議事録の作成権は、人事権も評価権も予算執行権もない無力な事務方に残された最後の権力である

 先日の記事(ビジネスで「ライフハック」を求めて彷徨う人々に、かけるアドバイスが無くて悩ましい)における、ライフハックについての具体的質問内容は、あの記事の文脈と直接関係ないので記載しなかった。

 実際には「議事録を速く作成するには、どんな裏技があるんですか」であった(記事内冒頭の○○には「議事録を速く作成すること」が入る)

 前記事では、その質問に至った”何かのスキルを得たいと思ったときに、まず実行して訓練するよりも先に、裏技を探す”というその基本姿勢について疑義を提示した。

 この記事では、その質問内容について別角度の疑義を提示したい。

 議事録作成・発行の持つ「権力」を、あまりに軽くみているのである。

 議事録を作成する権利は、ある意味権力を握っているに等しいのだ。しかしながら、どうも質問者のような人々からは「速やかに機械に置き換えるべき無価値な業務」と捉えられているようだ。

 会議での質疑及び決定事項・担当者が記載され、責任者の承認を得た議事録は、口頭での 「言った/言わない」を避けることのできる証跡であり、長い開発計画の中で、ややもすると最終ゴールを忘れがちな我々にとって重要な道しるべになるのである。 ”発行しても誰も読まない自己満足な業務”などでは決してないのである。

 議事録とは、組織内、組織間で色々な利害が絡み合い、1本道では進まない複雑な開発スキームを維持し、会議という「点」と「点」をつなげてゴールに向かう1本の「線」にするための重要なツールである。

 しかも、議事録は誰でも勝手に作成する訳にはいかない。その正統な作成者になるということは、アクションアイテムの取捨選択や担当者の設定などが裁量の範囲内で自由にできるということを意味する。

 あまり大きな声では言えないが、これは大きな権力の源泉であって、評価権も人事権も予算執行権もない無力な裏方である事務方が、唯一能動的に使える権力なのである。

 これによって、担当者への貸しも作れるし、責任者の発言を借りた業務指示もできる。

 もちろん言っていないことを記載する訳にはいかないが、発言の強弱やハイライトなど、 作成者の裁量で調整できる部分は非常に多い。話し言葉の文書化というのは意外にテクニックが必要で、話し言葉をそのまま記載すると、論理的につながっていなかったり、”あれ”、”それ”などの抽象的な指示語が多くて不明確なもので、後から補足をしないと意味が通らないため、補足が必須なのである。

 つまり、本質的な作業として、発言者の意図を正しく理解し論理的かつ簡潔な表現に変換する、というクリエイティブな行為がそこにはある。議事録作成を機械で代替すべきと主張する人々は、どうも音声を単に文字に変換して、そこから取捨選択するだけの行為、単なる儀式的なルーチンワークと解釈しているようだ。

 全く間違った認識である。

 確かに会議でイニシアチブを握っていたのは、その場で声が大きい人であるかもしれない。しかし、それはその会議の瞬間だけであり、現実には文字記録として永続的に残す議事録作成者の方が、よほどイニシアチブを握っているのである(下記記事参照)。

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 様々な見方があるようであるが、ソ連などの社会主義国家で「書記長」が最高権力者であったのは、一説には「”民主的な”会議の決定を、最終的に全体の公式決定として文書化するのは書記局であり、その文書の責任者である書記長が最高権力者になった」という主張もあり、私も事務方の立場における皮層感覚としてうなずける。

 人間の記憶は直ぐになくなる。「あの時の会議は何が決まったのか」「現在実行している行動は最終ゴールに正しく向かっているのか」といったことも、今この瞬間でも忘れたり、記憶の中に仕舞い込まれたままになってしまって、人間はすぐに見失う。共有文書化されないと人は直ぐに忘却してしまうものなのだ。

 よって、本質的に発散傾向を持つ組織的な開発体制を、ゴールの方向に常に修正する役目が必要になる。そのためにも、議事録を自力で作成することによって、議論の方向性を確認し、また、指揮官の意図を正しく把握することは事務方としては非常に意味のあることだと思っている。こうした海図を持っていない開発には間違いなく無駄が多く、犠牲を払うであろう。

 そうした重要な役目を、AIに代替だの、ライフハック術を探すだの、と低レベルな問題に還元されてしまい、私は混乱するばかりである。

 百歩譲って、いわゆるテープ起こし作業を機械化、自動化して、その後の文書に整える”付加価値の高い”作業に時間を費やしたい、という意図なのかもしれないが、これもズレていると思う。

 そもそも議事録作成でテープ起こしからスタートするのは、よほどのことで、一言一句話し言葉を起こす必要がある場合のみに限られる(そのような場合は滅多にない)。

 音源は、意図がわからなくなった場合のチェック用で、音源から議事録作成をスタートするのは愚策なのである。もっと言えば初心者向きというべきか。あくまで議事録とは文書なのであるから、その場で自ら書いたメモからスタートするのが正しい手段だと思う。そして、そのメモを基に論理を追いかけながら作成していく。自分の中で、会議を追体験し、理想のあるべき姿に再構築する作業でもある。

 特に、この音源の存在も曲者で、音源があることで安心してメモが疎かになってしまう。甘えができるのである。むしろ、音源を用意しないような状態で常時緊張した状態でメモを取るべきであろう。後は場数を踏んで訓練するしかないのである。

 といった回答を質問者には伝えたかったのだが、時代遅れの意見なのであろうか。

 確かに、こうして述べてきたことが、いわば「大企業病」の典型のような気もしている。潰しの効かないスキルといえば、その通りである。会議なんて、新時代のインフルエンサーにとっては無用の長物で、そのファシリテーターなど不要と考えるのも一定理解できる。

 しかし、ある程度の規模の組織で団体戦の効果を発揮することに特化していると言えばその通りである。ベンチャーや中小ではそもそもそんな役割自体が不要なのだから。まぁそれならそれで早く見切りをつけるしかない訳で、お互い睨み合いの様相から早期に脱却したいものなのである。

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ビジネスで「ライフハック」を求めて彷徨う人々に、かけるアドバイスが無くて悩ましい

 最近、組織の若いメンバーからの相談内容が変化してきた気がする。

 何か仕事上の悩みがあったとして、

 ○○を実行したら、こんな困難があって、そこをうまく解決するにはどうしたらいいですか?

