ビジネスシーンでは、”尊敬する偉人”であるとか、例え話として”偉人のエピソード”を語らなくてはいけない場面に良く遭遇する。
若い頃は、織田信長とか徳川家康などの超有名偉人や戦国武将、イチローなどのスポーツ選手を挙げることで何も問題ない。また、ビジネスパーソンだと、ジョブズであるとか、ゴーンなどを挙げることもある。最悪(?)「僕の尊敬するのは両親です」、だって良い訳だ。何でもありなのである。若いうちは。
しかし、だんだん年齢を重ねてくると、さすがにその答えじゃ格好が悪い、あるいは、他人との差別化を図れないのがいやだ、というスケベ根性が生まれてくる。それを聞いた周囲からも、あら博識なのね、と思われたくなってくる。こうした名誉欲も少しずつ膨らんでくる。
そこで、まず考えるのが、司馬遼太郎などの歴史小説を読んで、坂本龍馬、土方歳三、西郷隆盛、などの明治維新の偉人をあげることである。が、これは意外と歳を取ってくるとライバルが出てくるのが厄介だ。ライバルの中には筋金いりの歴史マニアもいるので、結構知識差が顕在化しやすい。こちらが付け焼き刃の場合、却って恥をかくリスクがある。
その次に考えるのが軍人であろう(本当か?)。司令官としては東郷平八郎、山本五十六、山口多聞、宮崎繁三郎、今村均、参謀であれば、秋山真之、堀栄三などであろうか。しかし、これも近年の戦略ブームで結構名前がポピュラーになりつつある。また多角的に見られる傾向があるので、評価も割れやすい。つまり、賢将として挙げたつもりが、愚将になって恥をかく可能性がある。
で、どうすればいいか。
仮にあるグループで、順番に尊敬する偉人を述べて行った場合に、先に言われない程度の無名度であって、なおかつ、知る人ぞ知る程度の知名度があるちょうどいい偉人、これが必要なのである。しかし相手に劣等感を与えてもいけない。これがあったか、なかなかいいねと相手にグッと思わせる絶妙な距離感を持ったチョイスが必要なのである(大変だなあ)。
それも時と場合があるのでTPOに分けて複数知っておきたい。
今回は江戸時代の参謀を中心にチョイスしてみた。ビジネスで言えば、課長クラスのマネージャが挙げると、上司がコイツできる……とグッとくるイメージである。
ただし、その人物に評価が定まっていないというリスクも未だあるので、その点も踏まえてアピールする必要もある。
①調所広郷(ずしょ ひろさと:1776-1849)
薩摩藩家老。薩摩藩は幕末において重要な役割を果たしたが、もともと財政状態は極めて悪く破綻寸前であった。500万両と言われる巨大な財政赤字を立て直し、幕末においてイニシアチブを持つだけの軍事力を準備する財源を作り出したのが、調所の功績である。そのためには、清濁あらゆる手段を使った(密貿易まで)。最終的には主君のお家騒動に巻き込まれ、失脚。更に密貿易の罪を被って自殺という生涯である。お家騒動では維新の立役者である西郷南州や大久保利通と逆の立場であったことから、評価は低い。しかしながら調所の財政改革が維新の原動力を作り出したとして再評価されている。
②村田清風(むらた せいふう:1783-1855)
長州藩家老。調所と同様、藩政改革、特に財政改革を成し遂げた。また、教育機関などの整備も行い人材育成にも力を入れた。薩摩藩と並び、維新のもう一つの雄である長州藩の軍事力、人材力の礎になったと評価されている。
③恩田民親(おんだ たみちか:1717-1762)
恩田木工(おんだ もく)とも。松代藩家老。窮乏していた財政に対し、何人もの人材が再建策を行なったものの、藩内の意思が統一できず何度も失敗して来た。恩田は、実行するにあたり、自らの身を質素倹約にすることを宣言、そして情報公開を行うことで、藩内の意思を財政再建に向けることに成功した。今でいうエンパワーメント組織を作るようなものであったと思われる。
④山田方谷(やまだ ほうこく:1805-1877)
備中松前藩藩校校長。藩政改革を行い、財政再建に成功する。藩政改革において、質素倹約を藩中に徹底させる必要があるが、そこにおいて山田方谷は自分の家計を第三者に見させ、オープン化した。情報公開と自己監査である。これにより領民に政策の本気度を知らしめた。松前藩は戊辰戦争で朝敵となってしまうが、ここでも様々な施策を領主で老中の板倉勝静を通じて領民の生き残りに腐心する。更に大政奉還の上奏文の起草者でもある。朝敵となってしまったが、大久保利通など明治維新の重臣が一目置いた優秀な学者であり、政治家である。
明治維新という大きなエポックメーキングではなく、それを準備した優秀な実務者という視点で評価された偉人をあげてみた。
能吏というなかれ、彼らは現代の経営的視点からみても、充分な先進性と根源性を持っている。
諸兄のチョイスの参考にされたい。