多摩地方、雪積もってきた。明日出勤なんだけど、早朝の路面凍結が嫌な予感・・・

 テレワークだと、全く外の状況がわからない。

 なんか外が騒がしいな、と思ってみたら、なんとそこそこの雪が。

 まあ在宅ワークだから今日時点では特に問題はないのだが、明日は久々の出勤予定日になっており、明日の朝に路面凍結が当然の如く予想されて、非常に不安なのである。

 昨年は確か早朝に転んで、手のひらが血塗れになるというアクシデントもあった。その度に雪道対応のブーツとかを検索するものの、結局関東だと買うタイミングを逸し続けるので、そうした雪道対応装備は、ない(偉そうに)。

 今回はどうなるか、非常に不安なのである。

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第二次テレワークの開始-テレワークメインとなった世界での成果評価において、「過程」をどう評価するか/してもらうかについて

 首都圏の二回目の緊急事態宣言を受けて、やや遅ればせながらも私も再度のテレワーク(在宅勤務)に突入である。

 先週はその準備のため出社したが、あまり電車は空いている感じはなかった。やはり様々な事情を抱えている中で、世の中、急にハンドルはきれないという感じなのであろうか。

 前回の経験もあるし、物資(インフラ)は市場にある。なので快適に過ごすための手段系は色々準備ができる程度の経験値は蓄積できたつもりである。

 今回準備したのは①サーモスのタンブラー②耳へソフトタッチするヘッドセット③ペットボトルのお茶500mLを箱買い④マルチビタミンサプリ、である。

 とはいえ、再び出張などの人間の物理的移動はしずらい状況になってしまっており、その中でも仕事を前に進めるための知恵も出して行かなくてはいけない。

 テレワークという各自が潜航して作業をすることになるため合意形成なども難しくなる。個々人が今までと異なる思考で、仕事を回して行かないと”業務トリアージ”の状況の中で、”あいつ、そういえば最近見ないな?いたっけ?”のように、在宅の中で存在そのものが埋没してしまうことにもなりかねない。

 要するに、個人が評価される場合にも、「汗をかく姿」をテレワークでどう見せるかというテクニックも新たに出てくるわけである。

 これまではリアルな姿を見せて、業務プロセスとして「成果は出なかったけど、過程での努力は認める」なんてこともできた。それに基づくテクニックも各自持っていたはずなのである。

 しかし在宅メインになると、息を止めて潜航しつつ業務をし、時々息継ぎするため浮上するようなものなので「成果に至るプロセス」が見えづらくなる。

 こうなると「努力」の姿をどう見せるかが悩ましいことになってくるのであろう。もちろん結果が全てで、ゼロイチで割り切れればそれでも良いのだが、そんなドライに評価を下せる訳もない。

 「過程」を「家庭」で、どうやって見せるかが、これからのビジネスシーンで重要になってくるのではなかろうか。

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2度目の緊急事態宣言。疲弊した社会で戸惑いつつも再びテレワークの準備

 またしても緊急事態宣言である。今回は一般企業への休業要請はしておらず、テレワーク要請であった。

 その結果何が起こるか。

 一見前回の休業要請より”緩い”制限にも聞こえるが、実際にはそんなことはないと思う。

 前回は、公共交通期間をできる限り避ける、ということで、クルマ通勤や会社徒歩圏内にホテル住まいなどの手段もあったが、今回のケースでは、この手段はテレワーク数にカウントされないので、意味がない。

 つまり、テレワーク数が追いかけるべき数値指標となっているので、とにかく何より自宅でテレワークをする、ということになる。

 感染防止の接触機会低減という意味では、クルマ通勤や徒歩通勤などでも同レベルと思えるのだが、今回のようにテレワーク一択となると従業員への制限は意外ときついのである。

 特に、事業継続のためには生産現場などテレワークが不可能な部門もあり、そうなると企業活動全体として一定のテレワーク率を確保しようとすると、組織内の重みづけ分布の結果として、ある部門に関してはかなりの人数をテレワークにする、などの歪みが現れるのである。

