面白い科学:「覆水盆に返る?」ーそんな液体がある!

本日紹介するのは、「覆水盆に返らず」ならぬ、「覆水盆に返る液体」について。

本日の論文

(1)岡小天「生物流体物理」日本物理学会誌.23(1968)p.828-837

著者はレオロジーの理論物理学者。シュレーディンガーの『生命とは何か』(岩波新書)の翻訳者でもある。

レオロジーとは複雑な液体や固体(例えばマヨネーズや歯磨き粉のようなネバネバしたりねっとりしたりするものとか)を対象として、その流動や変形を取り扱うジャンルである。

この具体的対象としては生物などに多く存在し、こうした”流れ”は通常の液体(例えば空気とか水とか)の範疇としては捉えきれない。

この論文(紹介記事か)でも、そうした例として

・ 細胞原形質の流動

・アメーバや白血球の運動

・血液、リンパ液の流れ

・関節液

・気管支分泌液

・眼の中の前眼房水

・カイコの絹糸、クモの巣の原料となるタンパク溶液

・ヤツメウナギの表皮分泌液

・植物内の樹液の流動

などが挙げられている。

それぞれ興味深いが、その中でも、著者自身がその文章で「覆水盆に返るである」と紹介する粘弾性液体がある。

パラフィンを主要液として、5%アルミニウムラウリン酸と1.5%のキシレノールからなる液体は、弾性(ワンピースのルフィみたいにゴムのように伸び縮みする性質)が強い液体だそうだ。

その様子を示した写真が掲載されており、コトバで説明すると、

①ビーカーからお皿に液体を注いでいる

②その途中に、ビーカーとお皿の間にある液体をハサミで切る

③すると、切られた残りはまだビーカーとつながっているが、お皿の上にある

④しかし、その残りの液体は落下せず、バネのようにビーカーの中に飛び上がってビヨーンと戻る。

日本語で説明したのでわかりにくくてすいません。原論文にはその動きがわかる写真がある(文献(1)の第13図)ので、興味がある方は参照されたい。

 

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面白い科学:お肌のシワは座屈解析でわかる!

科学論文を眺めるのが好きで、CiNiiやJ-STAGEなどの論文プラットフォームでデジタル化された論文を色々読み漁っている。

CiNii 国立情報学研究所

J-STAGE  総合学術電子ジャーナルサイト

科学というのはやはり本質的に面白いものだ。そんな中で、日常の現象と科学が結びついた論文を見ると、結構うれしくなる。

今回紹介するのは、東京大学の生産技術研究所の論文集『生産研究』に掲載されていた、お肌のシワの発生メカニズムを力学的モデルで解析した研究である。

(写真と論文は関係ありません)

参照する論文

(1)桑水流理,ジャリヤポーン サトウン,吉川暢宏 (2005).「肌のシワ発生メカニズムに関する基礎的力学的考察 」『生産研究』 57(5),p.93-96

本論文では、肌のシワの発生メカニズムを、材料力学の座屈現象として解析モデルをつくり、その結果を検証している。

座屈現象とは、物体に荷重をしだいにかけていった際に、ある瞬間に突然大きな変形になる不安定現象である。例えば、灯油缶の中を真空ポンプで引くと、突然グシャっと潰れる現象は、圧力による座屈だ。

普通は、荷重に比例して連続的に形が変わるが、座屈ではある閾値を超えると突然形状が変化するところに特徴がある。

構造物の建築でも、重いものを乗せる柱などでは、座屈が発生しないような設計指針がある。

この論文では、人間のお肌のシワの発生をこの座屈現象としてモデル化したものだ。

少し文献から引用する。

力学的観点から見れば、筋肉の収縮などによりシワを生じるのは、いわゆる座屈現象である。そして、シワが残留するのは塑性変形といえる。

—引用終わり

塑性変形とは材料力学用語で、変形には、加えた力を取り除くと元の形状に戻る変形を弾性変形といい、戻らない変形を塑性変形という。お肌のシワが戻らないのは、まさしく塑性変形なのだ。

論文では、皮膚構造を力学モデルとし、座屈方程式を導き、そのモード解析を行っている。そして、更に踏み込んでその結果から「老化の影響」について考察している。

その結果をまとめてみた。なお、私の理解でまとめているので、不正確な記述など誤りなどがあるかもしれないので、興味がある方は原論文にあたってください。

(1)紫外線などにより、真皮のエラスチン成分が増加する。それにより真皮層が老化に伴い厚くなる。真皮層の厚さが厚くなると、座屈の固有モードは大きくなる。つまり、老化でシワが大きくなる。

(2)老化により皮膚の角化機能が低下し、角質層の置き替わり周期が長くなると角質層は乾燥しやすくなる。角質層が乾燥すると、柔軟性がなくなり、これは力学的に言えばヤング率が高くなる。ヤング率が高くなると、座屈固有モードは大きくなるので、やはり、老化でシワが大きくなる。

