【ブックセンターいとう】30年前の多摩ニュータウンにあった超大型古書店の思い出【博蝶堂】

 あれは1980年代前半から1990年代前半。

 まだバブルが弾けていない、古き良き時代のことであったと記憶している。

  多摩ニュータウン近郊に出現した「超大型古書店」の思い出について語ってみたい。

 これはBOOKOFFのようないわゆる「新古書店」とは異なる。

 既存の町の古本屋の倉庫を、そのまま深夜営業の大型店舗にしたようなカオス感というかアナーキー感が漂う非常に面白い店であったのである。

 特徴としては、

 ・郊外にプレハブ倉庫のような超大型店舗(場合によっては2階建てもあり)

 ・深夜営業(おそらく大学生向け)

 ・本棚が異常に多い

 ・同じ本を多数置くことも許容

 ・大学の指定教科書の販売が多い(多摩ニュータウンの特徴)

 ・雑誌もバックナンバー含めとにかく多数置く

 ・今でこそ「あり」だが、立ち読み自由

 といった形で、とにかく物量が異常に多かったのである。

 おそらく多摩ニュータウンの立地(土地があり、大学生が多い)に適していた形態だったのであろう。

 また、BOOKOFFのような、本にスーパーのようなシール値札をつけるようなことはせず、 古書店らしく裏に鉛筆で値段を記載していた(当時のこと。現在は不明)。

 しかし、その後BOOKOFFなどの新古書店の台頭により、この店舗形態は駆逐され、それと同質化していった。

 そして現在のBOOKOFF的な新古書店ビジネスの停滞とともに、いっしょに駆逐されようとしている。

 代表的な店舗としては

 ・ブックセンターいとう

  ・ブックスーパーいとう(上記の”センター”と兄弟店舗らしく、のちに統合)

 ・博蝶堂

 などがあった。

 特に「ブックセンターいとう」の本店(東中野本店)は野猿街道沿いにあり、その2階建てで極めて巨大な店舗には度肝を抜かれ、圧倒された。まさに今でこそ当たり前の”せどり”の宝庫のような感じであったが、意外にも値付けは正確であったように記憶している。

 周辺の中央大・明星大などの大学指定の教科書などが大量にリサイクルされるようで、結構理工学系の書籍もあり、理工系の学生にとっては助かった。

 学生時代の私は50ccバイクに乗って、深夜の時間潰しもかねて良く寄っていた。いくら時 間があっても見尽くせない物量であり、心ときめいたのである。

 この店は今も同じ場所に店を構えているが、BOOKOFFに近い形態になってしまっており、当時の面影はない。

 博蝶堂も野猿街道沿いにあった店舗であり、既に閉店している。

 形態はさらに”古本屋の倉庫”に近い形態になっており、高い天井まで届く本棚には黄ばんだ年季の入った古い本が大量に並んでいて、カオスに加えエキゾチックな雰囲気があった。誰が買うの?と思われるような本が、多くあったのだ。

 ここで今や完全に忘れられている(?)城戸禮(きどれい)の三四郎シリーズ(春陽堂文庫)を1冊50円で大量に購入したが、その後の扱い(処分)に困ったのも良い思い出である。当時の私のつたない”せどり能力”では、これを掴むには時代が早すぎるのを感知できなかったのである。

 河出書房の<現代の科学>シリーズも、大量にかつ安価(300円均一)で販売されていた。これは今でも入門書としての価値があり、助かっている。

1冊300円で購入した河出書房の<現代の科学>シリーズ

 2019年5月、町田にあった大型古書店「高原書店」の倒産、閉店がちょっとしたニュースとなった。

 ここが今私の生活圏の中で、最後の”超大型古書店”であった。

 予備校を改造した店舗で、4F建てにぎっしりと書籍があり、学術書、児童書、漫画、SFなどジャンルは多岐にわたり、セール本から高価本まで値付けも確かであった。

 四国にあったという倉庫の100万冊とも言われる膨大な書籍の行方はどうなってしまうのだろうか。再び古本市場に流れて、我々の目に留まれば良いが。

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”家のちょっとだけ外の”「チェアリング」の最近のアップデート状況