 ただ、テレワークで業務を遂行すること自体は前回に経験すみであり、その意味ではあまり大きな混乱はなさそうだ。

 むしろ今一番悩ましいのは、そうしたテレワーク前提における企業内での”テレワーク分布ムラ”である。要するに、緊急事態宣言によって、大きく振り回される部門とそうでない部門があり、振り回される部門の疲労が蓄積していく、そしてそのことに対してあまり注目されていない。むしろ「テレワークができて、いいよな」と思われている節があるのだ。そんなことはなく、以前にも書いたが、変化に対する抵抗力、あるいは慣性力が人間にはあって、振り回されることで疲労が蓄積しているのだ。

 などど考えながら、私もテレワーク再開に向けて、いそいそと準備を開始中である。

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もう一人の俺が仮想通貨で借金して親にお金を無心するというのを実家で待っていた話:オレオレ詐欺orアポ電強盗に遭遇した

 先日のことである。

 本厚木駅の立ち飲み屋「三百文」で一人、芋焼酎のお湯割を飲んでいた時のこと。携帯が鳴った。

 発信者は私の老母である。キャッシュオンのため、気を遣うことなく立ち飲み屋から一旦外に出て、電話をとる。

 母「○○(私の名前)、いまどこ?」

 ぼく「会社だけど(と嘘をつく)」

 母「…やっぱり。さっきのは偽物だったのね。実は今さっき電話があって”〇〇(私の名前)だけど、今から行っていい?”という電話があってね」

 ぼく「なるほど。オレオレ詐欺みたいね」

 母「声が違うからどうしたの?って言ったら”エアコンつけて寝てて”というのよ、それでそうなのかな、と思って」

 なんか典型的な騙され感あふれる展開なのである。

 ぼく「で、どうしたの?」

 母「いや、また改めて電話する、って言うから」

 ぼく「警察に電話したら?」

 母「そうね。そうする」

 ということでこの問題は落着したのかと思っていたのである。しかし、再度母親から電話が。

 母「警察に電話したら、これは現行犯逮捕したいので、そのまま話に乗って下さいって言うのよ。また次に電話がきたら、騙されたふりをしてくれって」

 ぼく「…囮り捜査みたいだけど、めちゃくちゃ怖いじゃないの」

 何か知らないが、そうなると私の実家にもう一人の私が来るかもしれないのである。まあ、それはないだろうが、今度はいわゆる”代理の人”が来るのであろう。しかし、それにしても電話という情報レベルから、直接的な物理的世界にフェーズが近づいてきた訳で、これはリアル犯罪の匂いがしてきて結構怖い。

 仕方ないので、翌日会社を休み、早朝に実家へ行くことに。

 私の考えとしては、まあ警察の考えもわかるが、こちらとしても当人のリスクが高いので、そこをリスクヘッジしたい。

 そもそも老夫婦がすでに電話レベルで騙されそうになっているので、さすがに物理的にリアルな息子が近くにいれば、バーチャルな息子が繰り出す会話の動揺作戦には惑わされないであろうという戦略でもある。

 早朝に自宅へ入る。

 警察によると「これはオレオレ詐欺ではなく、アポ電強盗の手口です。不在のタイミングや、現金がある家を特定し、そこで犯行におよぶ手口です。電話がきたら、とにかくすぐに110番通報してくれれば、すぐに自宅へ刑事部が向かいますから」とのこと。

 なんか、めちゃくちゃ怖いんですけど。

 アポ電強盗の場合、要するに自宅に押し入ってくるわけで、オレオレ詐欺とは全く様相が異なる。騙し、というより、手段が物理的な方法を行使してくる恐怖がある。

 更に、面倒なことに、私自身も今自宅にいても、第三者である警察に対しても私がリアル息子であることをすぐに証明できないのだ。つまり警察にとっては、ここにいる私が、犯人としてのフェイク息子なのか、リアル息子なのかはすぐに判断できないはずで、要するに下手に実家の周りをうろうろしたら、近くにいるとする警察によって、私が誤認逮捕されてしまう可能性もあるのだ。そんな感じで、実家の中に引きこもること6時間。ついに電話がきた。

