【書評】森時彦+ファシリテーターの道具研究会「ファシリテーターの道具箱」–「天然モノ」のファシリテーターと「養殖モノ」のファシリテーターの区別を考える

 森時彦+ファシリテーターの道具研究会「ファシリテーターの道具箱」(ダイヤモンド社)を久々に読み返している。

 この本は2008年初版であるが、会議のファシリテートに悩む際に、パラパラと読み返すと、”道具”と呼んでいる様々な会議の活性化・整理のためのツール群(49個ある)があり、今なお新しい気づきを得られる良書である。その中には「ワールドカフェ」なども既に言及されており、先進的な内容である。

 ただ、最初にこの本を入手しようと思ったきっかけは、本書の序章にある「天然モノのファシリテーター」という言葉を見つけたことである。以下引用させていただく。

みなさんの知っている人の中に、こんな人はいませんか?

●その人が入ると、雰囲気が変わり、場が盛り上がる

●その人と話をしていると、明るい気分になり、元気になる

●質問上手で、問われるままに考えていると触発され、やる気が出てくる

ファシリテーションということを知らなくても、このような人たちはいるモノです。日本ではまだ数少ないプロのファシリテーターである青木将幸さんは、こう人たちのことを「天然モノのファシリテーター」と呼んでおられます。天然モノは希少です。養殖しないと、世の中の需要に間に合いません。

森時彦+ファシリテーターの道具研究会「ファシリテーターの道具箱」(ダイヤモンド社) p.2

 「天然モノ」、そして「養殖モノ」という表現、まさにピン!ときたのである。しかし、この表現はここまでで、これ以降はこの分類はあまり出てこない。むしろ「天然モノ」ではなく、訓練するべき「養殖モノ」が必要なツールについての記述がメインになる(それが書籍の目的だから、別に問題はない)。

 実際に、これまでの自分の経験で参加した会議は数多い。職場の会議、集合研修(社外、社内)、相手先での会議など、参加者も多種多様であった。

 成功した会議もあれば、失敗した会議もある。

 感触としては、成功した会議は1%、失敗した会議(その会議があってもなくてもどっちでも良かったという毒にも薬にもならない例も含める)が99%といったところか。

 いや、成功0.1%と表現しても良いかもしれない。1000回に1回くらいの割合であろうか。

 要するに、失敗した会議を繰り返しながら、えっちらおっちらと少しずつ前に進んでいるのが日常のイメージである。

 私が一番失敗例で思い浮かぶのは、ある会社の重要なプロジェクトで若手メンバーが複数部門から横断的に集められ、グループに分けられ、事業拡大のための中期計画を立案する会議に参加した際である。

 ここで、悪い意味で”ファシリテーション”にかぶれた人が、ファシリテーターをやってしまったのである。さらに悪いことに、その人自身が、そのメンバの職位的に最上位、つまり「オーナー」であるという構図。

 つまりファシリテーターが中立な第3者どころか、一番偉い人自らファシリテーション技法を駆使し、それこそ壁全面ホワイトボードでのブレスト、ポストイットを使った会議ごとの友情のアドバイス、マインドマップを使った見える化、アクションアイテムの見える化など、明らかに「道具」だけは先進的、でも、結果的に皆の出てきたアイディアを最後に本人が総括すると「その人の意見」に修正されてしまうという、参加者にとっては悪夢のような会議になったのである。

 オーナーの持つ見えない権力(いくら本人がオープンな意見を、と言っても)による空間支配の中で、従業員のアイディアは萎縮するばかりであり、毎週のように開かれ、議事録だけはキチンと発行されたが、数ヶ月後にはなし崩し的に消滅した。そして、そのオーナーも数年後失脚した。

 またいわゆる集合研修などでの、ある種のバイアスがかかった状態(特に選抜された同じ職位のライバル意識ギラギラ系)における、いつまで経っても溶けないアイスブレイク、我先が先行する気持ち悪い積極性など、こうした事例ではファシリテーターはいるが、あまり役には立っていない。

 こうした経験により、正直言って「ファシリテーション」「ファシリテーター」に良い印象を持っていはいなかったのだが、前述の「天然モノ」「養殖モノ」の表現を見た際に、少し腑に落ちたのである。

 ”あの人は養殖モノ、しかも、紛い物だったのだ”と。

 そして先ほどの文章にあった”その人と話すだけでアイディアがいつの間にか湧き出てくる”という経験、これも確かに自分の経験の中で少ないが、あるのである。そうした人にも少ないがあったことがある。

 その人は、言うなれば「あるスキルにしか特化しておらず、かつ、そのことを自分で理解している人」であった。

 私がテンパって、納期遅れの業務で、一生懸命書類を作っていた。

 この書類も何度も上司に提出しているが「違う。でも、何が違うかを言うと、君のためにならないから」という理由で突っ返されている書類である。

 もう納期というか、当初自分で約束していた納期からは過ぎている。

 まずい。ボクのために全体のスケジュールが狂ってしまう。でも、もう何を直していいかもわからない。直接の上司はただひたすら待っている。もはや聞くにも聞けない。

 こんな状況で、変なオッサンがふらりとボクの机の横に座ってくるのである。その人も自分のラインではないが、そこそこの職位はあるので対応はする。その様子を上司も見つめて「雑談してる場合じゃないだろ」という視線を感じつつ。

 「・・・困ったことがあって」と言う。

 こっちはそれどころではないのだが、雑談に引きずり混まれる。要するに、自分の仕事の愚痴をしたいのであった。

 しかも、結構な毒舌かつゴシップ含みである。

 あの人はバツいちだの、かつて業務で火事を起こして警察署に捕まっただの、とんでもない雑談が入っているのである。その上で、最後にはニヤニヤしながら「どう、君の部署で嫌いなやつは誰よ?上位三位まで上げてみ?」と訳のわからない質問まで、周囲に聞こえよがしにしてくるのである。

 その人の大好物は他人のゴシップとか、他人の喧嘩なのであることは知っていた。それを聞くと、もう犬がよだれを垂らす状態になって「それから、それから?」と物凄い興味を示すのである。更にたちが悪いのは、その情報を受けて、双方に「あいつ気に入らないよな」と立ち回って、焚き付けまでやるのである。そしてそれを本気でゲラゲラ笑っている恐ろしいパーソナリティを持っている人なのである。