 ではなく、

  ○○をうまくやるために、貴方が実践しているやり方を教えてください

という担当直入な言い振りなのである。

 一方、「○○をどれくらい実行してみたの?」聞くと、まだ実行は(ほとんど)していないことが多い。

 つまり、経験時間は非常に少ないのだが、危機感だけはMAXなのである。 やる前、あるいは、それほど経験を積んでいない段階にしては唐突感を感じる質問である。

 それを受けての私のアドバイスとして、そこで「実践による訓練あるのみ」なんて回答を返すと、明らかに不満顔である。

 そう、彼らはそんなことを聞きたいのではないのである。

 ○○を実行するために、自分は遠回りしている

 ○○を実行している貴方は、近道を知っている

 だからその近道を教えてください

と言う三段論法を言っているのだ。

 極端な例えであるが、

 エベレストに無酸素で登る方法を教えてください

 と言っておいて、

 本人は高尾山にロープウェーでしか登ったことがない、登山道具も買い揃えていない

 といった状況なのである。

 せめて登る意思くらいは欲しいのだが、本人は大真面目である。登ってみて時間ががかかったら何時までも成果が出なくて、自分の評価が落ちる、だからやる前に最初から聞くのである、という感じである。

 こちらは「近道なんてなくて、少しでも速度を上げるように場数を踏むしかない、自分もそうやって訓練したんだよ」という回答を返しても「そんなはずはない」と思っているのである。

 つまり「実はエベレスト無酸素登頂にはね、ヘリコプターに乗るという裏技があってね」 というライフハックのような回答が存在し、それを大真面目に探索している節があるのである。エベレストの例でもわかるように、実際にはそんな裏技自体が存在しないにも関わらずである。

 結局、その質問の背後には

 裏技を自分だけで秘匿して既得権益化しないで、もったいぶらずに教えてください

 という感情が潜んでいるようだ。

  ・・・そんなに信頼がないのであろうか。

 わかっていれば最初から教えるのである。

 そこまでケチではないつもりだし、 そもそも知っているかどうかでスキル差があるようなところで勝負はしていない(つもりだ)。

 むしろ無駄な時間は他人のそれであっても気分が悪いので、 知っているか知っていないかで何とかなるものは惜しみなく放出しているつもりなのである。 しかるに、この仕打ち。全く信用されていない。

 何なのであろうか。

  思い当たる節があるとすれば、このところの労働を巡る環境の変化であろうか。

 仕事の教育のやり方がシステマチックになり、「文書化できる体系化されたもの」のみが明示的な教育の範疇になりやすく、そうではない依然として暗黙的な非体系化された「スキル」が埋もれて伝承できなくなった結果、ある段階で個人の能力差として顕在化してしまっているのではないだろうか。

 取りこぼされた「スキル」を生得的に持っている”天然モノ”と、これからそれを意識的に獲得する必要のある”養殖モノ”との間には当然差ができる。そして”養殖モノ”としては、それを教えてもらっていないのだ。教えてもらっていないので、当然苦労する。でも周囲では、できている人もいる。不思議だ。何か裏技、テクニックがあるに違いない、というロジックである。

 いわば、装備すれば誰でもパラメータアップができる伝説の財宝があって、そのダンジョン攻略に注力しているようなものである。ダンジョン攻略という目的を計画に組み込めば、その期間は「何かをしている」訳で、計画上は立派に仕事をしているように見える。ただ、当然のことながら、そこに財宝は無いので、こちらからすると無駄な時間を費やして実行に移す時間を伸ばし、貴重な経験が積めるはずの正味の仕事をする時間の方を消費しているだけにしか見えないのだ。

 こうした「スキル」不足に起因する質問が、最近になって出てきた理由は何だろうか。

 前述した教育体系の明示化に伴う、そこから取りこぼされた「スキル」伝承の断絶があると思われる。

 20年くらい前までは、 言葉は悪いが、徒弟制度的なマインドで「背中を見て覚えろ」のような、アナクロニズムな世界がホワイトカラーの世界でも普通に存在した。

 労務管理の徹底や、そもそも徒弟制度が持つパワハラ的側面のクローズアップにより、それが次第になくなっていった結果、本来伝承すべきスキルが取りこぼされている、という構図ではなかろうか。

 では、暗黙的な「スキル」が、完全にオモテ化、明示化され、教育体系が完成しているのかというと、そうではないようだ。 こうした「スキル」に関連するであろうワードを思いつくままに挙げてみる。

 例えば

  • 交渉力
  • ファシリテーション力
  • 傾聴力
  • 質問力
  • ロジカル・シンキング
  • ナレッジ・マネジメント

 など、これらは既に体系化、講座化までされている。 しかし、それでもなお、取りこぼされている何かがありそうだ、というのが私の実感である。

 加えて、多くの企業で導入されている成果主義における「成果」とは、インプット(リソース)とアウトプット(結果の質と量)の関係から決まる。端的にはリソースである「時間」を少なくすることが、成果の評価にとって有効なのは間違いない。よって、できる限り「時間」を小さくすることが望ましい。学習する時間も、できる限り少なくする対象になるはずである。

 その結果として、ライフハックやTipsのような効率化を求めがちになり、それが業務遂行の全てであると理解してしまうのであろう。

 労務管理は徹底すべきであるし、徒弟制度が良いとは決して思わない。 意味のない無駄な”学習”時間に縛られる必要はないと心から思う。

 しかしながら、その結果として生まれてきたであろう、 こうしたライフハックを求めて彷徨う人々に、今更、かけるアドバイスがないのである。

 私自身すでに「黙って俺についてこい」「背中を見て覚えろ」というような発言は、この先誰にもしない覚悟を決めている。

 残念ながら、そんなことを言えない社会・時代になっているし、その意味を正しく理解できる後進もいないであろうから。

 「少子高齢化」「労働力人口の減少」を背景とした、「スマート社会」「匠のデジタル化」といった響きの良い言葉とは無関係に、製造現場ではこうした小さなディスコミニケーションが生まれつつある。

 色々な意味でまことに不幸なことである。

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慣れないバックオフィス業務で”何を悩んでいるかもわからなくなった”人は、本当は何を悩んでいるのか -AIによって「交渉」は無くなるか-

 現在の私の仕事は無理やり定義すれば「技術企画」と呼ばれるジャンルで、どちらかというと事務系・管理系の仕事に入ると思う。

 メーカーなので、そこで使われる用語やその中身は技術的であるが、実際に自分が技術開発をする訳ではない。

 会議のファシリテーションをしたり、アクションアイテム管理をしたり、要するに最終目標のために部門間交渉・折衝をする地味な裏方仕事である。結局、どこかにこうした裏方、汚れ役がいないと、組織とはなかなか回っていかないのである。

 こうしたバックオフィス組織は、その特殊性がゆえに、新卒の新入社員が配属されることは少なく、 ある程度キャリアを積んだ技術開発者が異動でこちらにやってくるケースが多い(私もその一人である)

 バリバリの技術開発者が、いきなり会議のファシリテーションをするわけで、結構戸惑う。

 そんな中、毎年1人は、その仕事の変化にうまく適応できず、悩む人がいる。というか、”何を悩んでいるかもわからなくなって仕事ができなくなる”ようなケースが多いのだ。

■悩みが伝わらない

 デッドロックにハマってしまった人は、もはや何を悩んでいるかすら、上手く表現できない。

 業務を見える化して、定型業務の効率化を図っても、何か芯を外しているようで、一向に本人の悩みは解消されない。マネジメントとしても、”大変そうなので、仕事を減らしたのに、ちっとも残業が減らない。本人は悩んでいるようだが、要領を得ない”といった状況になる。

 本人は”仕事がうまく回せない”という言い方をすることもある。これだけ聞くと、どこかに「今まで持っていないスキル」や「まだ知らない知識」があって、それを獲得し、知ることができれば、すぐに問題は解決できそうだ。そこで、いったん業務を減らし、研修やOJTなどをやらせてみる。

 しかし、問題は解消されない。

 情報が多すぎて選別できないのか、と、今度は情報をもっと制限してみる。 ルーチンワークに近くなってしまうが、それでも状況は変わらない。

 やはり自分ひとりで煮詰まっている。自分の中で仕事を停滞させてしまうのだ。

■仕事が回らない理由を掘り下げる

 ここで本人が訴える「仕事が回らない」とは、いったい何を訴えているのであろうか。

 内面的解釈をすると「つまらない仕事なので、やる気が起こらず、結果として処理が進まない」と聞こえる。納得感がないがゆえに、仕事を停滞させているのである。

 そのため、業務をナビしようが、サポートしようが、RPA化しようが、本人は何時までも「仕事を回せない」。

 なぜなら、その価値が自分の中で腹落ちしていないからである。 今やっている仕事は「つまらない」と思っているのである。

■「つまらない仕事」だから、やる気が起きない?