 母「〇〇?大丈夫?」

 母「どうしたの?落ち込んで?」

 母「仮想通貨で?300万円の借金?会社には言えないの?」

 母「…こっちにお金なんてないわよ、年金暮らしなんだから。5万円くらいならあるけど」

 と言う会話。確かにここで用立てたら、家に誰か人がきてしまうギリギリの線。母親も囮捜査の限界を感じた模様である。

 その電話を聞きながら、

 父「お前、大変だな。そんな借金してんのか」

 ぼく「そうみたいね」

 と言う会話。

 結局もう一人の私は「また、少し考えてみる」と言う回答の模様。

 そしてその直後に警察とも連絡した結果「多分、もう来ないでしょう。来たとしても”息子と連絡した、警察にも通報してある”、と伝えてください」と言うことで捕物帳にはならずに済んだのであった。

 しかし、まだここでは終わらなかったのである。

 こんなこともあるので、今後連絡する際には、オレオレがかかってくる固定電話を使わず、携帯電話でやりとりをしようと、新たなルールを両親と決めたのであった。

 しかし、さすが老人、それを忘れてしまうのである。

 別の用事ができて携帯に電話。

 出ない。何度かけても出ない。近くに持っていないのか。

 仕方ないので、実家の固定電話に電話をする。嫌な予感がビンビンするのである。

 ぼく「もしもし、オレだけど」

 母「…もう警察に電話しました!」

 ぼく「いや、違う、本当のオレだから!」

 母「…もう、息子とは連絡しました!しつこいですよ!(ガチャン)」

 ということで、実の息子とすらも会話するチャンネルを喪失してしまったのである。

 ぼくがぼくであることをどうやって証明すれば良いのであろうか。

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【死して屍拾うものなし】成果主義を追求した結果、誰もやらない仕事=汚れ仕事ってあるよね

 長く仕事をやっていると、どうしても誰もやりたがらない業務、みんなが避ける業務が回ってくることがある。

 人間の心情としてスポットライトを浴びるような業務や、すぐ成果が出る業務をやりたいのは理解できる。

 成果主義がメインとなった昨今ではなおさらだ。

 ただ成果主義の悪いところは、結果として”越えられるハードル”を最初に交渉して、それを飛ぶ、という出来レースが横行してしまうことであろう。

 本来、越えられるか越えられないか、というところは成長性、伸び代を試す場面であろうが、この悪しき成果主義が加速してしまうと、まずは”越えられるハードル”を事前交渉され、その上に結果として超えられなかった場合の自己責任回避の他罰主義まで横行するのである。

 つまり「僕はこの期初目標を達成できる結果を出せました。しかしそれは外部環境のせいでそれはできなかったのです。つまり、今回の未達成は僕のせいではない。評価はAでよろしく!」という状況が生まれるのである。

 初めから失敗がわかっている業務とか、進めていくと絶対揉め事がありそうな業務は完全に誰もやりたがらない。

 素直に自動的に成果につながる仕事を欲しがる。リスクなんて取らない。

 ただそんな出来レースみたいな仕事は、いわばルーチンワークなので付加価値もないのである。

 チャレンジングな目標を立てても誰もやらない。

 結果として、コンサバな結果を集めたコンサバな組織の成果になり、最後に管理者は「なんでこんなコンサバな結果になるのだ!」と怒られる。

 だが、それはこの悪しき成果主義の必然の帰結であり、仕方ないのである。

 こんなやりすぎな成果主義が横行する中で、あえて失敗やトラブルが約束された「汚れ仕事」は誰もやりたがらないのである。いわゆる野球のお見合いのような誰も取りにいかない仕事が溢れてくるのである。

 だが、結局誰かがそれを処理しないと終わらないので、仕方なく、そうした業務が回ってくることもあるのだ。

 特に技術者は、技術に特化しているので、泥臭い労務や法務などには全くの無力であり、こうした業務が残り、誰かがやらなくてはいけなくなることが多い。結果として、貧乏くじのように誰かがやる羽目になるのである。

