色々と科学あるいは技術関連の仕事や勉強をしていると、「この定理の響きが、かっこいい」とか「ものすごく真面目な内容なのに、ちょっと間抜けに聞こえる」用語があり、メモ帳に転記していたら、そこそこ貯まったので、ここで少し披露したい。
なお既にSFなどでよく知られている「事象の地平面(シュワルツシルト面)」のようなかっこいい用語や、「ラーメン構造」などどいう”擦られすぎている”用語は避け、あまり一般的に知られていないようなものを選択したつもりである。
次元の呪い
既にカッコいい。ルパン三世のエピソードみたいな響きであるが、これは数値解析用語である。数値解析におけるモデル空間の次元(例えば、平面なら2次元、空間なら3次元)が増えることに従って、その解析時間は幾何級数的に増加していく現象のことをいう。応用数学者リチャード・ベルマンによるネーミング。(参考:wikipediaのリンク「次元の呪い」)
病的な関数
れっきとした数学用語である。関数が病的とは?と疑問に思うが、直観から外れた異常な性質を持つような関数を指す。例えば、ワイエルシュトラス関数と呼ばれる「至る所で連続であるが至る所微分不可能な関数」があり、これはのちにフラクタルの概念として現れた、自己相似的(観測スケールを小さくしていっても同じ構造が現れる)な性質を持ち、どこまでいっても”接線”、導関数を定義できない。(参考:wikipediaのリンク「病的な関数」 「ワイエルシュトラス関数」)
アビリーンのパラドックス
これは響きがかっこいいと同時にその内容が面白い。社会心理学における集団行動の事例で「ある集団の意思決定において、個々人が誰も望んでいない決定を選択してしまう現象」を指す。命名者は、経営学者のジェリー・ハーヴェイ。アビリーンはアメリカの地名で、ハーヴェイによれば、”ある家族がアビリーンへの旅行をするが、その地は旅行に適しておらず誰も満足しなかった。そしてその提案者も含めて誰もそこへ行くことを望んでいなかった”というエピソードによるもの。(参考:wikipediaのリンク「アビリーンのパラドックス」)
ラザロ徴候
これは響きも良く、内容も厳粛である。脳死とされた患者が時々手や体を動かす現象をいう。自発的動作であるのか、反射的な動作であるのかまだ議論が尽きていないようだ。脳死はヒトの死か、という問題にも影響する現象である。時に、両腕を動かして祈るような動作があるという。ネーミングの「ラザロ」とは、新約聖書「ヨハネによる福音書」の11章でイエスによって死から甦らせたユダヤ人ラザロに因む。イエスはイエスを信じないユダヤ人群衆に半ば責められながらラザロの墓に行く。
(略)「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
新共同訳「ヨハネによる福音書」11.43-44
この奇跡によってユダヤ人たちはイエスを信じ、名声が高まるが、それを快く思わない人々たちが、イエスを捕縛・逮捕する契機のひとつとして描かれる。(参考:wikipediaのリンク「ラザロ徴候」 「ラザロ」)
ポンデロモーティブ力
これは単純に面白い響きで選んだ。ミスタードーナツの製品のような響きであるが、物理学用語。一様でない強度の振動する電磁場に置かれた荷電粒子がうける力をいう。ちょっと具体的な例では、質量分析における四重極イオントラップでのイオンがうける力として現れる。(参考:wikipediaのリンク「ポンデロモーティブ力」 「四重極イオントラップ」)
ローレンツ・ローレンツの式
これも単純に映画「ニューヨーク・ニューヨーク」みたいな響きを感じて選んだもの。屈折率と分極率の関係式で、由来は発見者が二人の同性ローレンツ氏、ルードヴィヒ・ローレンツとヘンドリック・ローレンツによるものである。(参考:wikipediaのリンク「ローレンツ・ローレンツの式」)
パンケーキクラッシュ
これは用語というか慣用語に近く、建築関係でビルなどの積層物が構造破壊した場合に、例えば下層階(1F)が上層階から押し潰されて”パンケーキが膨れたように”層状破壊することを指す。のどかなスイーツを連想させる携帯アプリのゲームかな、と思いきや、内容は重いのである。(参考:wikipediaのリンク「パンケーキクラッシュ」)
シロキサン
「白木さん」ではない。ケイ素と酸素を骨格とした化合物を指す。高分子化合物であるシリコーンはシロキサン結合を持ち、半導体製造の現場では低分子シロキサンが半導体の微細回路の絶縁不良の原因になるとされ、忌避される。この手の書類を頻繁に書く場合には日本語入力ではシロキサンとして単語登録しないと毎回「白木さん」が候補に出てきてストレスが溜まる。(参考:wikipediaのリンク「シロキサン」 「シリコーン」)
どこでも効果
ドラえもんの道具のような響き。英語ではlook-elsewhere effectというらしい。しかし、物理学、特に素粒子物理実験の統計処理に関する用語である。データが極めて多い実験結果から有意な結果を導き出す際に「偶然によって起こった見かけ上の有意差」を事前に排除する必要があるというものである。(参考:wikipediaのリンク「どこでも効果」)
テキサスの狙撃兵の誤謬
これも統計学における用語で、由来は狙撃兵が何もない壁に向かって銃を乱射し、射撃後に壁に開いた穴の中から一番そこに集中した点を中心に”後から同心円を描き”、自分の射撃の腕前を過剰に見せた、とするジョークからきている。いわゆるランダムな点群から、何らかのパターンを読み取ってしまうという誤謬にも関連する(参考:wikipediaのリンク「テキサスの狙撃兵の誤謬」)
エデンの園配置
あるルールによって生成・消滅が定義されるセル・オートマトン(例えばライフゲームのような)の時間発展において、初期配置以外で生成されない配置をいう。旧約聖書「創世記」の「エデンの園」(最初の人類、アダムとイブだけがそこにいて、楽園を追放されてしまって二度とそこには戻れない」から由来する。(参考:wikipediaのリンク「エデンの園配置」)
ノーフリーランチ定理
フリーランチ=ただ飯である。要するに「ただ飯のような美味い話は無い」という意味である。SF作家ロバート・ハインラインの名作「月は無慈悲な夜の女王」において有名になったフレーズ(※)There ain’t no such thing as a free lunch.に由来する、組合せ最適化問題における用語。ある問題を解く場合に、あらゆる問題に汎用化されたアルゴリズムというものは存在せず、もしその汎用化されたアルゴリズムより性能の良いアルゴリズムがあったとしたら、それはその問題にのみ特化したから(他の問題では汎用以下の性能)であるということを示す。ある意味、情報処理における「エネルギー保存則」を示している。(参考:wikipediaのリンク「ノーフリーランチ定理」)※ただし、この文章自体は英語で「タダより高いものはない」を意味する慣用句でもある。
帆立貝定理
のどかな名前で、実際にもまさに「帆立貝の海中遊泳」を説明した流体力学の定理である。「低レイノルズ数においてニュートン流体中を遊泳するものは、時間反転しても非対称になるように変形しなければ推進できない」という内容。(参考:wikipediaのリンク「帆立貝定理」)
オーマイゴッド粒子
本編の最後を飾るのは、このようなふざけた名前だが、これもれっきとした物理学用語である。1991年に観測された超巨大な高エネルギー粒子に、観測者がその観測データに「Oh My God」とペンで記載したことから命名された。(参考:wikipediaのリンク「オーマイゴッド粒子」)