 それはそれでまあ、通常であれば、単なる雑談であるのだが、今、ボクの置かれている状況はそんな安穏とした状況ではないのである。そこで他人の悪口を言える訳もない。

 「・・・〇〇さん、彼(ボクの名前)は今ちょっと忙しいので・・」と上司が軽めに注意してくる。「ああごめん、最近暇なんで話相手が欲しかったんでね、ごめんね!」と全く悪びれず去っていく。

 ようやく元の仕事に戻れる。

 しかし、その瞬間、私の中で”全てが整理されていた”。

 そればかりか今テンパっている書類の”正解”が、私の中に保有されていたことが分かったのである。

 そして、それは明らかにその人の会話によって起こった心的変化なのであるが、どう考えてもその会話の実態は「自分の不満」「他人のゴシップ」「何か笑えることはないか」といった、しょうもない会話なのである。その結果が何故か全く関係ない技術的な正解に到達している。

 本人は気づいていないし、ただのフラフラした一匹狼のような「仕事ができなかったら只の協調性の無い人」なのである。その人がメインストリームになることもなく、一介のスペシャリストとして会社人生を終わったはずである。

 しかし、私にとっては、これがファシリテーションの気づきであった。

 まさにこの人は「天然モノ」であった。

 どうでも良い自分の愚痴で私をリラックス(アイスブレイク)させ、今置かれている課題を客観的な課題に置き換え、その上で、全く関係ない他人のゴシップエピソードの羅列の中で、ブレインストーミングをさせて、私の中で埋もれていた回答を「私に」出させたのである。技術的ヒントも、ゴシップに紛れて人に属する技術として本質的かつ体系的に伝えてくれていた。

 「養殖モノ」と「天然モノ」の、この違い。

 そして「天然モノ」の持つ凄さ。彼らは自分がファシリテーションしている自覚すらないのである。つまりその存在自体、彼らにとっては不要なスキル、つまりファシリテーション自体が血肉化されており、もはやその名前で呼ばれることのない到達点にいるのである。

 しかし、そうした逆説的な状態、それが最もファシリテーター、あるいはコンサルタントの真の到達点なのだと思う。

 「コンサルなんて要らなかった、自分たちで全部正解を導いた」とクライアントに”本気で”思わせることが、本当のコンサルの極意なのである。

 これと同じことが「天然モノ」ファシリテーターには言える。

 それが故に、「天然モノ」は文字化された形では顕在化されないのである。

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緊急事態宣言解除したら、さっそく関西出張に。新幹線の乗車率はまだ3割くらい

 緊急事態宣言が解除され、在宅勤務も終了。そして早くも待ち構えていたように関西方面への出張が入った。

 人使いが荒いが、ただアフターコロナで、出張判定も結構シビアになっており、”そこへ行く”必要性を求められている(つまり、この時期にあえて行く理由が必要)。そうした面倒な手順を踏んでおり、やむを得ない。テレビ会議だけではできない「現地」で「現物」が必要な業務もやはりあるのである。

 朝6時の新横浜ホーム。ガラガラである。下りの”のぞみ博多行き”の車内はこんな感じ。

 隣どうしで座る状況は生まれない。各シート(3人がけ、2人がけ)に1名座っている感じの乗車率である。ただ、これも徐々に上がってくるのであろう。

 朝8時台の京都駅構内。これまた人がいない。売店も閉店である。

 前回来たのが、確か3月下旬だったので、2ヶ月ぶりの関西方面出張である。

 電車からふと見える電気系大企業の工場の駐車場にも、普段は車で一杯だが、明らかに駐車数が少ない感じで、まだまだ本調子ではないようだ。

 出張荷物にも除菌シートやマスクを装備するという、アフターコロナ状況における新しい出張の行動様式を考える必要が出てきている。

 もともと飲み食いでは、会食するのは好きではない。これまで散々訴えてきたように、ひとりで飲み食いするのが大好きなのである。むしろ時代の方が追いついてきた感がある(嘘)。

 関連記事:【ぼっち飯こそ正義】食事は一人ですることが、人類にとっての正解である(断言)

 関連記事:立ち飲み屋の自由と、立ち飲みあるある

 出張しても、このように夜の会食を断る良い理由ができたというメリットもあるのである。先方は「一人で食事なんて寂しいでしょう」という思いやりから発しているので断るのに苦労していた(こちらは申し訳ないが、ありがた迷惑)。

 これからソロ活動に社会がカスタマイズされることは歓迎すべきことであろう。

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1ヶ月強続いた在宅勤務の終了を唐突に告げられた際の私の精神的・肉体的反応について–人間は変化に弱い

 5月25日に、残る首都圏、北海道の緊急事態宣言が解除された。

 そして私も4月から約1ヶ月続いた在宅勤務(テレワーク)の終了を告げられたのであった。

 元々は6月以降に、在宅から出勤率を順次上げていく、と聞いていた。しかし、それがどうやら一気に出勤率を上げたくなった?のか、「明日から出勤でお願いします」という通告になった。

 それを受けた私の心理的第一反応は、意外であるが「嫌だなあ」であった。要するに在宅勤務を継続したい、と言う自分がいたのである。しかし、在宅勤務中は、早く元の状態に戻りたい、と言う心情があったはずではなかったか。

 要するにようやく在宅勤務に慣れてきたのに、また急激に勤務環境が変化させられることに対する抵抗があったのである。

 やはり人間、急ブレーキ、急発進はできないようになっているのか、順応力というより、急激な変化に対する抵抗、が存在するのであろう。

 これはこれで環境の変化に対する順応性がない、要するに「変化を受容する力が薄れている」というダーウィニズムの敗者のような総括になってしまいそうで嫌なのである。

 ここまでの時点で、精神的・肉体的な負荷に関して「公共機関を使った通勤勤務」と「在宅勤務」とを比較すると、「公共機関を使った通勤勤務」に軍配が上がる。

 やはり1時間かけてゆっくりと精神的・肉体的に会社モードへ仕上げる、そして退勤時は寄り道をしつつ、ゆっくりとプライベートモードへ戻る、という方が良いのである。

 また運動不足や肩こりの存在も捨てがたい。肩こりなんて、生涯味わったことがなかったのであるが、この在宅勤務では、肩こりが常に発生したのである(これは勤務環境の違いであろうか)。

 更には酒量の増加も無視できない。

 在宅勤務での酒量は、車通勤も含めて酒量の増加が半端ないのである。1日1本(750ml)以上のワインは当たり前、後半に至っては更に増えて1日2本以上飲むようになってしまった。

