れて半日搗き、分離したものを煎じて焦げた皮を除去するー文献『本草綱目』の記述

 再現実験では(1)(2)と(3)は出来上がりが異なったらしい。(1)(2)は今でいうコンデンスミルクであるが、(3)はクリームである。

 また、発酵したものは”酪”(らく)と呼び、蘇と区別されていたらしい。

 最近これを再現して商品化したものもあるらしい。

 例えば”古代チーズ”として商品化もされているようだ。
  例:http://www.asukamilk.com/so/

 蘇の製法として、基本的には牛乳を煮詰めて作ること自体は変わらないようだが、色々調べていくと、1点気になる点がある。

 それはwikipediaの”蘇”の記述であり、製法として

ーーー以下引用
ラムスデン現象によって牛乳に形成される膜を、箸や竹串などを使ってすくい取り、集めた物が蘇である(なお、同じ行程を豆乳で行った場合にできるのは湯葉[ゆば]である
ーーー引用終わり

とあり、要するに牛乳を加熱する際の皮膜が、蘇だと言い切っている。湯葉の牛乳バージョンが、蘇だというのである。

 しかし、上記の文献の製法(2)では、乳皮は取り除くとあり、実際に再現した際もそうした記述がある。

 つまり、真っ向から製法が違うのである。皮膜が蘇なのか、皮膜を除去したのが蘇なのか。どっちなのか。どちらかが正しくて、どちらかが間違っているとしか言いようがないが、wikipedia先生の断言も捨てがたい。

 私は牛乳が苦手で、すぐお腹を壊す。また、特にその加熱した際の皮膜が大嫌いで、子供の頃どうしても牛乳を温めることに抵抗があった。なので(しょうもないことだが)、その皮膜が蘇の本質なのかどうかは気になって仕方がない。

(2018年11月追記)

 その後Wikipediaも少し訂正が入っている。

 蘇はあくまで牛乳を煮詰めたもの、それとは別に牛乳の皮膜を集めたものとして発音が同じ”酥”というものがあり、これとの混乱があるのでは、という記述になっている。『延喜式』ではこの”蘇”と”酥”が区別されているようで、文献(細野明義、我国における牛乳と乳製品普及の系譜 中央酪農会議 )では、明確に違うものとして記載されている。

 上記文献から引用すると、

平安時代の 927 年に藤原時平が、 賈思勰の「斉民要術」という本を翻訳し、「延喜式」という本を書いた。この延喜式をみると、当時の乳製品がどういうものだったかが分かる。この本は国立国会図書館で見ることができる。下の図を見てもらうと分かるが、全乳を温めると乳皮(にゅうひ)ができ、その皮膜だけを集めたものが酥(そ)で、酥を煮つめると醍醐となる。醍醐とは、これ以上美味しい物がないという意味であ る。ここで良く間違えるのは、酥と蘇である。 蘇は牛乳を沸騰させ、12 時間くらい煮つめて、 乳固形分が凝縮されたものであり、酥とは全く違うものである。延喜式にはこれらが区別して書いてある。

 引用終わり(強調部は引用者)

 ある意味明確であって、納得できた。

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作成者: tankidesurvival

・男性 ・アラフィフ ・技術コンサルタント ・日本国内の出張が多い ・転職を経験している ・中島みゆきが好き ・古本屋が好き