社内ニート、社内失業という言葉を聞くようになった。
wikipediaでは
社内ニートとは社員としてその企業に在籍しながら、十分な仕事も与えられず、机に座って終日暇をつぶしているものをいう。
と記載されている(要出典になっているが)。
結局会社で長期的に業務が与えられない、あるいは、無い状態が出現しているということだ。利益を追求する目的の会社に、何故そうした状態が発生するのだろうか?
ひとつの理由は、単純に要員に対する業務の量がアンバランスな状態(要員過剰)になっていることだ。固定費削減の意味では、経営者としては要員を削減するべきだが、別の理由によりできない状態(正規雇用の場合、労働者の地位が保護されている、など)によって起こるだろう。
また、本来はやるべき業務はあるのだが、そこに至るスキルを身につけさせる教育をすることができないほど他の社員が忙殺されているような場合。
この場合にはお互い不幸で、既存社員は業務がオーバーフローしており、それを救済するための人材採用であったはずだが、それを教育する時間すら無いということで、破綻の一歩手前のような状態であろう。いわば”詰んでいる”状態である。
仕事が無いという状態が定常化、あるいはその改善の見通しがない、というのは非常に不幸だ。リソースを適切に活用できていない経営の重大な怠慢と言える。
社内ニートを語る文脈として、リストラ部屋のような明確な経営の意思がある場合とは区別して語られることが多いのも特徴である。
過重労働とは異なる一種の経営側の労働サボタージュが、現代において発生している。
”ニート”という現象が、現代における各家庭の豊かさにより産み出されたものと同様に、会社においても同様に剰余の存在として現れているようだ。
ただしニートは親子関係のような極めて私的な関係性に起因するが、社内ニートは全くの公的な社会的関係性に起因する。従って同様の対策で解消できる課題ではないであろう。
労働問題は過重労働対策を軸に考えることに我々のような世代は考えてしまいがちだ。このような人材の在庫の方が過剰になっているような局面においては、どのような考え方をすべきであろうか。
近い将来に、会社員の副業がこれまで以上に認められる方向になると予想される。並行的な労働環境の中で流動性が上がり、この問題は少し労働者側にとって前進する方向になるのではないかと期待してはいる。
ただし次に利益相反行為という、従来の雇用関係ではあまり重要な課題として言及されてこなかった要素に直面しそうである。
その時、サラリーマンとフリーランスという対立軸も揺れ動くことになると思われる。