 更に在宅勤務による起床時間の遅さや規則正しい運動も加えたので、アルコール耐性や回復力がついているため、結構歯止めや反省が効かず、「毎日普通に大量の酒を飲めてしまうのである」。

 これは恐ろしい。

 肝臓とのガチンコ耐久マッチレースをやっているようなもので、アル中まっしぐらになりそうな予感もあった。「公共機関を使った通勤勤務」の時は週2,3位の飲酒が常時飲酒になってしまっているのである。これも恐ろしい。

 まあ、まだ第二波や近くに感染者が発生したら、逆コースの揺り戻しもあるのであろう。変化に対する耐性はもう少しつけておかないと、次回の巣篭もりで何が起こるかわからないのである。

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アフターコロナの世界で起こる業務編成の面的から直線的への変化、その結果起こるバックオフィスの過剰感について考察してみた

 次第にゆっくりと社会活動が復元されてきたようだ。しかし、新型コロナ感染防止という新たな社会的観点が追加されたことにより、元どおりの状態に復帰することはおそらく長期的にはなさそうである。

 ビジネスの世界でもテレワークなどの手段によって業務形態が大きく変化し、この動きは変わることはないであろう。

 その際に、単純に「ノートパソコンを手配して、Zoomをインストールすれば良い」という訳ではない。業務そのものが新型コロナ以前/以後で大きく相違している。そして、その場合、ビジネスパーソンそれぞれの意識自体も変える必要があるのではないかと思っている。

 今一番危惧するのは、”非常事態”がある程度終わりアフターコロナとしての定常活動に移行してくる経過において、ビジネスに対する意識を変化させないままノートPCなどの「新しい手段」のみを与えられ「後は前と同じようにお願い」程度の言い含めのみで、業務の最前線に復帰する人々が出てくることである。

 そこで起こる”悲劇”があるのではないかと思っている。

 テレワークという手段だけが変化した訳ではなく、業務そのものが変化しているという意識がないまま、最前線にノートPCを持って現れる。

 そして以前と同じような感覚で業務を開始しようとすると、おそらく植木等的に言えば「お呼びでない」状態になるし、戦争的な言い方をすると「即死」して「トリアージ黒タグ」になってしまいそうなのである。「今、それ必要な作業だっけ?」みたいな。

 関連記事:新型コロナ拡大に伴う緊急事態宣言から、終末、じゃなかった週末を迎えた現時点までで起こった私的出来事とその感想:安全確保と最低限の事業継続との相反、そしてポスト・コロナで起こる業務トリアージの予感

 以下に図示化してみた。

 コロナ以前であれば、戦線が拡大すれば人海戦術も通用し、教育的な意味合いもありフロントライン寄りに人材を配置できる。補給線も短いので直ぐに補充もできる。いわゆるバックオフフィス業務に人を配置する意味(根拠)が、相当程度あったのである。

 しかし、アフターコロナにおいて、新たなルール「フロントラインの密度制限」が付加された結果、最前線に存在できる人数が限られることになる。

 そうすると、補給線は長くなり、編成(人員配置)は直線的にならざるを得ない。そうすると、従来の総数を維持したまま配置しようとすると、必然的にバックオフィス要員の過剰が顕在化してしまうのである。

 したがって、アフターコロナの環境下においては、いわゆる「帯域」(通信速度)の太さが一つのポイントになるであろう。そこに新しいバックオフィス業務の可能性はある。しかし、これがITツールなどの手段によって代替されてしまえば、やはり人間の過剰感は残り通づけるであろう。

 ただし、むしろ過剰となること自体は正常のようにも思え、我々はこうした認識の中で”新しいやり方”を模索していく運命に直面していることを正当に認める必要があるのではないかと考えている。

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【書評】土門周平ほか「本土決戦 幻の防衛作戦と米軍侵攻計画」–最終防衛としての総力戦による水際作戦

 土門周平ほか「本土決戦 幻の防衛作戦と米軍侵攻計画」(光人社NF文庫)を読んだ。

 昭和20年4月に沖縄に上陸を許し、太平洋戦争の敗戦が濃厚になってきた段階に、米軍が本州、九州に直接上陸することを想定した防衛作戦「決号作戦」を中心に描いたものである。

 資源のない日本で食料、鉄鉱石、燃料などの補給線は絶たれ、またこれまでの戦闘の経過により戦力も喪失した状態の中で、最後の後退戦とも言える作戦である。

 その作戦自体も、九州および関東に上陸すると想定(これは米軍の実際の計画と一致していた)し、特攻兵器を用い水際で上陸を防ぐことを主眼としたものであった(それにより背後で動いていた終戦工作を少しでも有利にするという意図もあった)。

 上記の戦力としての差異だけでなく、日本列島自体が、長大な海岸線(防衛正面として5,000kmに及ぶ)も持っており、兵力の分散を招き防衛側に不利であることも困難な要素があった。つまり攻撃側は戦力を一点に集中しやすく、防御側は可能性のある場所に兵力を分散せざるを得ない、という非対称性が強い局面であった。

 アメリカ軍も、1945年6月18日には日本本土上陸作戦をトルーマン大統領が承認していた。この作戦は「オリンピック作戦」(南九州上陸作戦)および「コロネット作戦」(関東上陸作戦)の2つからなり、約220万人の兵力を準備していた。

 日本軍も敗北が続いていたとはいえ、いわゆる”根こそぎ動員”により、兵力自体は2,800万人が動員されていたと言われている。

 従って、まさに生活圏を含む日本”本土”を舞台とした総力戦が予定されていたのであった。

 日米ともに1945年秋と想定していたこの作戦は、ソ連参戦や原爆投下などによる8月15日のポツダム宣言受諾によって実行されることはなかった。

 総力戦であり「勝つ」ことしか戦争終了条件がなかった当時の日本にとって、この作戦は最後の手段であったことは難くない。

 仮に関東に米軍の上陸を許した場合、国家としての存続が危うくなる。

 それは内陸での戦闘になった沖縄戦のような非戦闘員を巻き込んだ混乱が生まれることでもあり、精神的支柱であった国体護持に必須の「神器」が奪われる、あるいは、喪失する可能性も秘めていた(昭和天皇も木戸内大臣との会話や「昭和天皇独白録」で、神器を守ることを気にかけており、「講和」の判断根拠の一つになっていた)。