 相変わらずの新型コロナは収束しそうでしないし、テレワークも盛り上がったり、揺り戻しもあったりと、まだまだ新しい生活状態に向けては中途半端な状況である。

 そんな感じで飲み歩きも再開しているが、やはりあまりアグレッシブにできるような感じでもない。そんなこんなで、”家のちょっとだけ外の”「チェアリング」も続いている。

 関連記事:自粛期間中の酒飲みは、家の裏庭でひっそりと「チェアリング」

 関連記事:”家のちょっとだけ外の”「チェアリング」において、快適に過ごすためのガジェットについての検討【Wi-Fi中継器など】

 最近では、更に工夫して「チェアリング」アップデートしてみたので、報告してみたい。

 B6サイズの小型バーベキューコンロを購入(ホームセンターで3,000円くらい)。炭をセットして一人BBQをトライしてみた。

 何故か豚肉を買ってしまったのでイマイチであったが、そこそこ楽しい。ただ一人でBBQやるのは少々焼いたり、飲んだりと忙しかった。

 これはこれで面白いが、台所まで1分のところで何故こんなことをするのか疑問を感じる瞬間がある。

 続いて、チェアリングの王道とも言える、水場でのチェアセットもやってみた。

 2kmくらいのところにある浅目の川で、近くのコンビニでドリンクを調達。

 短パン+サンダルで川に入り足を冷やしつつグビリと。残暑も厳しいので、日陰がないのがきついが、良い気分転換になった。

 ただ少々気になるのが、写真右下の流れで冷やしていたハイボールが気づけば無くなったことである。どこまで流れていってしまったのであろうか・・・。

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町内会の祭りは無くなり、広場の除草作業も無くなり、共同作業がなくなって楽になりそうだと思いつつ、このままだと断絶による経験知の承継問題が顕在化しそうな一抹の不安がある

 新型コロナ感染防止のための緊急事態宣言は終わったものの、まだ状況は不透明である。

 町内会も、なんだか活動自体が不透明で先が見えない状態に陥っているようで、こうした小規模の自治活動を、コロナ後にどうすべきか誰もスタンスが掴めていないような雰囲気になっている。

 月一恒例であった町内広場の除草作業も、おそらく密度問題により中止、その結果、広場はクローバーが群生している。まあ、これはこれで生物的には(蜜蜂とか)いいのかもしれない。

 そして本日、回覧板で「夏祭りの中止」の連絡も回ってきた。

 別に我々の町内会だけが祭りを中止したわけではない。周辺の町内会も同様なのである。また、密接な地域の神社の例大祭も同様に中止になっている。

 やむを得ないのは理解できるのでこの判断には文句はない。

 ただ、こうしてコロナ前後で日常活動が変化する、その際に、継承できない経験知のようなものがありそうで、これらを取りこぼしてしまう不安がある。

 個人的には高齢化の中で町内会活動は”茹でガエル”状態になっていると思ってきた。

 活動の”引き算”が必要だが、なかなか実際問題、恒例行事をやめることは難しい。

 特に理由としてリソース問題だと尚更である。

 ”頑張れ”みたいな精神論が出てきて、結局、真綿で首を締めていくような”茹でガエル状態”になってしまう。

 今回のケースは、結果としてこれまでできなかった活動の”引き算”が、コロナという外的要因によって達成できたことになる。

 特に高齢者への影響が大きく、彼らが当事者になったことが大きかったであろう。

 従来のケースでは、高齢者はむしろ当事者ではなかったが故に、”従来はできたものをやめるのはどうか。自分たちの世代ではできた”のような言説が一定の発言力を持っていたのだ。