 そのとき、偉い人は「良きにはからえ」だし、中間管理職はババ抜きゲームであり、本社系の人々は「現場で解決してくれ」だし、最後に誰かがこうした火中の栗をあえて拾わなくてはならない。

 私もこうした「汚れ仕事」をやった経験を述べてみたい。

 だが、ここでいう「汚れ仕事」とは、総務人事がいう「汚れ仕事」とは意味を異にすることは注意を促しておきたい。彼らは、アンダーグラウンドな世界のあれやこれやなので、これは本物の世界である。

 しかし、こうした中間的な「汚れ仕事」もあるのである。

 こうした中間的な「汚れ仕事」をやるようになって実感するのは、やる側は貸しとして記憶するのだが、やらない側は目を背けるので、非対称になる。

 こちらは「貸し」と思っているのだが、相手は全く意に介していないのだ。

 まあ、本人からするとやるべきでない仕事なので、なんか”ゲテモノ食いのやつがいるな”程度の感覚なのかもしれないが、こちらも無形的でも報酬的なものがないときついのである。だが、実際はない。

 そんな私が社会人生活で経験した「汚れ仕事」を以下に列記してみる。

◆空気を読めない他組織の新参者がKY発言を連発した会議のあとで、自組織の偉い人から言われた「あいつを次回から排除しろ」→仕方ないのでその上司にネゴするが、基本的に他人の組織に手を突っ込むのはご法度なので非常に交渉が難しい。

◆トップの意思がぶれている場合、そのブレを下位層に知らせると結果的に皆二転三転になり信頼関係が薄れる場合、あえてそのトップの「ブレ」を伝えず、握り潰す。どうせもう少し時間が経てばトップの意思も変わるはずと信じて、あえて「伝えない」。いわゆる高周波成分をカットするローパスフィルタのような役割であるが、最悪、伝えなかったことに起因する責任は全部自分が負うという覚悟込みなので、その間、眠れぬ日々が続く。

◆合意ができていないが、とりあえず話だけは進めなくてはいけない場合の、その後の交渉。結果として言った言わないや、最終的に落とし所をどうするか、など長い交渉が必要になる。

◆最終的に、相手に敗北を認めてもらうためのメンツを立てるためだけの謝罪や裏工作。とりあえず「(全然そうは思っていないですけど)誤解を招いてしまい、申し訳ありません!」と謝るところから。

◆ルールは決まっているが、そのルールの運用を曖昧にした結果生まれる玉虫色な状態。結果としてどこかでそれを白黒決着させなくてはならないが、それを誰も言いたくない場合に、あえて反論や不満が返ってくることがわかって告知する役目。「ルールで決まってるから!」と言い切るしか答えはなく、妥協の余地などないのだが、それを当人にいう役目は誰もやりたがらないのである。

◆トップ同士で「決まったことだから」と呼ばれたが、実は何も決まっていないが、トップ同士で自分に都合の良いように相互解釈している業務のフロントラインにいることがわかった時。まさに板挟みである。成果を出せば、どちらかの利益に相反するし、何もしないニュートラルな回答だと自分の無能さを曝け出すというまさにチェックメイト状態である。

 結果として、若い衆からは「あの人の言うことは信用できない」と言われ、周りからは「あいつマネジメント下手くそだな」と言われ、まさに汚れ仕事。何も良いことないのである。

 まさに隠密同心「死して屍拾うものなし」(by 大江戸捜査網)の心境なのである。

 

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謹賀新年2021年!予測不可能なカオスな状況で如何にして目標管理をすれば良いのだろうか?