(3)老化により真皮上部の乳頭層の水分保持機能が低下すると、真皮乳頭が扁平化し、表皮と真皮の界面が平たくなる。この場合も表皮層のヤング率が高くなるので、しつこいが老化でシワが大きくなる。

これでもか、と老化でシワが大きくなるシナリオが描かれた。では、シワを無くすには、どうすれば良いのか?の論文では言及されていないが、著者らの結論を逆に辿って解釈することにより、推定はできそうだ。

それは、紫外線を避け、皮膚の柔軟性を確保するために、保湿して水分補給をする。

…経験的に当たり前と言えば当たり前のことだが、経験に根拠を与えるのも科学の役割であって、こうしたモデルの高度化の先に、まだ我々の知らない知見が得られることを期待したい。

本記事で、言及した論文:

桑水流理,ジャリヤポーン サトウン,吉川暢宏 (2005).肌のシワ発生メカニズムに関する基礎的力学的考察 『生産研究』 57(5),p.93-96

生産技術研究所のwebサイトから、J-STAGE経由で検索することにより誰でも閲覧可能です。

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人工知能はトロッコ問題でストレスを感じるか?

自動運転の議論が活発になってきた。

その中で、人工知能がある種のトレードオフ、ジレンマに直面するような課題も出てきつつある。

自動運転車が、究極的にトロッコ問題(wikipediaへのリンク)のような重大なトレードオフの判断をどのようにするのか。法律論も含めて今後大きな議論になると思われる。

人命を判断の与件にするような緊急避難的な重大判断に、アルゴリズム上の最適解があるのかどうかも含めて興味があるし、様々な話題がすでにある。

人間であっても、判断するためには大きなストレスを感じる問題である。

であれば、人工知能だって同じではないだろうか。

つまり、人工知能もこうした重みのある問題を、人間と同じようにストレスを感じるようになるのではないか?と思う。

人間がストレスを感じ、心身への不調として顕在化するように、人工知能もその回路の中で大きな「ストレス」を感じ、人間がそうであるような「不調」を顕在化すると仮定したら、それはどのような現象になるだろうかを考えてみた。

・錯乱する
→半導体素子の熱によるノイズにより、熱暴走し異常動作する

・反抗する
→突然自動運転が解除され「トロッコ問題が発生しました。あとはご自身で判断してください」となる。実際本気でそうなりそうな気もするが、そんな状態で判断を任されても困る。

・沈黙する
→ハングアップですな。いかにもありそう

・病院へ行く
→人間にカウンセリングを求める

まさに古典的名作アシモフ「われはロボット」の主題として描いた原理のダブルバインドとして現れてくることがまさに現実のものとなり、人工知能の高度化に伴い、もはやカウンセリングが必要になってくるのかもしれない。

追記(2022.07.24):2022年になってようやくわかりやすい記事が出てきた。
5人か1人か、どちらを救う? 自動運転車が直面する「トロッコ問題」【けいざい百景】

追記2(2022.09.18):こうした危機的ジレンマ状況は”エッジケース”というらしい。おまけに、上記で予想したように自動運転がダンマリしてしまうことが問題になる模様。

焦点:「エッジケース」で思考停止も、完全自動運転は結局無理か

ところが、落とし穴があった。人より安全に運転できるAVを製造するのは極めて困難なのだ。その理由は単純で、自動運転ソフトウエアには、人間のように迅速にリスクを評価する能力が欠如しているということだ。とりわけ「エッジケース」と呼ばれる想定外の出来事に遭遇した際に思考停止してしまう。
ゼネラル・モーターズ(GM)傘下の自動運転車開発・クルーズのカイル・フォークト最高経営責任者(CEO)は「必要とあればいつでも人が助けてくれると分かっていると、顧客は心の平安を得られる」とし、人間の遠隔管制官を廃止する「理由が分からない」と言い切った。
人間の遠隔管制官が長期的に必要になることをクルーズが認めたのは、初めてだ。

 

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フロントライン・シンドロームと兵站の問題

現場と中央、支社と本社、こうした精神的、物理的な距離を隔てた関係において、連携がうまく機能しないことはよくある。

特に自分が現場の立場であった過去を振り返ると、”どうしてもっと本社はサポートしてくれないんだ!”とか”どうして、現場の意思を無視した決定を押し付けるんだ!”など、不満が溜まり、嘆いたことを多々思い出せる。

製造装置の設置責任者として、顧客のフィールドへ行き、装置を所定の性能確認をしてくるような仕事の時には、思うように装置が立ち上がらず、本社からの支援も来ず、毎日顧客に状況を報告し、装置を動かし、時には不測の事態を引き起こして奔走したり、目まぐるしく忙しい中で、やはり孤独に苛まれていたことを思い出す。