 原因は原因としてさておき、集団で集まるような活動が制限され、過剰気味だった活動が低減される。

 めでたしめでたし・・・なのであろうか。

 今後、こうした町内会レベルであるものの発生する「リスク」(それは例えば、町内会所有の物品の老朽化、回収などもあるだろうし、予算自体の見直しもあるだろう)に対する、過去の経験知が生かせなくなるような、ここで大きな断絶が起こりそうな予感をしている。

 その承継を考える必要があるのではないか。

 アフターコロナにおいては、人々が集合することへの配慮が発生する。それは自治会活動の延長に位置する「政治」の世界も同様であろう。

 こうした地域の集まりに選挙活動として顔を出すことも機会そのものが少なくなる。そうすると従来の政治手法である”ドブ板選挙”ではなく、リモートでのドブ板選挙になるであろう(”ドブ板”という概念がなくなるわけではない)。

 そこにも「断絶」が生まれるはずだ。

 こうした生まれた社会的な断絶が、今後ゆっくりとした時定数で、我々の社会に痕跡を残すであろう。

 行動様式の変容に続く「断絶」。

 それに伴う、もう一つの「変化」。我々の社会に何らかの変化を生み出すと思われる。新型コロナの影響によって、我々の社会の継続性に傷痕を残されたという実感がある。

 そうしたことを思った夏祭りの中止の報であった。

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インフルエンサーのツイートによって、高知・須崎のカンパチを購入した自分の精神状況を分析してみる

 消費者がある特定の商品の購入を実行する。その際に、その個人の購入意思決定を第三者の発言・発信内容がサポートした場合、その第三者はインフルエンサーと呼ばれるのであろう。

 5月にツイッターで以下のような西原理恵子の発言を見かけた。

 単なる8文字の引用つきリツイートなのであるが、これが「刺さった」(刺身だけに)のである。

 それを受けて、5月23日にネットで早速半身のザク(4,670円+配送料)を購入。支払にはコンビニ振替を選択したため、少々面倒であったが、そうした手間を厭わず、最後まで購入した。

 なぜであろうか。

 新型コロナによるフードロスの観点からも、こうしたサイトが存在することは知っていた。しかし、実際に購入まで至ったのはこれが初めてである。

 そして新聞記事などでは、この企画は大ヒットしており、下記記事では「開設から約1カ月余りで売り上げ1億円を突破した。」とある。

 実際にその後メールであまりの売り上げに、捌きが追いついていないので発送が遅れる、ついては、サービスで「刺身醤油」「ハスイモ」「ミョウガ」の付け合わせセットをサービスする、という連絡もあった。

 外部サイト:「しんじょう君」応援、特産品販売サイト 売り上げ1億円突破 高知・須崎(毎日新聞、2020年6月3日)

 私の行動に相当する部分を引用する。

しんじょう君がツイッターでカンパチを紹介したところ、3万件を超えるリツイートがあり、高知県出身の漫画家・西原理恵子さんなども反応。2日現在で約2万件の注文を受け、売り上げは約8000万円となっている。

 外部サイト:「しんじょう君」応援、特産品販売サイト 売り上げ1億円突破 高知・須崎(毎日新聞、2020年6月3日)

 やはり私以外にも反応した人が多かったのであろう。

 直接のきっかけを自分の内部で少し掘り下げてみる。

 ①高知自体は興味あり(皿鉢料理とか)

 ②刺身は好物

 ③在宅勤務中で酒のつまみには注目

 ④自宅待機でネット購買意欲高まる

 ⑤西原理恵子のファン

 こうした複合的な深層意識が購入決断を自らになさしめたのであろう。しかし、あとひとつだけの背中を押すようなパンチがあったような気もしており、まだ言語化しきれていないような感じで、少しモヤモヤしている。

 須崎といえば名作「戦艦大和ノ最期」を書いた吉田満が、終戦を迎えた土地でもある。特攻兵器「回天」の基地があった場所でもあるが、この記憶は多分判断材料には入っていないであろう。