 本土決戦が行われていた際の仮想(if)としては、小松左京のデビュー作「地には平和を」で描かれたように、焦土戦、ゲリラ戦になっていたであろう。その場合の未来はどうなっていたのであろうか、ということを考えてしまう。

 関連記事:【書評】小松左京「召集令状」(角川文庫)小松SFの原点としての戦争体験

 また、新型コロナ感染拡大に伴って、我々が今実感している”息苦しさ”、物流の停滞や長大な防衛線を水際で食い止めることの困難さなどは、見えない敵であるという違いはあれど、局面としては相似しているような気がする。

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【書評】半藤一利「指揮官と参謀 コンビの研究」人と人の化学反応による組織的行動、そして人材マネジメントにおける”失敗の本質”

 半藤一利「指揮官と参謀 コンビの研究」(文春文庫)を読んだ。14組の指揮官と参謀の組合せと、それによる組織的行動の”失敗”を系時的に描くことにより、昭和初期の満州事変から太平洋戦争敗北に至る日本という”組織”の課題を「人事マネジメント」の側面から描いた名著である。

 個人が集まり、組織として行動することによって集団的・組織的行動を行い、組織としてのアウトプット(成果)を生み出す。そこには統制があり、状況判断と意思決定がある。

 組織論としては、最上位にリーダー=最高権力者である「司令官」が存在し、リーダーの意思決定を補佐する「参謀」と言うスタッフ的な存在がある。

 これは多くの組織において普遍的に存在するであろう。

 そして、その「司令官」と「参謀」の組合せによって、組織としてのアウトプット(成果)は大きく左右され、プロジェクトの成功・失敗を決定づける要因になる。

 本書で掲げられるプロジェクトの歴史的実例とは”戦争”であり、人間の生命や国家という巨大な存在そのものを左右する、重く大きなプロジェクトである。

 一人の人間としても「司令官」と「参謀」の特性を併せ持つ人格というものは、殆どいない。結果的に、それぞれの適性を有したものが人事マネジメントの決定結果として組織に配置され、相互補完的な関係となる。

 こうした「司令官」と「参謀」の組合せが悪い化学反応を及ぼすと、組織的行動の停滞や誤謬を生み出すことになる。本書では、こうした実例を挙げており、組織論として非常に有効な書籍である。

 いくつか概要をまとめてみた(文中敬称略)。

「板垣征四郎と石原莞爾」

 提案力に優れているが実行力に欠ける参謀(石原)と、粘り強い実行力・説得力を持った司令官(板垣)のタッグが、極めて細い成功確率を持ったラインを綱渡り的に維持し、時には挫折しながらも、「満洲事変」といういわば「軍部による独走の追証」(=一時的に統制を逸脱しても、最終的に大功を得られれば、それは遡及的に軍人としての栄誉になる)を認めさせた先駆としての前例を歴史的に作ってゆく様が描かれる。

「永田鉄山と小畑敏四郎」

 上下関係というより元々陸軍同期で、ともに理想を掲げた同志であった二人が、「統制派」と「皇道派」という陸軍を二分する派閥に分裂し、相沢事件(永田の暗殺)および2・26事件(皇道派の一掃)を経て、統制派である東條英機に権力を与えるまでの争いが描かれる。

 これも思想的には、皇道派が対ソ強硬論(対中、対米英は事を構えず)であり、統制派が対中強硬論(対中一撃論)という軍事作戦上、および国際戦略思想上の先鋭的な対立が背景にあった。

 そして、陸軍の人材マネジメントそのものが、”同じ山に性格の異なった虎を放つ”というような対立を煽るような人事を行うのである。

 いわば、この対立が、最終的に陸軍の主導権を握った統制派(対中一撃論)=東條陸軍の主導により、想定外の持久戦となる対中国戦争の泥沼に引き摺り込まれた出発点とも言える。

「河辺正三と牟田口廉也」

 有名な失敗例である「インパール作戦」において、既に歴史家から多くの非難を受けている”愚将”牟田口廉也だけでなく、現場主義で野戦志向であった牟田口の上官として”エリート”河辺が、牟田口の独走に対して如何なる掣肘も指導もできず、ただ傍観するのみであった状態が描かれる。

 そして、両者は敗戦の中で、責任を互いに持ち合う(あるいは相手に押し付け合う)補完関係という、やるせない平衡を作り出している。

「服部卓四郎と辻政信」

 前述の板垣と石原の例と類似し、個人としての作戦能力は卓越しているが組織的行動が苦手であった参謀(辻)に対して、歯止め役であり官僚的能吏として優秀な司令官(服部)が組合わされたことにより、満州事変と同じく関東軍による現場での独走(フロントライン・シンドローム)を生み、ノモンハン事件を拡大させてゆく。

 一度はその責任により左遷される二人であるが、”不可解な人事”により、再び陸軍中央(参謀本部作戦課)に戻る。そして、再びその最強硬論をリードし、対米開戦判断をさせるに至る。

「岡敬純と石川信正」

 海軍の対米強硬論・開戦論をリードしたコンビである。

 ロンドン軍縮条約における、海軍内の条約派(米内光政、山本五十六、井上成美)と艦隊派(伏見宮博恭王、加藤寛治、末次信正、岡、石川)との対立の中で、米内・山本・井上ラインに政治的に”勝利”し、陸軍と海軍が史上最も協調した状態を生み出していた。

 つまり、開戦に反対していたという後世の評価がある日本海軍も、この当時において独自の対米強硬論を持ち、対米開戦にむけて積極的に工作をしていた事実が指摘される。

 それをリードしたのが、策士・寝技師(岡)と軍事だけでなく政財界に広い情報網を持つ理論家(石川)のコンビであったとする。

「東條英機と嶋田繁太郎」

 太平洋戦争の東條内閣を支えた陸軍(東条)と海軍(嶋田)の代表であり、両者ともに戦犯となった有名な二人のコンビについて述べている。

 どちらも軍人の資質としては、能吏型であり官僚としての事務処理能力が極めて優れていた。

 コンビとして性格も補完的であり、敗戦濃厚の中、陸軍と海軍の対立が深まる状況下でも、両者は強い責任感を持って戦争継続(すなわち内閣存続)のために最後まで協力しあっている。