 ただ、そもそも論として、仕事とは、根源的には自分以外からの自分への強制であり、ある意味全て「つまらない」ともいえる。だからこそ対価として金銭と交換しているのである。

 つまらない仕事であっても、納得できるものと、そうでないものがあるということで、納得できない理由があるのであろう。

 では、本人は仕事に何が見いだせないがために、納得できないのか。

 ひとつの仮説は、自分都合でアウトプットを出せないのは嫌だ、ということではないか。

 希望として、自分都合でアウトプットを出し、そのまま受け取られ、高評価をもらいたい、ということである。

 確かにそれは楽しいであろう。ストレスはゼロである。

■自分都合の仕事は本当に”楽しい”か

  ただ、自分のアウトプットが、他人にとって何の役に立たなかったとしても、本当に”楽しい”と思えるのだろうか。それで彼の悩みは解決されるのであろうか。永遠に教育期間にいるようなものだ。

 もちろん、他人に評価されなくても自分じしんで納得できる仕事、というものもある。しかし、それですらも自分の中での評価軸があってこそであろう。

 面白いとか、つまらないといった基準ではなく、他人の役に立つか、そうでないか、という評価軸を持ち、仕事を判断すれば、どうなるか。

 つまり役に立つかどうかの評価基準=他人基準の尺度を持った上で判断するべきであろう。

■他人の役に立たない仕事だから、やる気が出ない

 したがって当初の

 「仕事が回らない」 →「つまらない仕事なので、やる気が起こらず、結果として処理が進まない」

 とは、こう言い換えられる。

 「仕事が回らない」 →「他人の役に立たない無意味な仕事なので、やる気が起こらず、結果として処理が進まない」

 この文章自体は、もっともらしい。

 問題は、当の本人が与えられた業務を「他人の役に立たない無意味な仕事」と考え、 その周りの人間はそう思っていない(だからこそやってもらいたい)ところに大きな認識のズレがある。

 なぜ「他人の役に立たない無意味な仕事」と考え「やりがいを見いだせない」のか。おそらく以前従事していた技術開発であれば、自分の業務は他人の役に立っていた、と考えていたのであろう。確かに技術開発は評価尺度がデジタル化されやすい。

 一方、会議のファシリテーションや、それにつながる部門間交渉などの間接的な事務仕事は、人間関係も発生してストレスもたまるし、いてもいなくても仕事が回るようにも見えて「役に立たない無意味な仕事」としか本人には思えないのである。

 なぜか。

 おそらく部門間交渉、折衝というものは、本来やるべきでないもの、ムダなもの、という認識があるからではないか。創造的な仕事でない、と認識しているのではないか。

■AIによって「交渉」は無くなる?

 確かにAIが進化していったら、あらゆるコンフリクトは事前に消滅され、こうした交渉ごともなくなりそうだ。AIのキーワードとして、最適化、などという言葉もある。

 しかし、そんな単純なものではないと私は思う(AI化はできるが、高度なレベルだと思っている)。

 数理モデルとしては、制約条件と数値指標を見える化し、その数値を最小化にするための最適化問題として設定できそうだ。

 しかし、実際への適用とすると、数理モデル自体が動的に変化する状況下での未知の因子を含む多変量解析になり、これはなかなか難しいのではないかと思う。要するに検討のフレーム自体に動的変化があるがゆえに、最適化問題としては極めて高度である。

 たとえるなら、ひとつのゲームのルールの下ではAIは人間を上回るが、ルール自体が動的に変化する、あるいはゲーム自体が動的に変化するような問題はAIにとってかなり難題ではなかろうか(それでも最終的には達成しそうだが)。

 その意味で、「交渉」とは非常に知的な創造的行為と考えるべきであろう。

■交渉は、押し付け合いではない

 もし、悩んでいる本人が、「交渉」とは単純なゲームである(=つまらない)と判断しているとすれば、 それは、交渉の実務をお互い自分だけの都合を押し付けるものであると理解しているからではないか。

 そこでは、他人とは自分に相手の都合を押しつける存在でしかない。

 要するに、お互いの都合の押しつけあいが交渉の本質だと理解しているのではないか。

 そのような認識に達してしまう理由は何であろうか。さらに掘り下げてみる。

 「自分と同じような他人がいる」という認識がない、「他人都合」に対する想像力がない、他人目線がない。自分目線しかない。ということであろう。 そうした人には、自分の基準と、自分と同じ基準を持つ他者とが、交渉の結果、折り合いをつけるという認識に達しないのである。

 繰り返すが、交渉とは都合の押しつけあいではない。 両者の言い分を正しく理解した上で、ある種の折り合い、落としどころをみつける創造的行為である。 矛盾をみつけ、その矛盾を乗り越える方法を探す。 その折り合いは、当初の矛盾点が内包されているが故に、止揚されたものとなるはずだ。

■その結果・・・・

  というようなことを、最近、何人かのメンバーの前でスピーチした。

 悩む彼らが「先輩」としての経験談を聞きたい、と言ってきたからである。

 どうやら、目的は、”議事録を速く作成できる速記術”のようなテクニカルなことを聞きたかったようで、 話が進むうちに「そんなことを聞きたいんじゃない」感が半端なく、 来年のオリンピックの冷房に使えないかと思うくらいの会場のクールさであった。

 特に原因を悩む本人の内面に勝手に解釈しつつ後半の街学的言い回しで気持ち良く自論をぶっていた際に、何か一歩間違うと今この場でクーデターが起こって、集団リンチを食らうのではないかと思えるくらいの敵意を感じたのであった。

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意識が高くて自分を曲げないタイプが、”無能な働き者”になる救いのないプロセス

 ビジネスにおいて、”意識が高い”、そして”自分を曲げない”という特徴は、ある一面からは長所と捉えて良いであろう。

 しかしながら、その2つが悪い意味で噛み合うと、負のスパイラルに陥り、組織の中で”無能な働き者”になるようなケースについて論じてみたい。

 ここでいう”無能な働き者”とは、すでに良く知られている組織論ジョークの一つで、クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルトというドイツ軍人が述べたものとされている。Wikipediaの記述を引用すると、