 そんなこんなで6月19日。到着である。

 やはり刺身でいただく。

 やはり身が締まっていて美味い。2日であっさりペロリと。満足である。

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緊急事態宣言解除したら、さっそく関西出張に。新幹線の乗車率はまだ3割くらい

 緊急事態宣言が解除され、在宅勤務も終了。そして早くも待ち構えていたように関西方面への出張が入った。

 人使いが荒いが、ただアフターコロナで、出張判定も結構シビアになっており、”そこへ行く”必要性を求められている(つまり、この時期にあえて行く理由が必要)。そうした面倒な手順を踏んでおり、やむを得ない。テレビ会議だけではできない「現地」で「現物」が必要な業務もやはりあるのである。

 朝6時の新横浜ホーム。ガラガラである。下りの”のぞみ博多行き”の車内はこんな感じ。

 隣どうしで座る状況は生まれない。各シート(3人がけ、2人がけ)に1名座っている感じの乗車率である。ただ、これも徐々に上がってくるのであろう。

 朝8時台の京都駅構内。これまた人がいない。売店も閉店である。

 前回来たのが、確か3月下旬だったので、2ヶ月ぶりの関西方面出張である。

 電車からふと見える電気系大企業の工場の駐車場にも、普段は車で一杯だが、明らかに駐車数が少ない感じで、まだまだ本調子ではないようだ。

 出張荷物にも除菌シートやマスクを装備するという、アフターコロナ状況における新しい出張の行動様式を考える必要が出てきている。

 もともと飲み食いでは、会食するのは好きではない。これまで散々訴えてきたように、ひとりで飲み食いするのが大好きなのである。むしろ時代の方が追いついてきた感がある(嘘)。

 関連記事:【ぼっち飯こそ正義】食事は一人ですることが、人類にとっての正解である(断言)

 関連記事:立ち飲み屋の自由と、立ち飲みあるある

 出張しても、このように夜の会食を断る良い理由ができたというメリットもあるのである。先方は「一人で食事なんて寂しいでしょう」という思いやりから発しているので断るのに苦労していた(こちらは申し訳ないが、ありがた迷惑)。

 これからソロ活動に社会がカスタマイズされることは歓迎すべきことであろう。

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1ヶ月強続いた在宅勤務の終了を唐突に告げられた際の私の精神的・肉体的反応について–人間は変化に弱い

 5月25日に、残る首都圏、北海道の緊急事態宣言が解除された。

 そして私も4月から約1ヶ月続いた在宅勤務(テレワーク)の終了を告げられたのであった。

 元々は6月以降に、在宅から出勤率を順次上げていく、と聞いていた。しかし、それがどうやら一気に出勤率を上げたくなった?のか、「明日から出勤でお願いします」という通告になった。

 それを受けた私の心理的第一反応は、意外であるが「嫌だなあ」であった。要するに在宅勤務を継続したい、と言う自分がいたのである。しかし、在宅勤務中は、早く元の状態に戻りたい、と言う心情があったはずではなかったか。

 要するにようやく在宅勤務に慣れてきたのに、また急激に勤務環境が変化させられることに対する抵抗があったのである。

 やはり人間、急ブレーキ、急発進はできないようになっているのか、順応力というより、急激な変化に対する抵抗、が存在するのであろう。

 これはこれで環境の変化に対する順応性がない、要するに「変化を受容する力が薄れている」というダーウィニズムの敗者のような総括になってしまいそうで嫌なのである。

 ここまでの時点で、精神的・肉体的な負荷に関して「公共機関を使った通勤勤務」と「在宅勤務」とを比較すると、「公共機関を使った通勤勤務」に軍配が上がる。

 やはり1時間かけてゆっくりと精神的・肉体的に会社モードへ仕上げる、そして退勤時は寄り道をしつつ、ゆっくりとプライベートモードへ戻る、という方が良いのである。

 また運動不足や肩こりの存在も捨てがたい。肩こりなんて、生涯味わったことがなかったのであるが、この在宅勤務では、肩こりが常に発生したのである(これは勤務環境の違いであろうか)。

