給水塔が怖い。何のことかわからないであろうが、団地にある、あの給水塔の姿が怖いのである。
給水塔を見ていると、身がすくむというか、ものすごい不安な気持ちになる。
まるでこの世界が終わってしまったような終末感、取り返しのつかない絶望感に襲われるのだ。
何か病んでいるみたいな記述であるが、これがわかったのは最近である。ある種類の”給水塔”とその風景を見て以来、こうした根源的かつ生理的な恐怖感に襲われるのである。
巨大建造物が怖い、という人は他にもいるらしい。ダム、発電所、送電線、鉄塔などである。私はこれらには全く恐怖を感じない。むしろ巨大建造物は得意な方なのである。
前職はプラント系エンジニアであった。高さ10mクラスのプラントなどは当たり前であった。現地の施工時などには狭いキャットウォークや梯子などを使って(当然安全対策はする)、登ったりするのはむしろ得意だった。10mクラスのタンク内の幅1m以下の狭い空間によじ登って、故障がないか点検する際にも、皆嫌がる中、むしろ面白そうで志願してそこに入ったくらいなのである。
しかし、今回紹介する給水塔だけはちょっと違う。何かものすごい外観からオーラを感じてしまうのである。異世界に引きずり込まれるような、現実の確かさを揺さぶられそうな根源的な異物感を感じるのである。
そもそも給水塔は何のために存在するのか(そこから?)。
それは、団地のような高層階に対して静水圧ヘッドを与えることによって安定した給水能力を確保するためであろう。それは問題ない。
団地のような集合住宅の日常風景の中に、給水塔は自然に存在している。それは認める(ちなみに超高層ビルなんかはどうしているんだろう)。
かように理屈では理解している。その証拠に、実際、いわゆるよくある給水塔(下図)は、怖くないのである。
ただ内部はどうなっているのか、とか、モーメントが結構きつい形状なので、基礎をどのくらい打って転倒に備えているのだろうかなどは気になるが、普通の感情の範疇である。全く何ということもない。心はフラット、平穏な心境である。
ところが、怖いのはこんなコンクリ打ちっ放しで中間部分に凹みのある”とっくり型”という奴。
どうよ、この存在感!
4階建の団地と比較しても、なんかスケールが違いすぎる。日常の風景じゃないでしょこれ。異世界だよね。人類が滅亡した後の世界でしょ・・・(そろそろお薬の時間だ)。いやあ、怖い。ゾクゾクする。良くこんなもの団地にあって、住民は平和に暮らせるものだ(余計なお世話だ)。
よく見ると給水塔に窓があって、それらが目のように見えてくるし、何よりこの巨大さに圧倒され、不安感をそそられるのである。
これが夜で、”夜の給水塔”などと文字で想像しただけで、ああああ(泡を吹いて卒倒)。
こんな昭和30年代建築の給水塔が5つもある、多摩川住宅(東京都調布市)に行って写真を撮ってきた。
はっきり言って、精神的なプレッシャーはきつい。
しかし、自分の嫌な感情と向き合うのもまた一興(そうなの?)ということで、わざわざ調布からバスに乗って多摩川住宅へ行ってきたのである。天気は快晴だったので、尚更異世界感がすごい。5つある給水塔全てを写真に納めてきたので、ここで紹介する次第である。
まず一つ目(仮に①とする)。道路とのコントラストがきつい。この絵面も精神的にくる。
①に寄ってみた。車の小ささと給水塔の巨大さのコントラストが、心に突き刺さる。さらに遠くにもう一つの給水塔②が見えている。
給水塔①の入り口。とてもではないが、入る気などさらさら無い。
給水塔①を見上げて見た。近づいても怖さは変わらない。不気味な風貌だよなあ。
給水塔②に近づいていく。この距離でこの存在感。何かありそうな予感・・・。
広い公園の中に佇む給水塔②に近づいてきた。これまた怖い!
根元に木々を従えたかのような給水塔②の風貌。なんか宗教寺院みたいだ。
給水塔②を逆側から。団地を圧倒し、睥睨しているかのよう。怖いよ〜
比較的平和?な給水塔③
給水塔④に向かう。これもなかなかのきつい雰囲気である。
出た!窓が睨んでいる目のように見える。楳図かずおのマンガに出てきそうな風景。車が一撃で蹴散らされそうな給水塔④の上から目線である。
逆角度からの給水塔④。やはり怖い。
給水塔⑤である。スケール感が苦しい。
以上、給水塔マニアの聖地、多摩川住宅にある5つの給水塔を巡礼した。
やはり怖い。周りの建物などとサイズ感が不自然な感じを受けており、どうも異世界感が強いのである。内部が全くわからないのも恐怖感を高めている。
ちなみに写真を見返すと、休日の昼下がりだというのに人の姿が写り込んでいない。なんか、意味深だよね・・・。
ということで、恐怖感は全然解消されてはいないが、いい運動にはなった(強制終了)。
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