 そして彼らに共通しているのは天皇への敬愛であり、同時に昭和天皇からの信任も厚かったことが知られている。

 昭和天皇の東條への評価は良く知られているが、”東條の男メカケ”とまで軽蔑された嶋田への昭和天皇の評価は非常に高く、終戦後でもその評価は些かも揺らいでいないのである。

 彼らはまず第一に、物事を忠実かつ高速に処理する事務屋として、形式主義・精神主義、言い換えると「一度決めた形式に拘る真面目さ」が過剰なまでに優れていた。これは当初の戦争の目的に従い、その遂行のために最後まで努力する熱心さでもあり、そこに通底するのは天皇への忠実さ、そして強い責任感とも言える。

 それは非常にシンプルであり、プリミティブな行動様式であり、それであるが故に昭和天皇からの信任が不動であったのであろう。その一方で、戦略に消費するリソースとしての「国民の生命」や、昭和天皇が恐れた「国体」のために、この戦争そのものの遂行目的に根源的に立ち返ってその行方を判断するという選択肢は二人の中には存在せず、東條内閣と命運を共にするしかなかったと言える。

人材マネジメントの功罪

 こうしたコンビの例を見るように、やはり組織的行動のためには個人としての能力だけでなく、それを活かす環境や人間関係が重要であり、これがうまく噛み合うと、大きな組織的なアウトプット(成果)を生み出すことがわかる。

 当然のことながら、悪い方向に噛み合うと、その成果もこうした失敗に至る。

 これらは「結果論」という言い方もできる。後から好きなように言える。それは確かにその通りである。

 本書では、昭和史における失敗事例と、それを産み出したコンビの力が述べられた。その上で、その組合せ・人材配置を生み出した組織マネジメントとしての「人事」(人材配置)の問題が浮き彫りにされている。

 後世から見て「疑問」と解釈する人事や、バックにいる大物(元老とか皇族とか)の支援などの横槍などもあったであろう。しかし、それでもなお、必ずしも”人事とは、単純な正解のパターンがあってそれを決める作業ではない”と思われる。

 更に加えて言及するならば、上記に述べた昭和初期の軍の人事制度自体も、明治維新から続いていた薩長優位の明らかな藩閥人事に対するカウンターであり、より平明な人事を志向した結果の実力主義(ハンモックナンバー、士官学校の成績順位に基づく)からの帰結ということもできるのだ。

 単純に、不可解な人事が歴史を誤った方向に導いたとする解釈は誤りであろう。

 

 

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在宅勤務で拘禁反応が出る前に、PC内のパンダ画像を放出(2018年の成都パンダ繁殖研究基地で撮影)

 在宅勤務で溜まるストレスはなかなか解消しにくい。酒に溺れるのも危険であり、早いところ定常運転のペースを作りたい。

 自分の意思ではない状態で閉じ込められているような、いわゆる拘禁反応のようなストレスを受けているような気もしている。まあ自宅を監獄にしても仕方なく、ここは自分の心の持ちようのはずなので、なんとか平穏に過ごしたい。

 そんなこともあって、2年前に行ってきた中国・成都にある「パンダ繁殖研究基地」の映像をPCから掘り返すことにした。

 こんな感じで基本寝転がって、竹を食べている。そしてその姿に中国人も日本人(我々)も釘付け。ただのグータラな風景だが、アイドル並の人気である。まあ、なんか絵になるのは確かである。金が取れるグータラというか。プロのグータラというか。

 この基地の中は広くて歩いても2時間くらいかかる。そんな中、何やら違和感のある風景が。

 パンダが木に引っかかっているのである。

 ぬいぐるみかと思うほど動かないが、要するに木の上で子パンダが寝ているのである。しかも、あんな嵌まり込み姿勢で。足が完全に脱力している。

 結構な高さで7,8mはあるが、わざわざ登って爆睡の様子。

 別のパンダもいた。これは寝相が変わっており、横になっている。

 樹上で寝る習性があるのだろうか。やはりただ地上にいると容易に敵から襲われやすそうだし・・・。でもどっちみち機動力も戦闘力もないから関係ない気もするけど・・・。

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ぼくの在宅勤務(テレワーク)あるある

 今回の「新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言による」テレワークを始めて、試行錯誤的に数日が経過した。相変わらず慣れないし、ストレスも溜まっている。だが、やはりやってみるもので、少しずつ改善はしてきているようでもある。

 そんな中でいくつか”在宅勤務(テレワーク)あるある”をリストアップしてみたい。

”新型コロナ感染拡大に伴う緊急事態宣言による”という枕詞の定型文を書きすぎて、自動的に書けるようになってしまう:今回の一連の騒動のあるある。辞書登録する間も無く、指が覚えてしまった。この手の定型文は微妙に文書で違っていると気分が悪いので、一度決めてしまうのがキモチ良い。

他人の反応に飢えてしまいがち:やはり他人との接触がないことが堪える。会社だと自分の業務に関係ない人の話し声や、雑談などが結構な気分転換にもなっていた。在宅勤務の場合には、メールを送信した後の反応を待っている時間が結構なストレスになることに気づいた。仕事の主導権が自分ではない場合、反応待ちに困るし、逆に反応に即レスする態勢にもあり、少々ガツガツ感が出て、自分でもちょっと気持ちが悪い。

PCの前の席にいること=勤務時間と定義してしまいがちで運動ゼロ:全く運動しない。仕事の切り分けが難しいので、まずはPCの前の席にいること=勤務時間と定義してしまいがちである。そうなるとトイレやコーヒーなどの気分転換すらもやりにくく、ストレスになるのである。その結果、運動不足によるストレスも溜まる。私はこれを解消するために、始業前に30分ほど散歩をすることにした。これでスイッチを切り替えるようにすると中々いい感じである。

トイレが汚くなったと怒られる:これは男性のみであろうか。自宅のトイレを使う頻度が多くなり、自然とトイレマナーの悪さが顕在化するのである。その結果、トイレが汚くなったという苦情に繋がり、掃除する役割が増える。

食生活乱れがち:昼食はカップラーメンのみ。ストレスや空き時間の多さに摂る間食で、お菓子などを食べてしまい、食生活が乱れがちである。また先ほどの”拘禁反応的ストレス”もあって、業務終了後には解放されたという思いから散歩もかねて外に出てしまい、お酒を買い、居酒屋のテイクアウトを買い、といった散財の行動に出てしまい、結果、酒量も増え、お金も使ってしまっている。一応少し気を使って、私は、マルチビタミンのサプリ剤で補っている。また、小腹が空く時のおやつとしてはビーフジャーキーが低カロリーで良い。