 更には酒量の増加も無視できない。

 在宅勤務での酒量は、車通勤も含めて酒量の増加が半端ないのである。1日1本(750ml)以上のワインは当たり前、後半に至っては更に増えて1日2本以上飲むようになってしまった。

 更に在宅勤務による起床時間の遅さや規則正しい運動も加えたので、アルコール耐性や回復力がついているため、結構歯止めや反省が効かず、「毎日普通に大量の酒を飲めてしまうのである」。

 これは恐ろしい。

 肝臓とのガチンコ耐久マッチレースをやっているようなもので、アル中まっしぐらになりそうな予感もあった。「公共機関を使った通勤勤務」の時は週2,3位の飲酒が常時飲酒になってしまっているのである。これも恐ろしい。

 まあ、まだ第二波や近くに感染者が発生したら、逆コースの揺り戻しもあるのであろう。変化に対する耐性はもう少しつけておかないと、次回の巣篭もりで何が起こるかわからないのである。

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地元にある老舗の和菓子屋が、値崩れしつつある1枚70円のマスクのディストリビューターになった日、コンビニでマスクを見かけてしまう

 長く流通が滞っていたマスク。

 自粛期間中、やることがなく、コンビニやドラッグストアに1日1回は買い物に行くが、ついぞ見かけたことは無かった。

 元々花粉症のため少し備蓄用として多めに保有していたこともあると同時に、途中からは家にあったガーゼ肌着を再利用する自作立体布マスクが意外と繰り返し使えることがわかったため、実質新たに購入する必要性は薄れていた。

 そうしたこともあって、マスクが流通しないことによる精神的焦りもなくなった。ただ、当然のことながら本日(5/12)現在アベノマスクは到着していない。

 やはり、繰り返し使える布マスクの安心感は良く、精神的な問題がなくなった。もともと咳(くしゃみ)エチケットのためなので、口の周りを覆えれば良いと認識していれば、多少の見てくれなんぞ気にならないのである。

 そんなこんなの状況で、だんだんとマスクの値崩れ、露天売りのニュースも聞こえてきた。

 そりゃそうだ、本来マスクがその機能として必要となる医療現場やクリーンルームなどにおいては、このような流通的に微妙な品質的保証がないマスクはそもそも購入されないし、一般大衆であっても、私のように布マスクで一度精神的に事足りたら、もともと高価でなかった所詮”使い捨てマスク”をわざわざ有難がって目の色変えて購入する意識は生まれないであろう。

 そんな中、少々切なくなったのは、地元にある老舗和菓子屋の店先に「マスクあります 50枚 3,500円」という張り紙を見たことである。まあ、好意なのか、和菓子の売上をカバーする(マスクだけに)ためなのかはわからない。色々事情はあるのであろう。

 しかし、1枚70円のマスク。

 既に値崩れを起こしつつある状況で、捌ききれない在庫の押し付けあいが始まっているのであろう。そして、個人商店の和菓子屋にまでマスクを卸して売ってしまう、新型コロナが憎らしい。

 遠い昔、「機動戦士ガンダム」のプラモデルが爆発的に流行した際に、普段プラモなんか売らない文房具屋などが、人気のない訳のわからない聞いたこともない銘柄のプラモと抱き合わせで高価販売して、それを買わされていた記憶がよみがえる。ちなみにその後、売った側はそうした記憶を忘れ、”うちはそんなことはしなかった”みたいな言い訳をされて、こちらは子供心にも”嘘つけ、この偽善者”という大人を信じられなくなったほろ苦い経験もセットによみがえってきた。

