先日思い立って奥多摩町にある「日原鍾乳洞」へ車で行ってみた。自宅のある「東京」内の移動なのだが、道は狭いし遠いし山道だしで、偉い辺境感があった。
奥多摩駅から日原方向に向かう都道204号(日原鍾乳洞線)は、山道で狭く、途中で対向車とのすれ違いが厳しい場面が何度もある。それでも路線バスが走っているが、やはり交通整理のガイドさんつきで運行しているようだ。
そんな感じで約2時間かかって到着。道路沿いの駐車場に案内される。訪れた9月後半は人手は少なめであったが、駐車場が限られているので場合によっては結構な待ち時間を食らう可能性もありそうである。
徒歩で少々歩き、この看板から日原川に降りていくと受付があり、大人800円の入場料を払う。
由来の看板がある。
入口付近。電気はついており明るい。やはり冷気がありひんやりとしている。閉所恐怖症としては嫌な予感がするが、高さもあり空間としては広い。
内部にあった案内図。このような広大かつ長大な地下ルートがある。地名も、なんとも異空間な雰囲気を感じさせる。
所々にはこうしたポッカリとした空間があり、仏像などがおかれている。ここは「水琴窟」とあり、その先には「弘法大師学問所」と名付けられている。まさに修行の場のような雰囲気でなのである。
鍾乳洞の中に「川」もある。その名も「三途の川」。
ますます浄土感というか、はっきり言って”あの世”感が漂う。
さらに先に進むと逆に空間がどんどん広がってくる。
天井も高くなり、より広大な空間になってくる。ここはWebなどでも取り上げられる「あみだの原」付近のライトアップされた空間。これはインスタ映えもする。
階段を登り、「縁結び観音」に。大小の石が積み上げられている中に観音様が設置されている。
そして帰路は、昭和37年に発見された新洞ルート。
ここは極めてアップダウンが激しく狭いルートである。
ここにきて、鍾乳洞といえばというランドマーク、鍾乳石や石筍がみられる。金網越しであるが、「大天井」にあった石筍。
人が一人通れるくらいの狭さで、かつこのような急勾配でバテバテである。ここは閉所恐怖症的には結構クるものがあった。
そんな感じで約1km強の工程で地上に戻ってきた。
元々は修験道の聖地であり、まさに修行の場であったらしい。実際、奥多摩の人気もない山奥に、このような洞窟があり、その中に広大な空間があるというのは、当時の人々にとって”神秘”であったろう。
さらに鍾乳洞という特色もある。すなわち象徴的な意味では、生の世界と逆転した世界(いわゆる彼岸)となる。
内部の気温は11℃で、夏は寒く、冬は暖かい。マクロな時間意識である”季節”が逆転している。
また、つららのような鍾乳石と、その対になって下から上に成長する石筍のイメージは、これはそのまま”時間が逆行している”ようなイメージを与えたに違いない。
まさに彼岸と此岸であり、ここに修行する意味があったのであろう。
昔訪れた月山八号目の風景もそうだが、自然の奥にこうした天然の異空間があったことは、当時の人々にとっても心が踊らされただろうことは容易に想像できるし、現代の我々ですらも、心の深い奥底にある自然と共鳴する部分が微かに呼び起こされたような異世界経験であった。