自身は優れた参謀将校であったが、同僚の軍人たちについては懐疑的できわめて冷淡であった。軍人組織について、副官に以下のように述べたといわれる。


将校には四つのタイプがある。利口、愚鈍、勤勉、怠慢である。多くの将校はそのうち二つを併せ持つ。

一つは利口で勤勉なタイプで、これは参謀将校にするべきだ。


次は愚鈍で怠慢なタイプで、これは軍人の9割にあてはまり、ルーチンワークに向いている。

利口で怠慢なタイプは高級指揮官に向いている。なぜなら確信と決断の際の図太さを持ち合わせているからだ。

もっとも避けるべきは愚かで勤勉なタイプで、このような者にはいかなる責任ある立場も与えてはならない。

Wikipediaより 強調は引用者。

 サラリーマンの組織でも、大なり小なり同感できる分類である。

 特に最終段の、いかなる責任ある立場も与えるべきでないとされる”愚かで勤勉なタイプ”、これが”無能な働き者”のことであり、間違った方向に全力で突き進み、本人のみならず周囲にその悪い影響を波及させる。まさに極めて悪い言い方をすると、組織にとって”腐ったミカン”なのである。

 では、①意識が高く、②自分を曲げないタイプのメンバーが、いかにして”無能な働き者”となってしまうのか。これを、もう少し具体的に考えてみたい。

 ①意識が高いとは、それ自体は良い特性である。自分自身の成長を常に意識し、向上心がある。よりスキルを伸ばし、今よりレベルアップするための努力を惜しまない。常に最先端の情報キャッチするためにアンテナを張り、そのための情報収集や人脈形成などの努力も惜しまない。自分に対する投資、インプットに対する高い感度を持っているということで、非常に良い特性のはずである。

 しかしながら、この「意識の高さ」が有効に働くためには、実は上記のようなインプット特性だけでなく、その得られた情報を処理するためのアウトプット能力が同時に具備していないと実は完結しない。インプットだけが多く、情報過多でその情報に埋もれ、処理できないままである場合はどうか。この場合には「意識だけは高い」状態になってしまうのである。

 ②自分を曲げない、ということも自分のスタイルをしっかり持って周囲に惑わされないということを意味する。これも非常に良い特性のはずである。

 しかしながら、「自分を曲げないこと」とは、自分のスタイルへの拘りが強く、変化への抵抗が大きいという負の側面もある。そして、このようなケースの場合、自分以外の他人も同様に拘りをもっていることへの鈍感さも併せ持つ。つまり、自分が周囲に合わせるのではなく、他人が自分に合わせるべきだ、という要求を無意識で持っているとも言える。

 「意識だけは高く」「自分を曲げない」=頑固さを持つタイプが、組織の中でどうなるか。

 更に、こうしたタイプのメンバーの人格面で”物腰は低姿勢””言葉が丁寧”などのパーソナリティを持っている場合、より一層状況は悪化する。

 態度や振る舞いがソフトではなく、態度も頑固で、実際に頑固というパターンは、まだ組織的には予防措置がとれる。

 しかし”物腰は低姿勢だけど、実は中身は頑固”といった場合には、何か修正事項を指摘して「はい」と素直に謝り、その場で反論しない。

 よって、指摘者は、その指摘を了解してくれたのかな、と安心していると、次に本人が提出する資料は、その指摘を反映せず、またしても自分スタイルを押し付けたものが提出されてくる。そうした状況が繰り返されると、もう指摘自体したくなくなり、もはや隅っこで1人スモール&完結な仕事をしていて、こっちの邪魔をしないでいてくれ、といいたくなる。

 しかし、その状態だけでは、終わらないのである。

 今度は、その”干された”状態を、彼の「高すぎる意識」が許さないのである。単純で暇な作業はしたくない。「もっとレベルの高い仕事をいただきたい、自分は成長したい」「組織に貢献したい」とピュアに訴えてくる。

 その主張自体、間違ったものではない。

 だが、それなら、とまた仕事を与えると、先程のループが繰り返される

 本人は全くその周囲を巻き込んだ微妙な空気感に関する自己認識がないので、なぜ物事がうまく回らないのかわからない。

 一方、周りは、彼の変えないペースに大なり小なり合わせる羽目になるので、次第に疲弊してくる。そしていつの間にか、その存在自体が組織のガンになってしまうのである。いわば”無能な働き者”だと。あいつと仕事をしたくない、外してくれ、というレッテルを貼られてしまうのである。

 しかし、ここまでの記述の中で、当然疑問も湧くであろう。

 本人は成長したいと思っている。つまり、現状から変化したいはずなのに、どうして修正されないのか?なぜ、こんな突き詰めた事態に到達してしまうのか?と。

 他方は”変わって欲しい”、本人は”変わりたい”。お互いの思惑は一致しているのであるから、これがうまく行かないのは、別な理由、例えばコミュニケーションエラーを生むマネジメントに問題があるのではないか?と。

 その一面もあるであろう。

 むしろ、マネジメント面に原因を求める空気の方が支配的であろう。

 しかしながら、ここで本人が「成長したい」と語った自己認識に、自分でも気づかない欺瞞があるのではないか、と私は考えている。

 つまり、彼の本音はこうなのだ。

 ”今の自分のままで、今の自分は一切変化することなしに、成長はしたい”

 矛盾している?

 いや、矛盾しない答えが一つある。

 それは「自分を今のままで受け入れてくれるよう、自分以外の周囲が変わるべきだ」ということである。

 それを本人は意識していないが、無意識下の行動として実行しているのである。当然、本人はそう思ってはいないであろう。しかし、行動は間違いなくそうなのだ。

 そして、それはある意味、ものすごく組織にとって傲慢な要求になるのである。

 別の記事で書いたように、本当に優秀な人は周りを知らず知らずの内に自分のペースに巻き込み、マルチタスクをこなす。これは巻き込まれる側もそれに対する意識はなく、いわばWin-Winの状態になっている。しかし、この場合はお互いがLose-Loseの状態になっているとも言える。

 しかも、その当事者本人のパーソナリティは一見融和的であり、他罰的でもない。

 あくまで愚直に悩むのだ。

 しかし、行動自体は単純に「周囲と鋭く対立する傲慢さ」として発現され、組織の維持のためにスポイルされてしまう道を自ら突き進むという、誰もが何とも救いのない状況になっているのである。

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RPAなどの業務改善ネタ探しを、手が空いてるからと暇な社員にやらせるのは悪手である

 ちょっと最近忙しい。ブログ名にある通り「単騎」なので、助けはない。ひたすら1人で忙しく日々を過ごしている。積んでは崩しの不条理神話のような仕事に振り回されている。

 そんなある日、ある社員が私の元に寄ってきた。

 同じ部門にいるものの、普段からあまり話さない社員である。どちらかというと、あまり忙しくない社員である。どちらかと言うと、あまり業務を振りたくないタイプの社員である。要するに、ちょっと性格的、パフォーマンス的に”使えない”タイプの社員である。