 この時と同じような、ババ抜きで負けた人を見るような、切なさを感じる。

 そんな思いを持ってコンビニに行くと、初めてマスク(だけでなくアルコールティッシュ)が棚に陳列されて売っているのを発見した。

近所のコンビニで見かけた、小出しにされたマスクとアルコールティッシュ。

 こうして、次第に我々の「日常」に戻っていくのであろう。

 コンビニに並ぶマスクも、今さらがっつく必要もないと思え、別に買わなかった。

 自作の布マスクがあるからである。

 そして、私の花粉症シーズンも、いつの間にか終わっていたからである。

2020.06.06 追記 通りかかると「50枚3,000円」になっていた。悲しみが高まる。

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アフターコロナの世界で起こる業務編成の面的から直線的への変化、その結果起こるバックオフィスの過剰感について考察してみた

 次第にゆっくりと社会活動が復元されてきたようだ。しかし、新型コロナ感染防止という新たな社会的観点が追加されたことにより、元どおりの状態に復帰することはおそらく長期的にはなさそうである。

 ビジネスの世界でもテレワークなどの手段によって業務形態が大きく変化し、この動きは変わることはないであろう。

 その際に、単純に「ノートパソコンを手配して、Zoomをインストールすれば良い」という訳ではない。業務そのものが新型コロナ以前/以後で大きく相違している。そして、その場合、ビジネスパーソンそれぞれの意識自体も変える必要があるのではないかと思っている。

 今一番危惧するのは、”非常事態”がある程度終わりアフターコロナとしての定常活動に移行してくる経過において、ビジネスに対する意識を変化させないままノートPCなどの「新しい手段」のみを与えられ「後は前と同じようにお願い」程度の言い含めのみで、業務の最前線に復帰する人々が出てくることである。

 そこで起こる”悲劇”があるのではないかと思っている。

 テレワークという手段だけが変化した訳ではなく、業務そのものが変化しているという意識がないまま、最前線にノートPCを持って現れる。

 そして以前と同じような感覚で業務を開始しようとすると、おそらく植木等的に言えば「お呼びでない」状態になるし、戦争的な言い方をすると「即死」して「トリアージ黒タグ」になってしまいそうなのである。「今、それ必要な作業だっけ?」みたいな。

 関連記事:新型コロナ拡大に伴う緊急事態宣言から、終末、じゃなかった週末を迎えた現時点までで起こった私的出来事とその感想:安全確保と最低限の事業継続との相反、そしてポスト・コロナで起こる業務トリアージの予感

 以下に図示化してみた。

 コロナ以前であれば、戦線が拡大すれば人海戦術も通用し、教育的な意味合いもありフロントライン寄りに人材を配置できる。補給線も短いので直ぐに補充もできる。いわゆるバックオフフィス業務に人を配置する意味(根拠)が、相当程度あったのである。

 しかし、アフターコロナにおいて、新たなルール「フロントラインの密度制限」が付加された結果、最前線に存在できる人数が限られることになる。

 そうすると、補給線は長くなり、編成(人員配置)は直線的にならざるを得ない。そうすると、従来の総数を維持したまま配置しようとすると、必然的にバックオフィス要員の過剰が顕在化してしまうのである。

 したがって、アフターコロナの環境下においては、いわゆる「帯域」(通信速度)の太さが一つのポイントになるであろう。そこに新しいバックオフィス業務の可能性はある。しかし、これがITツールなどの手段によって代替されてしまえば、やはり人間の過剰感は残り通づけるであろう。

 ただし、むしろ過剰となること自体は正常のようにも思え、我々はこうした認識の中で”新しいやり方”を模索していく運命に直面していることを正当に認める必要があるのではないかと考えている。

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”家のちょっとだけ外の”「チェアリング」において、快適に過ごすためのガジェットについての検討【Wi-Fi中継器など】