飲み物を入れるタイミングが図れない:台所に行くと、プライベート空間をビジネス空間にしてしまうようになるし、先ほどのPCの前にいないと勤務時間ではない、というような脅迫観念もあるので、飲み物について少し戸惑っている。今回は、お茶も入れるのも面倒くさいので、500mlのペットボトルお茶を箱買いしてみた。一応これで何とかなりそうである。

オールフリー(ノンアルコールビール)飲んでいいか悩みがち:今までオフィスでは人目の問題もあり無理っぽかったが、テレワークであれば気にせず飲める。しかし、やはり・・・・微妙なのである。

烏龍茶と何が違うんだ!と言う声もあるが、ためらう自分もいる。
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テレワークによる在宅勤務が開始!慣れていないので、なかなかのストレスについての感想

 新型コロナ感染防止に伴う様々な施策の影響で、ついに私もテレワークによる在宅勤務の状況になってしまった。これまではBCP対応で、公共交通を使わず車で長距離を通勤していたが、ついに出社数そのものを下げる意味でそれもNGとなった。(関連記事: 新型コロナ拡大に伴う緊急事態宣言から、終末、じゃなかった週末を迎えた現時点までで起こった私的出来事とその感想:安全確保と最低限の事業継続との相反、そしてポスト・コロナで起こる業務トリアージの予感

 先日、ついに1日テレワークによる在宅勤務を実施したものの、やはり仕事のやり方が異なり、かなりストレスが溜まる結果となった。

 慣れの問題もあるのであろうが、少し記録として残しておきたい。

 私の仕事は、いわゆるバックオフィスの事務方であるが、調整系窓口系の業務である(要するに人事や総務といったような、この場合フル回転になるような業務ではない)。

 自宅書斎に会社支給のノートPCをセットし、自宅のネット環境を利用して会社のシステムに接続する。これはまあ何とかなり、これまでも海外出張の際にも行ったことのある作業であり、一応朝には準備が整った。

 基本的には会社のシステムが使用できメールが閲覧できれば、まずは何とか自分の業務は継続できるはずである。ただ、内線電話はない(当たり前)や当事者が近くにいない(当たり前)ので、今までとは仕事のやり方が異なってくることが気になった。

 調整系の事務方業務としては、やはりできればオーラル(口頭)、できればリアル対面での情報伝達が必要であり、メールだけ打ちっぱなしでは進まないことが多い。

 特に私のような調整系の仕事だと、最終的に「首に鈴をつける」という重要な業務がある。

 ある程度の組織だと、利害関係が入り乱れるので、誰もが少しずつ不満を持つ形で実行計画を落着させることになるのが一般的である。全員ハッピーになることはない。

 自分(の組織)にとって思い通りにならない不満を抱きつつも、この案を”呑んでもらう”という作業。

 そして、それはその当人だけが損しているわけではなく、みんな少しずつ損しているので、利害関係者全員にその説得作業が必要なのである。だが、みな「自分だけが損をした」と思うものなので、極めて労力がかかる割りに報われない業務なのである。

 そんな時は、こちらの板挟み感を対面して理解してもらう、面と向かって長い沈黙に耐える粘りも必要なアナログ作業なのである。

 これができないのが、テレワーク業務的にきついが、なかなかこれを火急の業務だと世間一般に理解してもらうのも困難な気がして、悩ましい。そのためだけに出社するのか、と言われそうで。確かに自分でも変なことを言っている気がする。

 特に今回のような事業継続モードで、実行するリソースも限られている中で優先順位を判断して実行要否が決まるような状態だと尚更である。

 時間の使い方も、より緊急性の高い、つまり現場(フロントライン)に近い相手の都合に合わせることになるため、どうしても手持ち無沙汰な状況が出てしまう。平時であれば、色々な手段でプッシュしたりできるのだが、非常時にはそのような手段も使えない。自分の優先順位が常にトップであれば良いが、そうとも限らないので判断が難しいのである。

 そんなこんなで細々と在宅でも業務を回し始めた。まあ、平時とは違うことが大前提なので、スピードが遅くなるのは致し方ないし、緊急的措置も準備してあるので、こちらの方は正直何とかなりそうである。

 元々引きこもり系かつインドアであったので、結構イケる、というか、これは私にとって理想的な環境ではないかと思っていた。しかし、そうではなく、結構ストレスが溜まることがわかり、この反応は自分でも意外であった。

 問題は個人的なもので、やはり「在宅」という業務形態がサラリーマン人生の中で初めてであり、これが非常に戸惑う。そして、精神的なストレスになっているようであった。

 これまでの通常業務でも一人完結で仕事をしていると思っており、在宅で一人なんて問題ないと思っていた。確かに一面からはそうであった。実際にこの状況下だから細々なのは仕方ないが、進めることはできている。しかし、会社という場所、リアルな人間がいる場所というのは、意外と色々と見えない別の「機能」があったのだと改めて気づいた。

 例えば飲み物一つでも、小休憩で自販機でカップコーヒーやお茶を買う。または自分でインスタントコーヒーを入れて給湯室で入れる。こうした一手間、少しの歩きと少しの場面転換が、意外に気分転換になっていたのだ。

 在宅勤務の場合、自分で台所へ行きお湯を沸かしてコーヒーを入れる。同じ様に見えるが、精神的には何か変な落ち着かなさを感じるのである。一旦日常に戻って、直ぐにビジネスに切り替わるような、あるいは日常のはずの台所にビジネスを持ち込んでしまったような精神内部の混乱があった。

 要するに、プライベートの空間とビジネスの空間がまだ混ざり合っているので、自分の中でおかしな切替の混乱が発生しているのである。どちらかといいうと、ビジネスの心理的空間が日常を侵犯、侵食しはじめているのである。それはそのはずで、プライベートのはずの書斎の一角で、ある意味「勤務」をしているのだから当然であろう。このあたりがまだ自分の中で消化・整理できていない。

 在宅でも外出して近くの自販機にジュースを買いに行くのも別に時間、移動距離共に、会社におけるそれと変わらないような気がするが、心理的な距離というものは大きい。慣れるものなのか。