 こっちは昼メシも抜きでやっているのに、何か?と顔を向けると、一応申し訳なさそうに「ちょっとお話を聞かせて欲しくて・・・」と言う。

 捨てられた子犬のような感じで、ちょっと情にほだされて、緊急性の高いメールをさておき、話を聞くことにした。

 その話とは、要するに

 ①最近はやりのRPA(Robotic Process Automation;後述)を全部門で導入することになった。

 ②各部門でRPA対象ネタを探すことになり、業務改善ネタを各部門で担当者を割り当てている。自分がこの部門の担当になった。

 ③ついては、お忙しいところ申し訳ないが、RPAできるネタがないか教えてくれないか

 と言うものである。正直がっくりきて、上手く誤魔化してお引き取り願った。

 ・・・RPAネタを探す人間を完全に人選ミスしているのである。

 RPAとは、オフィスワークの業務効率で複数の異なるソフト群を使った動作を、上位系ソフト上にある仮想ロボットからプログラム的に順序を決めて動かすことができるようにすることで事務系ワークを無人化・自動化できるサービスのことである。従来から、マクロなどで一部記述できてはいたが、IT技術の進歩によって、よりユーザフレンドリかつ複数ソフトにまたがって実行できるようになったことが、ここへ来て流行めいた状況になっている背景であろう。

 話を戻す。何故、彼がRPAネタを探す担当になったか?それは間違いなくこの部門内で最も暇で、業務が空いていたからであろう。私含め他の社員はバタバタしており、頼めるのはたしかに彼くらいしかいない。

 しかし芯を食った業務改善ネタは、業務ができない人間からは決して出てこないのである。仮に出てきたとしても、それは全く的外れなポイントであろう。何故なら、業務を改善するマインドがない人間、改善ポイントを見る目のない人間が見つける改善ポイントは100%間違っているからである。要するに業務に振り回されている人間には、その業務を俯瞰する視点はなく、業務に従属された視点しかないのである。つまり、業務の存在を前提にして、お互いの共生を満たすような答えしか出てこない。本来は、その業務を乗り越え、否定する視点があるべきであろう。

 本質的な改善ネタをすぐに探すのであれば、最も忙しい人間にやらせることがベストであろう。常に仕事に直面し、その負荷をどう効率的にすれば良いかを考え、常にアンテナを張っている人間。業務自体をコントロールしようとし、超克しようとしている人間でないと、本当の意味で業務改善はできないのである。ちなみに誤解なきように言っておくと、その仕事パンパン人間が、パフォーマンスが優秀であるということではない。仕事パンパンで、常にギリギリのところで直面しているという状況こそが重要なのである。

 だが、そうした人間は結局そのギリギリの仕事ぶりを積極性と勝手に解釈されて、当てにされるので常に仕事はパンパンになっている。常に忙しいので、ここへきて更に業務改善もやってよ、とは言いにくい。だが、その人間をメインに据えない限り、業務改善ポイントは芯を外しまくるのである。

 そしてRPAは、開始する時間が早いほど、効果が上がる。素早く効率化すれば、それ以降の時間で効果が出続けるからである。要するにイニシャルコストは多少高くても、ランニングコストの低減で回収できるという論理である。

 したがって素早く、効率化よいポイントを探すべきなのに、最も仕事が遅くポイントをズラす人間が最も暇なので、その仕事を回されやすいという逆説的状況が発生しているのだ。

 最悪、RPAを実行するルーチンフェーズなら良いかもしれない。要件を決定した後の実行フェーズである。要件を定義する部分は、これは間違いなく、誰でもいいから今暇そうにしているヤツにやらせてはいけないのである。

 こうした事例は、それ以前でも同様な構図がある。

 人間が従来実施していた業務フローをIT化する際に、人間が現在やっている内容をそのまま要件定義すると、例外処理の嵐になり、結果的にシステムは高いものになり、例外処理が多いのでITによる効率も上がらず、ユーザからも使いにくいソフトになる。不満が渦巻く、IT化の典型的失敗例である。

 この原因ははっきりしており、フローをIT化する前の段階で、十分に効率化・標準化の観点からフローを十分に見直し、徹底的に改善した上で、IT化を進めなくてはいけないのに、それを怠ったことが原因である。

 結局、組織というものは微妙で、暇な人間がいるのは仕方ないが、暇であるが故に与えてはいけない業務も与えてしまう余地が生まれ、それにより却って組織を疲弊させることがあるということも、マネジメントでは肝に銘じる必要があろう。

 そんなことを思っていたら、「○○さん(私のこと)だけが、RPAネタ無いって言ってるけど」と、任命者が近づいてきた。非協力的態度はまずかったか。

 「本当は○○さん(私のこと)に、RPAお願いしたいんだけど。アイツにネタ集めさせたら、全然整理できてなくてさ」予想通りである。だから言ったのに(言ってない)。

 では、やはり組織のために引き受けるべきなのであろうか。

 しかし、私の答えは「すいません、忙しいので、できません」であった。

 アタマの中ではやった方が良い、引き受けるべきと思っている、しかし、やることによる更なる業務量オーバーが、Yesを口に出せなかったのである。トータルでは楽にあるが、短期的には苦しいのは耐えられない。こうした心理が働いたのである。

 結果、個別最適になってしまった。この全体最適解を実現するためには何かが足りていない。それは何なのであろうか。

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移転した”ものづくり文献調査の聖地”県立川崎図書館へ行って、マニアックな技術系雑誌を堪能する

 ものづくりを生業(なりわい)とする技術者にとって、かつて川崎競輪場、(旧)川崎球場の隣にあった県立川崎図書館は、なかなか使い勝手の良い強力な図書館であった。

 JISなどの各種規格類や、めったに書店に並ばない技術書、科学書、便覧、ハンドブックや、技報、技術系雑誌類が揃っているのである。

 しかも平日の夜まで開館しているので、仕事帰りに寄ることもできる。昔川崎駅近くに勤めていた時には、会社帰りに論文などを検索したことを思い出す。

 ここの司書さんも結構プロ意識が強く、昔のことであるが、ある技術の変遷を時系列的に調査する必要に迫られ、ある学会誌を過去15年間ざっとレビューして必要な記事をピックアップする必要に迫られたことがある。電子公開はまだしていない頃であり、かつ、文書のざっとした網羅検索性が必要な状態であった。司書さんに相談したところ、なんとラックに5冊分ぎっしり詰まった15年分の雑誌を出してくれたことがある。

 昔の建物は年季の入ったボロボロな建物で、川崎競輪場も近く、”浮浪者お断り”的な張り紙もあり、ディープな雰囲気の場所であった。

  老朽化のため何度も移転が噂されていたが、2018年5月に移転されたことを最近知った(遅い)。今度は、溝の口のかながわサイエンスパーク(KSP)の建物の中に移転したらしい。

 今回またしても、あるキーワードで各種の学会誌、技報、技術情報誌を調査する機会があり、移転後初めて行って見ることに。

 参考までに、調べる雑誌を挙げると「工場管理」「計装」「型技術」「省エネルギー」「機械設計」「NEC技報」「機械と工具」「Sheetmetal ましん&そふと」「いすゞ技報」「化学経済」など。なかなか、こんな雑誌類を一望にできる場所は見つからないのである。

 今回はCiNiiでフリーワード検索したものを、図書館で閉架から取り寄せを行なった。無かったのは2,3件だけで、ほとんど所蔵されていたのは流石という感じ。

 現時点でも電子化は進んでいるものの、紙のドキュメントをパラパラめくる検索性や、ざっと眺めている際にインプットされる情報量はバカにならない。検索による絞り込みとはまた異なる網羅性、俯瞰性があり、紙で印刷され製本された情報に直接あたる重要性は変わらない。