 2021年である。

 昨年の年初も「大変な一年」と書いたが、結果、新型コロナのせいで予想だにしなかった大変さであった。

 コロナは収束の兆しを見せないし、ビジネス環境はますます不透明さを増している。

 酒量だけが増えている困った状況である。

 これだけ環境が不透明な状況になってくると、目標もへったくれもない訳で、目標自体が時事刻々、フレキシブルに変化していくような対応を求められる。

 従来まで行われてきた成果主義だと、目標を設定して、そこに向けての達成状況管理が行われるが、コロナ以降の環境の非線形性というか時定数の速さにこれまでの目標管理システムは通用しなくなる。少なくとも昨年に関してはそうだった。

 結局未然防止というかリスク管理、危機管理と言っても、ある程度既存のパラダイムの中で予測されたリスクに対しての備えであって、想定外の事象にはあまり役に立たない。

 こんなカオスな(数学的な意味で)状況において、我々自身も臨機応変というかアジャイルというか、一歩間違うと非難轟々の「行き当たりばったりの無計画」に陥るような綱渡りの対応、いわば”無管理の管理”といった禅問答の世界を目指すことになりそうだ。

 そんな悩みを抱えつつ、2021年も無事生きていくしかない。

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2020年の大晦日を迎えて

 2020年もなんとか大晦日を迎えることができた。大掃除も終わり、本日は落ち着いた1日を過ごしている。

 新型コロナのおかげで今年は年始の実家挨拶も自粛となり、初詣すら(おそらく)神社の方向に向かって参拝となるであろう。なんか物足りない気もするが、コロナとは言っても所詮人類レベルの騒ぎであって、神様はこんな人類の騒ぎでいちいち気にしないであろう(勝手な推測)。

 しかし、それにしてもこのコロナは何とかならないものか。真綿で首を締められているような感じであり、次第に社会の生命力が消耗させられていく。

 オープンスペースなら良いかと思っていた町内会の「どんど焼き(左義長)」も中止になった。定年を迎えた人々への送別会といった定期イベントがあったが、これもできない日々が続く。

 これから定年ラッシュが続く中で、もう会うことのない(できない)人が増えていく。今まさに社会断絶が発生するのを目の当たりにしているような状況であるが、どうすることもできない。なんとも複雑な年末になってしまったのである。

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2020年のリセットの意味も込めて「とらふぐ亭 八王子店」で、豪勢にフグ料理(てっさ、唐揚げ、てっちり)を食べてきた

 色々あった2020年も、ついに終わろうとしている。

 今年は非常に疲れた。

 コロナの件は、まさに想定外。新型コロナの感染拡大という、当初全く予想だにしなかった出来事によって、ものすごく社会的にも個人的にも翻弄された一年であった。

 緊急事態宣言による休業やテレワークなどの経験、更に移動自体の制限。

 こうした環境の変化に伴ってビジネスとして「事業継続」というキーワードが顕在化したように、我々自身にとって「変化」が求められることとなった。

 参考記事:新型コロナ拡大に伴う緊急事態宣言から、終末、じゃなかった週末を迎えた現時点までで起こった私的出来事とその感想:安全確保と最低限の事業継続との相反、そしてポスト・コロナで起こる業務トリアージの予感

 個人的には、クルマ通勤やテレワークによるストレスで、飲酒量が増大、これは修正できていない。昨年のダイエットにより肝臓数値は戻ったものの、このままではアルコールでやられてしまう。

 とはいえ年末となり、ここは一発散財してやろうかい、ということで「フグ料理」を食べることとした。フグ料理はおそらく生涯2度目。前回は、大阪に出張した際に食べて以来なので、12年振りくらいである。

 更にフグ料理といえば冬なので、かなりの贅沢であるが、このくらいは許されるのではなかろうか(誰に対して?)。

 前から目をつけていた店前に水槽がある「とらふぐ亭 八王子店」に行って「泳ぎとらふぐコース」を注文したのであった。

 個室もありソーシャルディスタンスもバッチリである。

 酒はやはり「ひれ酒」である。バッチリ味と香りが移っており、香ばしい日本酒を楽しめる。つぎ酒を2回繰り返しても、まだ大丈夫であった。

 そしていよいよ「泳ぎとらふぐコース」である。

 まずは「皮刺し」。コリコリとした食感が良い。

 「てっさ(フグの身の刺身)」である。薄造りをカボスを絞ってもみじおろしの醤油でいただく。う、旨い。

 そして身がピクピク動いている「てっちり」である。店の指示通り、先にフグの身を煮て、出汁をとってから野菜、そして最後は定番の雑炊で締める。うまかった。

 ちなみに鍋は、このような和紙を使った紙鍋である。風情がある。

 「フグの唐揚げ」もきたが、あまりの旨さに一気に食べてしまい、これは写真を撮り忘れた。

 そしてコースにはないが、「白子焼き」も単品で追加注文してみた。クリーミーで絶品である。

 まあ、そこそこの値段で出費であったものの(しつこい)、減ったもののボーナスも一応出たし、今年は忘年会も自粛でそちらの方の出費はないので、こんな感じの贅沢も許されるのではなかろうか。