 そんな状態の中でも、昼の休憩には、まるで休日のような家族での昼食があり、またそれが終わると、わずか数秒でビジネスモードに入る。これはなかなか切り替えが難しい。

 また運動不足も結構堪える。

 自宅だとほぼ運動ゼロになってしまう。

 会社の場合、少ないにせよ通勤、会社内での歩行など運動があった。在宅だと何もしなければほぼゼロである。これも結構ストレスになる。

 結局在宅業務が終わると、散歩がてら近くのコンビニまで歩き、安いワインを買って帰宅。晩酌をすることで少し運動不足とストレス解消にはなった。

 もうひとつ気になるのは、「結構アルコールに依存しそう」ということである。上記の散歩がてらの気分転換などストレス解消のキーパーツに「アルコール」が入ってしまっているのである。

 立ち飲み屋巡りが趣味であったが、この緊急事態宣言以来自宅で飲む酒量は、立ち飲み屋巡りをしていた時よりも多くなっている。しかも、ストレス解消の名目が加わっている。これは由々しき事態であり、少し在宅勤務長期化を見越して、スケジュールを再構築する必要があると思っている。

フワちゃんのようなYou Tuberはどうやってストレス解消しているのであろうか。
好きなとこで生きてゆけたら・・・

 

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新型コロナ拡大に伴う緊急事態宣言から、終末、じゃなかった週末を迎えた現時点までで起こった私的出来事とその感想:安全確保と最低限の事業継続との相反、そしてポスト・コロナで起こる業務トリアージの予感

 2020年4月7日に発せられた新型コロナ感染拡大に対する「緊急事態宣言」から約1週間。ようやく週末を迎えられた。終末を迎えられなくて良かった。

 この期間、主に仕事関係で非常にバタバタした。はっきり言ってヘトヘトである。終末を迎え、また間違えた、週末を迎えた今少し思うところを書いておきたい。

 会社の勤務地が首都圏にあるため、4/7から自主的に在宅・待機モードに入る情報が前日の4/6に流れ始めた。予告はあったものの、実態はわからず、どのようにするかの情報も混乱する状況の中で、この時点で決まったことは「基本的にBCP(事業継続)に必要な要員を残して、4/7から当面出社を見合わせること」だけであった。

 製造業とはいえ、どちらかというとインフラ系ではなく第三次産業系のメーカーのため、社会的なインフラ維持のための事業継続ではない。だからといってビジネス的には完全停止はできないため、まさに不要不急な業務の停止を実行することになる。

 私自身は実は不要不急な仕事であろうと思い、自宅で巣篭もり業務かな、と踏んでいた。しかし何故か?BCP要員に選択されてしまった。意外であるが、これは私の今の仕事が他社との窓口的な役割もあり、他社のBCPの動向を見極める必要があるから、というものであった。

 まあ電車も空いているし、と思っていると「公共交通機関での出社は禁止だから」とのこと。しかし、私の自宅から勤務地までの距離は片道約50km。徒歩や自転車はとても無理である。結局、自動車通勤になってしまった。しかもそのルートには結構な渋滞ポイントが複数ある。どう考えても1.5時間、あるいはそれ以上はかかるであろう。

 初日(4/7)は、もはや腹を括って朝4時に起床(というかほとんど眠れず)、5時には車で出発。流石にこの時間帯ならいつも空いているということで6時30分には到着。実質一番乗りであった。この時点ではまだ正式には緊急事態宣言は出ていない。車の流れも通常の感じであった。店も普通に開店している。

 会社でもまだ状況把握ができておらず、出社してきた幹部は現状の部門の業務の棚卸しと選別を始めている。要するに今後長期化も見越して、不要不急の業務は停止し、緊急性のあるもの、つまり事業継続に最低限必要な業務を優先的に実施するいわば業務の選別を行っているのである。

 しかも自社かつ首都圏だけのこの状態で、首都圏以外の支部や他社、海外拠点の一部は平常に動いている訳で、そことの調整もある。

 ただ、本社機能は首都圏にあるので、機能は危機管理的には稼働しているが、そのリソースはいわば停止、あるいは、低下している。つまり意思決定などは可能だが、平時であれば処理できる機能が大幅に低下しているのが実情なのである。バックオフィス的な業務が特にそれにあたる。この状態が意外に厳しい。購買、法務、経理、IT、施設管理など、これらは事業継続に必要だが、この状況下では大幅に組織的パフォーマンスが低下しており、いわばセーフモードで最低限のパフォーマンスしかないのである。

 事業継続判断のため必要最低限の活動を行う。また、その必要最低限という意味は「火急」である。つまり緊急性があるということである。その一方で感染拡大防止、すなわち従業員の安全管理もあるので不要不急の業務はすべきでない。

 この両者、安全管理と事業継続は一種の相反関係、トレードオフになっている。

 そこでまず実施すべきは「緊急避難的処置」を考えることであった。つまり平時の際のルール通りに動かすことは、平時の組織であれば可能だが、この非常時のパフォーマンスでは時間軸的に難しいものがある。不要不急なものは停止(ホールド)するが、BCP的に必要と判断されたものは通常通りに継続実行しなくてはいけないのである。それをどうするかを判断しなくてはならず、まずはそこを関係部門と調整する必要があった。つまり、通常なら関係部門の承認が必要だが、この緊急的な場合ではその承認をすることが事業継続にとって障害となる場合には、その部門承認は事後処理にする、などの承認を事前にその組織と行っておく必要があるのである。これは後々責任問題というか、後日”犠牲者”が出ることの防止でもある。要するにフロントラインシンドロームで、現場が暴走して自己判断した場合の個々の責任問題を、ある程度回避するための予防処置でもあった。

 次に情報統制を行う必要があり、情報ハブを作っておく必要があった。とかくこの手の混乱状態というか見切り発車的な動きの場合には、情報が錯綜しやすく余計な仕事が増えるので、まずは情報ハブを決めて、そこから一元的に下ろすような動きというか、まず関係者に「宣言」する必要があった。

 そして、何よりまずは事業継続観点で何を残し、何を止めるかという決定に従うべき、という認識を全体で共有する必要があった。個々の個別判断で実行と停止が決まると、必ず軋みが出るからである。そしてこの場合、忘れがちなのは、個々の生命の安全が全てに優越する第一優先であり、この前提を同時に理解させることであった。

 順番は前後するが

①安全が第一優先である前提の上で、事業継続観点から継続すべきもの、停止すべきものを選別するという方針を内部で理解させ、何を継続/停止するか経営的に合意をとること。