 KSPの建物は、なかなか綺麗かつゴージャス。ホテルや食堂もありなかなかの環境である。

 今回はクルマで行ったので、KSP地下にある有料駐車場に駐車した。料金は20分100円。ちょっと高めか。溝の口駅からは徒歩でも行けそう(15分)だが、バスもある。

 2Fの図書館入口。綺麗だ。

 中も明るくて、広い。開架書籍の量も増えている感じ。

 机も多く、結構人で埋まっている。やはり学生の受験勉強組もいるようだが、まだそれほど多くはない。

 さらに申し込みが必要だが、無料WiFiもあるので、ちょっとしたノマドワークもできそうだ。

 また1Fにはドトールコーヒーショップ、郵便局、ファミリーマートもあり、5Fにはカフェテリア形式の食堂もある。

 チキンカレー430円。午前中の読み疲れのせいか、一口食べてしまった。辛めだが、なかなか。食後1Fロビーにいたヤクルトレディからジョアを購入し、午後も作業である。結構疲れるのである。

 若干交通の便が以前に比較して微妙になったが、まる1日を資料収集に使うとした場合には、色々とインフラも揃っており、使い勝手が良いのは変わらずであった。

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「マイクロマネジメント」を褒め言葉だと信じていたあの頃(遠い目で)

 「マイクロマネジメント」という言葉をご存じであろうか。

 Wikipediaにも項目があり、

マイクロマネジメントとは、管理者である上司が部下の業務に強い監督・干渉を行うことで、 一般には否定的な意味で用いられる。マイクロマネジメントを行う管理者は、業務のあらゆる手順を監督し、意志決定の一切を部下に任せない。

Wikipedia「マイクロマネジメント」より引用

 となっている。

 また以下のような記事もある。

外部リンク:上司の常識「マイクロマネジメント」とは?部下と組織を壊すマイクロマネ ジメントの特徴と対処法

 要するに、マネジメントにおいて上司が部下へ過剰な干渉を行うことを指し、一般的に組織運営としてマイナス方向に作用する行為のことを指すようだ。

 Google先生の「マイクロマネジメント」の検索候補も、否定的な候補が並ぶ。

 上司側は「良かれ」と思うが、部下側は苦痛と感じており、上司-部下の関係性の中で非対称な様相を見せている。

 第三者的視点、あるいは、部下側からしてみるとパワハラに近いものがあるにも関わらず、 あくまで上司は通常のマネジメントであり、他者がそう思うより感度が低いのもパワハラと同様の構図である。

 場合によっては、その上司じしんも、更に自分の上司からマイクロマネジメントを受けている連鎖的状況もありえそうだが、あくまで自分に置き換えて、自分から気づくことも少ないと思える。

 本記事では、私の経験であり、ちょっと状況が異なるのだが「マイクロマネジメント」に関して気になる会話の思い出があったので、紹介したい。

 あるプロジェクトで、私はいわゆる事務方で、会議のファシリテーションや裏方作業をしていた。

 事務方の大きな役目として、会議で出たアクションアイテムを管理し、きちんと実行まで確認し、クローズさせる、という地味な業務がある。

 地味な作業と書いたが、意外に面倒臭いものがある。

 アクションアイテムの発生は非常に単純で、会議の場で指摘者(一般的に偉い人)が「〜しなさい」→発表者「はい、わかりました」となることで公の場でコミットされる。この段階でズレは生じていない。

 しかし実行の段階に至ると、そう単純な話ではない。

 時間が経過し、その場の緊張感が薄れるとともに「やる気」が薄れてくるのか、 その場で言わなかった言い訳を駆使して、なかなか実行(アクション)しないアイテムが出てくるのだ。

 内容の緊急度によっては、次以降の会議の席上で「まだやっていないのか」という再度の直接的な怒りをくらって修正される場合もある。ただ、それほど緊急性のないアイテムだと、裏技、寝技を駆使してうやむやにされる場合もある。

 実は、こうしたうやむや系のアイテムが後々火を噴くことも経験しているので、事務方としては、アクションアイテムのリストを作り、きめ細やかに管理する。

 言った側というのは、自分が言った時点で速やかに実行されているはずだ、と思うのが世の常なので、「まだこんなにクローズしていないアクションアイテムがあります」などと事務方が報告するのも、別の怒りに着火して燃え広がる恐れがあるので、あまりこの手段は頻繁には使うことはできない。もうどうにも無くなった最後の手段に残すことが一般的である。

 実行側としても「事務方がチクリやがって」という心情が起こり事務方と実行側の関係が悪化する可能性もあるので、こうしたことも事務方としては懸念材料である。

 しかし、物事の大前提として「約束したことを実行する」のは基本原則であって、それを裏で言い訳して実行しないのは単純にルール違反であろう。 とは言うものの、一定の規模の組織の中で様々なしがらみに縛られざるを得ない事務方としては、原理原則だけで物事が進まない現状も理解しており、なかなか悩ましい問題なのである。

 そんな中、あるプロジェクトのアクションアイテムで、こんなものがあった。ざっくり言うと、

(1)ある期日までにA装置を完成させる必要がある

(2)そのためには、ある期日までにA装置の部品を手配開始する必要がある(部品納期の関係)

(3)部品手配するためには予算が必要で、その予算を確保するためには、ある期日までに契約を締結する必要がある

 という状況があり、これを端的に言うと、「ある期日までに契約を締結しないと、A装置の完成が遅れる」ということを意味している。

 そのため、アクションアイテムとしては「○月×日までに契約を締結すること」となる。

 しかし、契約というものは法務部門や知財部門も絡み、部門間調整がある上に、当事者同士の利害調整もあったりして、なかなか予定日程通りにはいかないことが多い。

 そして、今回もそうなりつつあった。

 結局、同じ会社であっても部門をまたがると伝言ゲームのように当事者意識は薄まっていき、日程遵守のヒリヒリ感は伝わらないことが多いので、 ますます遅れが現実となる可能性が高まっているのであった。これが現場が独走する「フロントラインシンドローム」を生む原因(関連記事:フロントライン・シンドロームと兵站の問題)にもなっている。

 指摘者は基本的に上位、即ち偉い人が多いので、そんな下々の細かい事情は知ったことではないので、そんな部門間の調整遅れを理由にしたら、 ますます怒られるのも必定である。

 私は事務方で、その直接的なアイテムのオーナーではないが、この日程遅れの可能性に焦っていた。

 契約モノなので、裏工作もできず、正攻法でやるしかない。

 だとすると、A装置の完成が遅れる可能性は高い。

 遅れが現実になると、遅れの挽回など様々な指摘に波及することになる。これによるプロジェクト全体への悪影響を想像すると事務方としても早めに火消しをする必要がある。

 遅れの可能性が高まっているこの状態こそ、先読みによりそのためのリスクヘッジを考える必要があると判断し、少し内部調整のため動いていたのである。

 そんな状況の中、”仮に契約が期日に間に合わないと、こうなる、そうしたらこうなるので、他の代替手段を今から考えた方が良いのでは”、という説明を、ある開発責任者へ相談していた際の話である。