 新型コロナ感染影響拡大に伴う緊急事態宣言およびその延長を受け、テレワーク(在宅勤務)へ転換し、はや2週間。

 ゴールデンウィークも自宅待機で、結局のところ息抜きというか、業務とプライベートのメリハリをつけることが、なかなか難しいのが実態なのである。

 仕事と休み、オンとオフが明確に区切られないこの状況は、結構きつい。

 仕事が在宅で、休みの日にも在宅で、となると両方の日常も結構類似してきて、どっちがどっちかわからなくなってくる。

 唯一の休日の愉しみは、裏庭での「チェアリング」であった(関連記事:自粛期間中の酒飲みは、家の裏庭でひっそりと「チェアリング」)。

 家の中で飲食するのであれば、いつもの日常(酒はないが)と対して風景が変わらない。

 だから、無理やり風景を変えることにより、何とか休日らしくしてみるという悲しい努力でもある。

 壁一枚隔てただけでも屋外は、やはり異なる風景でもあり、リラックスはできているようだ。しかし、だんだんと酒量が増えてきているのが難点であるが・・・。

 以下はゴールデンウィークの晴れの日の昼下がりに、家の裏、どん詰まりエリアで実施したチェアリング映像である。

 酒は、コンビニまたはスーパーで購入した500円/720mL程度の安めワインであるが、これでも結構いける(断言)。

4/29 お盆にはチーズとサラダである。
5/2 チーズとナッツというカロリーを気にした感じ
5/2 海藻サラダに、ワインが1.5Lサイズにクラスチェンジ(笑)
5/4 自家製三五八漬け大根と卯の花がツマミ。

 家のちょっと外で「チェアリング」する際の「道具」も色々試してみている。

 当然のことながらチェアリングにおいて「椅子」は必須アイテムであるが、それ以外のガジェットについての試行錯誤の結果を記載しておく。既に紹介済みのものもあるが、ご容赦いただきたい。

 ①テーブル(足が高めのものが良い)

 ②お盆(家の中との往復がある際に便利)

 ③蚊取り線香とライター(虫が結構出るので必須アイテム)

 ④S字フックとコンビニ袋(テーブルにセットしてゴミ箱にする)

 ⑤Wi-Fi中継器(家の外壁があると親機ルーターだけでは電波が弱いのだ)

アマゾンのポイントで購入した中継器(3,000円くらい)

 などを揃えてみた。

 家の台所とはドア1枚なので、そちらの補給線は完璧であり、あとはいかに快適に過ごすかを念頭においている。

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自粛期間中の酒飲みは、家の裏庭でひっそりと「チェアリング」

 新型コロナの自粛要請で、テレワークしている平日は当然だが、休日も家から出られない、というか出づらい。かと言って、家の中で昼から酒を飲むのも気が引ける(まあ、別によさそうだけど・・・)。

 家の庭でBBQしたって良さそうだが、それはそれで何か世間に対して過剰に挑戦的な気もする。そんなこんなで家の裏の人目につかない狭いエリアがあり、そこで「チェアリング」呑みをすることに。

 釣り用でホームセンターで1,800円くらいで購入していたColemanの「アクションチェア」を持っていた。これはドリンクホルダーが2つ付いており、これだけでも結構機能性が高くて良いのだが、今回ネットで「Mozambique(モザンビーク) キャンプ テーブル」を買ってみた。約4,000円したが、高さが低すぎず、ちょうど良い。折りたたみもでき、テーブル部分も剛性があるので結構いい感じである。

 100円均で買っていた「S字フック」とコンビニ袋を使用してゴミ入れに。また虫が多いので「蚊取り線香」は必須アイテムである。

 偶然であるが、家は行き止まり(雪隠詰め)の場所で、田舎のため周囲に接している家は1件、あとは畑だったので、このエリアは狭いが完全に近所の目から死角になっている。どん詰まりの閉塞空間であるが、こんな時に有効活用できるとは思わなかった。その上、日当たりも悪いのだが、チェアリングの場合、日差しが厳しいとイマイチなのでこれも結果良かった。

 このような豪華メニュー、と言っても乾き物と安ワイン。ビールは貰い物。それでも休日の昼下がりにリラックスして一杯でき、かつ、そのまま1時間ほど居眠りもでき、なかなか快適であった。

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