 来年こそは良い年になることを祈念するばかりである。

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ご飯の代わりに豆腐ならダイエット中でもいけるのか?すき家の「牛丼ライト」を食べてみた

 ダイエットを開始して1年、そこそこの成果は出たが相変わらず「日常の食事をどうすべきか問題」が解決していない。リバウンドの恐怖と戦いながら、食べたいものを「微妙に」我慢しているのである。

 牛丼屋の前を通る度にヨダレが出るが、炭水化物の塊、というイメージを植えつけてしまったのでどうしても利用できない。かつてはカレギュウ大盛りを毎朝の朝食にしていたのに。

 そんな日々。すき家のメニューに「牛丼ライト」なるものがあることを聞きつけ早速行ってみた。

 ご飯の代わりに豆腐を使うというもの。なるほど松屋の定食でもご飯を湯豆腐に変えるというパターンもある。

 今回は、牛丼ライトのお肉大盛りに、豚汁をつけてみた。カロリーは515kcal+157kcalと、まあまああるが、低糖質なのは間違いないはず。

 食べてみた感想は、肉はまさに牛丼のアタマであるが、トータルで少々微妙。

 上図にあるように3層構造になっている。最上位の肉は申し分ないのだが、その下層にあるサラダと豆腐が冷たい状態(これはデフォ)で、かつ、豆腐にポン酢がかかっている。この組合せとしては悪くないはずなのだが、なんか牛丼を食べた感がないのだ。これならいっそ”ひき割り納豆”とかと一緒に食べた方が、もう少し「牛丼感」が出るような気がする。

 まあ、ただ美味いは美味いので、贅沢を言っても仕方がない。わかってはいるのだが、やはり牛丼の持つガッツリ感は、なかなかダイエッターには手の届かない遠いところにあることを改めて実感させられたのであった。

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茅ヶ崎のお土産といえば「えぼし」の「かぼちゃプリン」。そして茅ヶ崎駅前にかつてあった居酒屋”赤い魚”の思い出

 茅ヶ崎にもかつて住んでいたことがある。

 8年間くらいであろうか。そういえば東日本大震災の時も、茅ヶ崎に住んでいたし、町内会のお祭り関係で有名な「浜降祭」の準備(というか完全な下働き)で死ぬ思いをしたのも今では良い思い出である。

 やはり湘南地方、温暖なのでのんびりした雰囲気があったような気がする。

 その頃、甘いものといえば「えぼし」の「かぼちゃプリン」であった。魚料理で有名な地元居酒屋「えぼし」が作る、このスイーツが激ウマだったのである。

 「えぼし」店舗自体は少し茅ヶ崎駅から距離がある。ただ駅ビル内にも販売専門の店舗があり、お惣菜とかスイーツは買うことができた。

 ただ、私が在住していた頃には、茅ヶ崎駅の南口に「えぼし」グループの「赤い魚」という大きめの居酒屋があり、ここが魚料理が美味く、ここで飲んで帰りにお土産で「かぼちゃプリン」を購入して帰るのが、家庭サービス込みで常道であったのだ。

 時は流れ「赤い魚」も閉店し、私も茅ヶ崎から引っ越してしまった。そんな折り、茅ヶ崎へ訪問した人から、思いがけず「かぼちゃプリン」をいただいた。

 久々にいただく。

 半分まで食べたところ。コッテリとした生クリームが効いたかぼちゃの味と、カラメルで非常に濃厚であ理、一人で全部食べるのは無理っぽい(笑)。

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