 要するに、何かあった場合のリスクを理解してもらい、それに応じたリスクヘッジを主体となる部門で考えてもらおうとしたのである。

 そこで一通り私の話を聞いた相手の一言が「うーん、何か細かい話だね。●●さん(私のこと)のマイクロマネジメントみたいな動きはこちらではできないからなあ」

という言葉であった。

 ここで、私は当時マイクロマネジメントという言葉を知らなかったので、なぜか褒められたことと勘違いしたのである。

 当時、「マイクロマシン」など、最先端の微細加工、精密加工を用いた技術用語があった。そういった最先端系のイメージの言葉と勘違いしたのである。また、画一的で硬直的な”モノシリックなサービス”と比較して、きめ細かい”マイクロサービス”などは明らかに良い言葉としてあったので、そのイメージもあった。

 なるほど、きめ細かく、精密なマネジメントのことね、と合点してしまったのである。

 結局、そのアクションアイテムは小炎上で済み(?)、リスクヘッジは必要なかった。

 一安心したある日、そういえばこんなことを言われていたな、と「マイクロマネジメント」を検索した際の私の驚きと心情といったら・・・。

 実際は、なんと褒められているどころか、批判されていたのである。その後もその人に褒められたと思い好印象を持っていたお人好しな自分の性格にも呆れる。

 まあ、また一つ大人になったと言うことで納得するしかない(泣きながら)。

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2019年新入社員に贈る:世の中には「時間が解決することもある」ので、のんびりやってほしい。ということを数理モデルで説明してみる

 今年も新入社員が入ってくるシーズンになって、通勤電車で慣れない立ち振る舞いなど、色々と社会の荒波に揉まれている様子が見られるようになってきた。

 実際の業務に就くのはまだ先であろうが、今後慣れてくるに従って、色々な現状へのイライラ感が出てくるであろう。

 ある程度仕事がわかってきて、一人前に近付いてくると「どうしてこの組織は、こんなに意思決定が遅いのだろう」とか「どうして自分が感じている危機感を上司は理解してくれないのだろう」と言ったイライラが出てくると思う。私もそうだった。

 そのイライラが昂じると「危機感と変革力がない上司は老害」「この組織にはスピード感がない」「大企業病」と言った不満になってくる。

 ドラマであるような、熱血・情熱的な現実的なスタンスで問題意識に過敏に反応し変革を求める若い層に、保守的・既得権益維持を使命とする体制層が冷や水を浴びせ、若い層にはフラストレーションを溜める対立構造は、大なり小なりどこにでもある光景として見ることができるのだ。

 そして、その若者の不満は一面として真実であろう。確かに組織というものは集団の内部統制という側面もあり、ルールとチェックでがんじがらめで意思決定が遅くなりがちなのは事実である。

 そして今こうして「一面として」と書くと、「はいはい、またそうはいっても現実はそうじゃない、とか、もの分かりの良さそうな態度で足して二で割るみたいなガス抜き折衷軍団がやってきた、老害乙」みたいな感想が返ってきそうだ。

 ここでは、その功罪というより、既存の組織で行われる意思形成を成す既得権益を持つ主流層いわゆるビジネス的な意味での”エスタブリッシュメント”には、本質的に「鈍感力」というべき応答時定数の遅いシステムが組み込まれている、ということを説明してみたい。

 ここで言う”エスタブリッシュメント”をもう少し具体的に定義すると、組織の予算と人事評価権、人事権を握っている層ということに尽きる。組織は予算と人事、この2つを抑えることで基本的には統制を取っている。

 組織全体は、応答時定数が早い(遅れが少ない)システム(=若い層)と応答時定数が遅い(遅れが大きい)システム(=エスタブリッシュメント)が直列結合で組み合わさっているような、すなわち図1で示す2質点系のバネ-マス(+ダッシュポット)モデルで表現できる。

図1 若者(添字2)とエスタブリッシュメント(添字1)が結合した組織の数理モデル

 例えばこの系は、図2のような運動方程式で表される。外力項が入っているが、ここではゼロとして考える。変数の添え字では、エスタブリッシュメントは添字1、若い層は添字2とした。

図2 計算モデルの各質点の変位xに関する運動方程式

 そのようなモデルの若い層(添字2)の動き(変位)とエスタブリッシュメント層(添字1)の動き(変位)についての運動方程式(図2)を以下の計算条件で数値計算したものが図3である。

 この計算パラメータの条件設定では、若い層がより過敏に反応し、エスタブリッシュメントが鈍感に動く応答性の差異を、バネ定数と質量から決まる固有周波数に3倍の比率を与えて表現する。つまり、若い層はエスタブリッシュメントより”3倍の周期で速く動きやすい”。

 続いてエスタブリッシュメントの応答性の悪さを表現するために、運動に対する抵抗特性である減衰係数の比率を1000とする。つまり、若者はほとんど自己の運動を減衰させない一方で、エスタブリッシュメントには大きな減衰特性を与える。

 初期条件として、若い層にのみ初期速度を与え、それ以外はゼロとする。つまりエスタブリッシュメント層は初期のエネルギーはゼロで、受動的に動くとする。

図3 運動方程式の解とエネルギーの挙動(上図)と各質点の相図

 若い層に当初与えた運動エネルギーは急速に減衰してしまう。一方でより応答性の悪いエスタブリッシュメントは、ほとんど反応せず、自らの減衰特性によって若者の運動を巻き込んで、元の位置に収束してしまう。つまり、若者のエネルギーがより大きな組織のエネルギーに変換されようとしているが、慣性と減衰が大きく、組織全体を動かすに至らず急速に減衰してしまうのである。

 先に述べた対立構造の現実では、このような状態がまさに起こっているのであろう。ちなみに若者がより感度を上げて活動しても、全体としては同じで、こんな若者の”独り相撲”のような解になる(図4)。

図4 若者の固有振動数を7倍した解

 若者の情熱、応答時定数が高い部分の運動が、システム全体の運動に寄与せずダッシュポット要素における熱的散逸、つまり文字通り「摩擦」として全体の運動に寄与しないで無駄に消えてしまうところも現実と同じだ。

 では、なぜこのような構造が発生するのか。特に、なぜエスタブリッシュメントは応答性が悪いのか。

 これは単純に「生理的なもの」と「経験的なもの」と考えられる。

 「生理的なもの」とは、単純に加齢、もっと言えば老化であろう。年齢を重ねるごとに外部の刺激に対して反応が鈍くなる。単純に思考のスピードも遅くなる。また若い場合にはセンサーも過敏で、取得する情報も多いので、この対比はより大きくなる。

 「経験的なもの」とは、いわゆるインサイドワーク、あるいは、経験知というようなものである。物事には実は「時間が解決する」ようなケースは多い。特に複雑な組織において課題を処理するような場合には、先ほどのモデルを更に多変数にしたようになり、1つの要素だけ早く動いても全体には影響を及ぼさない。同期しないと無駄が多いのである。そうすると実は「まずは待ってみる」というのも結構無視できない有効な策であることがわかってくるのである。

 「だからどうしたの?」という声が聞こえてきそうだが、まずは長い旅なのでのんびりと取り組んで欲しいのである。

 補足:この運動方程式は、よく知られたカオス的な挙動を示す「二重振り子」のモデルとも類似しており、単純な系でありながら、現実と同様に複雑な運動の様相(図5)を持っているのである 。