②その上で平時のパフォーマンスが低下している中でも事業継続するための緊急避難処置を考え、関係部門と事前に合意すること

③情報ハブをできるだけ早急に決める、あるいは宣言してしまい、一元管理と統制を取り戻すこと

 この3点をできるだけ速やかに(まだ機能が多少残っているうちに)する必要があり、そのための動きを実施してきた。非常に疲れたのである。

 とはいえ、リアルタイムで動く話なので、情報はやはり錯綜し、福島第一原発で誤解?として起こったような現場での勝手な「撤退宣言」が出たりして、統制が一時的に狂ったりもした。まさに情報の混乱に起因するものであり、これを整理するのにも余計な時間と労力がかかった。

 やはり事業継続するとはいえ、最終的には「新型コロナのこともあるが、ここは事情を理解して可能であれば出勤して欲しい」という判断を個々の従業員に迫ることにもなるので、単純な話ではない。個人にも家庭の都合や不安もあるのは当然のことである、第一優先は生命であり、その前提で、最低限何ができるかを判断することが求められていた。原発事故と違って、今回は究極の究極手段である”じじいの決死隊”もできない。むしろ高齢者の方が危険であるからである。

 これらの対応を行ってきたのが4/7,4/8であった。混乱はあるものの、ようやく整理ができてきた。その後4/9,4/10では少し事後的な動き、緊急避難処置をした後に、平常時復帰後のすべき残務の整理など少し落ち着いた仕事モードになってきた。

 車通勤はきついが、確かに自宅から車で出勤し、閑散としたオフィスで一人で仕事(ほとんど電話とメールとTV会議で仕事なので接触はない)、食事も持ち込み(カップ麺がメイン)なので確かに人との接触はほとんどないのも事実であった。

 4/7は緊急事態宣言が発令された当日でもあり、大渋滞で3時間かかり、前日眠れていないこともあり、流石に安全を見て、翌日は多少遅めに出ることに。

 宣言後の4/8朝は、さすが日本人、ほとんど車の渋滞はなく、1時間強で到着。幹線道路沿いの店も閉まり始めていた。やはり平時ではないことを実感する。

 特に今回は、一旦企業活動をストップした上で、事業継続すべきものを選択復活させる、というステップを踏んでいるので、急ブレーキの直後の急発進になっている。その結果、いろいろなところで「社会的な鞭打ち症」が発生している。もちろん普段から危機管理の準備はしていたはずであるが、結局、組織というものは多重の情報伝達経路を含んでおり、意思決定が即時に伝わる訳もなく、ある種のイナーシャ(慣性)が存在し、それによって末端までのタイムラグや伝達遅れが生じるのである。まさにその点に振り回された1週間であった。

 長期化を見越して在宅、リモートなどの環境を整えつつあるが、おそらくこう考えている。

 新型コロナの影響は長期化ないしその影響で経済活動は低下するであろう。つまりコロナ前の業務と同じようには戻らない、ということである。

 仮にワクチンが開発されて安全確保されても、である。

 それはいわば経済活動が低下した結果「その業務そのものがなくなる、あるいは、元々不要なものだったと判断される」からである。

 つまり無用の用ではないが、以前なら「よくわからないけどあった業務」とそこに割り当てられた人がいたが、これが今回の急停止によって「この人がいなくても(戻って来なくても)別に組織としては困らない」ことが改めて浮き彫りになってしまっているのである。

 今後順次、優先順位に従って企業活動はそのペースや業務形態はまちまちであろうが、次第に元の状態に復帰してくるであろう。しかし、その戻り方には優先順位があるのである。

 そしてそれは個々の個人によって異なる。

 いわば「戻すべき価値がある人」から順番に戻す。そして周囲は順次お呼びがかかっているのに、いつまでも声がかからない「自宅待機組」が出てくる。彼らの心中はどうなのかと思うと残酷な光景が目に浮かぶ。

 これは患者の重症度に応じて治療の優先順位を決めると同様の「業務のトリアージ」である。そして死亡者を意味する「黒タグ」を付けられた人は、もはやその場に置かれ、一番最後に収容されるのである。

 ポスト・コロナの光景はまさしく業務トリアージの後の光景であろう。

 それはまだどうなるかはわからないが、不可逆であり、かつての光景と同じでないことは確実であると思われる。

 またこうしてこのドタバタ(まだ続く)を振り返ると、平時モードの人間とカオスモードの人間で得意分野が違うというか、人間性が浮き彫りにもなる。平時では優秀な司令官が、いざ非常時には指示待ち人間(指示くれ、他人に決めてくれ)になってみたりと、なかなか人間模様も多々見えてくるのである。

 やはりこうしたカオスな状態になると、何を優先に考え、判断すべきかが試されているとも言える。

 まあ、偉そうに言っているが私自身はある意味BCP対応とはいえ一つの「駒」に過ぎないので、ただ黙々と仕事をするだけであった。今週の終盤には若干不謹慎だが「普段より静かな環境で、他からの業務インタラプトもなく、黙々と一人完結で仕事ができるので意外にこの環境は良いかも」とすら思えてきた。

 とはいえ、電車通勤なら途中の立ち飲みで一杯もできるが、それも今やできず、楽しみといえば帰宅途中に自宅近くのコンビニに立ち寄り、アイスを食べ明日の朝食と昼食のカップ麺を購入しつつ、晩酌用の500円くらいのワインを買って自宅で飲むだけであった。車通勤は明らかに運動不足であり、少しずつストレスは溜まっているようである。

 東日本大震災の時と比較すると物資に関しては十分あったのでこの点は心理的にも助かる(紙マスクは見かけないが、布マスクを自作したので安心)。やはりフロントラインを維持するためには十分な兵站(ロジスティクス)が必須であり、現時点では何とかこの点では心理的なパニック感は抑えられているような気がする。

 ただ我々のような後方にとっては一応安心かもしれないが、現時点における「フロントライン」は医療現場がまさにそれに当たる。

 実は今回の自粛措置はその最前線(フロントライン)に向けて補給線を造り豊富な物資を優先的に供給する、あるいは、そのフロントラインを維持するための感染ピークのブロード化ということが求められているのであろう。だが、その割には、後方での議論の方が、大きくクローズアップされていることが少々気になるところである。

暗い気分なので「日めくりフワちゃん」でゲン直しである
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