図5 減衰無しのバネのみで結合した場合の運動方程式の解の一例。意外に複雑な運動の様相を示す。
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やり場のない感情を抱えてイケてない毎日に変化を与えるべく、COCOSのモーニングバイキングへ

最近またしても仕事が忙しい。国内出張も立て込んで、青森、福島、新潟と行ったり来たりである。

やはり予定が予測できない、あるいは、予定を外力で崩されるのが、一番肉体疲労の元になる。

先日には町内会の役員慰労会が平日にあり、20:00スタートで終わったのが0:30。そしてそこから4:00に起床して、新潟へ出張、更には日帰りの予定が長引き、急遽新潟泊まりになるという状況。下着も替えのワイシャツもないのにである。翌日も朝一で新潟を立ち、東京で打合せ。ヘトヘトである。

なかなか肉体的に厳しい状況であった。

仕事でも色々な問題が発生し、部門間調整や顧客との調整などなど、非常に苦しい。ストレスフルな状況であった。

仕事で精神的に苦労するのはやはり”板挟み”であり、自分の力で処理できない状況で、自分がボトルネックになったりすると非常に厳しい。日々、このボトルネックの境界線に置かれないよう苦労しているのだが、そうもいかない場合もある。

先日あった”きびしいケース”は、依頼した仕事が当初約束の締め切りを大幅に遅れているので日々督促をしていたがまるで進まず、最終的に担当者への連絡すらもつかなくなったことがあった。非常に困った。

締め切りが遅れた結果、私は依頼元からは責められる。結構脅しに近い言動や上位権力者へのクレームなどの手段をかまされ、非常に苦しい状況であった(これは私としてもその立場ならそうすると納得できるので、なおさらきつかった)。

こちらもイライラしつつ、ようやく依頼先の担当者と連絡が取れたところ、開口一番”実は妊娠していて、体調を崩していました”という発言(相手は女性であった)。

衝撃と共に、思わず私の口から反射的に出てきた”お、おめでとうございます”という祝福の言葉。

しかし、それ自体は喜ばしいことだが、当面の仕事が遅れたことの言い訳にはならない訳で。まずビジネスパーソンの責任としてはどうよ、と思うのだが、もはやそんなこと言える状況にもない。相手を責める状況にはないと勝手に判断してしまう自分がいたのである。

自分の怒りの感情すら吐き出せず、更には祝福の言葉に変換したことで、更に感情の行き場がなくなる。自分の中でも更に板挟みである。

こうなった場合、ビジネスパーソン以前にいち人間として、どう対応すべきか、何がほんとうの優先順位なのかを考える羽目になり、結局ここで怒りを出すとあとあと後悔するのではないか、という考えに至ったのではあるが。

そんなこんなで肉体的・精神的に大変であった。

ようやく若干余裕が出てきたので、休日の朝食をCOCOSのバイキングで食べて、気分を変えることにした。

やはりバイキング形式は気分が高揚する。

土日料金大人1人780円で、非常にいい感じである。

カレーやパスタ、パンもあった。バイキングを2周し、ドリンクバーで一服し、少しだけリラックスできたのであった。

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【百度】中国出張時のセミ・ビジネス状況における便利ツール(アプリ)【WeChat】

 中国出張において、昼間のオンタイムでは先方で通信環境などが用意されているので比較的気を使う事はない。ただオフタイムなどでは色々と生活上必要なものがあり、中国特有の問題ゆえに、少し知っておくと便利なものがあるので、備忘がわりに記載しておくことにする(個人の感想です)。

 中国ではフリーWiFi環境が発達しており通信自体は結構問題ないが、良く知られているようにGoogleやLINEなどには接続が制限されている。ただ暗号化などのセキュリティは問題ありそうなので自己責任で。

①緊急連絡をしたい

 海外ローミング携帯などがあれば問題ないが、そうでない場合には中国版LINEである「WeChat」(微信)が便利である。チャットや無料通話もでき、中国のホテルや街中のフリーWiFiでも日本とリアルタイムで音声会話できることを確認した。これがあればある意味不便はなさそう。

 

 また、現地の方は基本皆アドレスを持っているのでアテンド先の緊急連絡先を聞いておけば、現地での安心感が得られる。

 いまいちアプリ的なセキュリティ不安もあるので、スマホ内での住所録との連携が解除しておいた。

 QRコードスキャナもついているので、ここからWebブラウザに飛ぶこともできる。

 現地ではPay機能でほとんどQRコード決済でキャッシュレスが普通になっているが、外国人はチャージができず試していない(裏技があるらしいが)。町の行商屋台にすらもQRコードがあり、その意味では中国の方が日本より先んじてキャッシュレスになっている。

②会話をしたい

 Googleが使えると問題ないのだがそうもいかないので、「百度」のオンライン翻訳や翻訳アプリが便利である。中国の人もこの存在は結構知っており、向こうからもこれで提示してくるケースがある。音声も出るが、それを使わず筆談方式の方が早い。

 結構使えるが、お互い入力する言語(こちらの場合には日本語)を少し翻訳でミスしないような文体にする方が良いようだ。要するに話言葉を入力するのではなく、自分が機械になったようにクドめに翻訳用の日本語を作るようにするとミスコミュニケーションがなさそうである。

 また、オフライン想定してアプリを入れておくことを推奨である。

 

 百度翻訳アプリの画面

 百度ブラウザ版の使用環境である。

③今いるところと経路を知りたい

 アプリ「百度地図」が役に立つ。以前も書いたが地下鉄の出口まで出してくれる。ホテルや勤務地などの”拠点”の箇所にピンを刺しておけば、今いるところからの経路が出てくるので、何かと便利である

 

④会話の練習をしたい

 機械翻訳のことも②で書いたが、やはり言語でコミュニケーションを取った方が良い。やはり通じた時は嬉しいのであるし、その方がてっとり早い。その練習機会もあまりないが、iPhoneのSiriを中国語版にして、何度も発音すると練習になる。やはりカタカナ発音だとうまく伝わらないことがわかる。

 必須のフレーズ「 厕所在哪里(トイレどこですか)」であるが、 Siri中国語版でこれを会話してみる。

 

 やはり「 厕所」(ツースァオ?)がうまく発音できない。

 成功例。ちゃんと場所を教えてくれる。

⑤ポケットWiFi

 なんだかんだで日本からレンタルで持っていき携帯しておくのが便利である。VPN設定をプランにつけておけば日本のネット環境とほぼ同じになる。

 しかし通信量制限には注意が必要で、500MB/日ではギリギリであるという感じである。できれば1GB/日が良い。また通信量が見えるタイプだとわかりやすい。そうでないといつの間にか、「通信速度制限」→「通信停止」になってしまい、焦ることになる。通信量もフリー方式プランはなさそうで、かつ停止になった場合翌日の自動解除まで現地で待つしか手段がなくなる。

 レンタルWiFi会社のマニュアルには、端末でのバックグラウンド通信を設定解除する方法があるが、これも完全ではないようで、”使わない時にはWiFi端末の電源を切っておく”というのが良いと思う(今回、電源ONして充電したまま寝て、朝起きたら何も自覚がないのに6時間で400MB使用していたことがあり困ったことがある。通信会社のサポートデスクでも”どうしようもない”という回答で頼りにならなかった)

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