やはり現場の最前線は、本質的に孤独になってしまうのである。

佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件 』(文春文庫)で、あさま山荘に人質をとって立てこもった新左翼の一派である連合赤軍と長期にわたって対峙した佐々も、現場責任者として中央への不満を嘆く。そして、それを振り返って、「フロントライン・シンドローム」に陥っていたとしている。

たしかに私たち現地派遣幕僚団は、私も含め「フロントライン・シンドローム」(第一線症候群)に罹っていた。後方の安全なところから実情にあわない指示をしてくる警察庁に対するフラストレーションは、もう爆発寸前、ギリギリの限界に達していたのである。(佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件 』(文春文庫)p.234)

フロントライン・シンドロームとは、現場と中央の間の温度差や指揮系統の乱れ、さらには補給がうまくいかないことによる中央からの支援不足などの要因によって、現場が中央に対して不信感を持ち、現場の意識が本来あるべき状態より肥大し、最終的には独走に至るような現象だと私は解釈している。

「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起こっているんだ!」というものの、現場の判断がどんな局面でも全て正しいのかどうかについては、充分慎重に考えざるを得ないと思う。つまり、現場の意向に沿って、あらゆるリソースを投入することが正解とは限らず、やはり、中央での俯瞰した全体最適戦略の視点も必要なのではないかと思う。

勿論、私の実感として現場の判断はほとんどが正しいと思う。何故なら第一次情報、生の情報とリアルタイムに接しているのだから。加工され、伝言ゲームで仲介され、リアリティの薄れた賞味期限の切れたタイムラグのある情報で判断せざるを得ない中央の判断が誤っていることも多い。

しかし、その一方で、現場で意思決定をしてはいけないような場面もある。例えば、自己か他者かの瑕疵の範囲の判断など。フロントライン・シンドロームにかかっていると、そうした大きな判断を現場が下すことができるように錯覚してしまう。権力が肥大化していることに気づいていないのである。現地にいる自分の判断こそが、今ここでもっとも正当な判断であると思い込んでしまう。

また、現場責任者は時にそれを自らのために利用することもある。本社の悪口で現場の一体感を醸成したり、本社を第一の悪者にすることで、自分の決定を次善の策として現場の担当者に飲み込ませるなど、こうしたテクニックも確かにある。私もよく使った。ただ、やりすぎると、それらは単なる独走、暴走になってしまう。

福島第一原発事故の東電テレビ会議でも、現場にいる吉田所長が東京電力本店に対して苛立っている場面が多々ある。「そんなことで(現場を)disturbしないでくれ!」と。吉田所長の苦しみ(注1)が伝わってくる。

なぜこうした状況になるのだろうか。

本来中央と現場が連携できていればこうした状況にはならない。お互いがお互いの役割を果たすだけである。

こうした齟齬が発生するのは、現場と中央を結ぶ補給線、兵站(ロジスティクス)に原因があるのではないかと思う。

福島第一原発事故の現場では、十分な補給がなかった。補給線が断たれており、現場では本来やるべきでない作業が追加されていた。

補給が充分になされない中で、現場の緊張感が頂点に達すると一種の特攻のような状態にも追い込まれる。福島第一原発でも”決死隊”という言葉が吉田所長から吐き出されている。

つまり、作戦を成功に導くには、十分な補給線が必要である。

いくら優秀な指揮官でも、補給が不十分であればフロントライン・シンドロームに陥ってしまう。

製造装置メーカであれば、人、もの、金だけでなく、情報インフラや部品などのサプライチェーンも含めて整備することが必要で、これは会社組織だと、生産管理、調達、設計、開発、製造といった多部門を連携させるプロジェクトマネジメントが必要になるが、あまり、補給線あるいは兵站という形でその方法論が語られるのを不勉強だが見たことが少ない。

補給というのは一種の裏方作業であり、陽の当たる業務ではないからだろうか。あるいはプロジェクトマネージャーの裁量の一部とみなされて、それ自体独立して語りにくいからだろうか。

太平洋戦争における陸軍の転換点となったガダルカナル戦の攻略失敗においても、兵站の問題は指摘されている。

そもそも日本軍は伝統的に兵站を重視していなかった。

陸軍における兵站線への認識には、基本的に欠落するものがあった。すなわち補給は敵軍より奪取するかまたは現地調達をするというのが常識的ですらあった。戸部他『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(ダイヤモンド社)p.89

 半藤一利他「昭和陸海軍の失敗 彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか」(文春新書)における、陸軍の「陸大教育」に関する座談会では、このような兵站教育の軽視も語られる。

半藤 ちょっと細かな数字を出しますが、昭和六(一九三一)年以降に陸大を卒業した者は千二百七十二人いるんです。でも兵站を専門とする輜重科上がりの者は三十三人しかいない。どう考えても兵站を軽視していたとしか思えませんよね

黒野 そもそも兵站すなわち輜重科将校には陸大の受験資格がないんです。(中略)参謀本部にも輸送課はあっても兵站課は最後までありませんでした。

半藤 兵站参謀だった井門満明(46期)に会ったら「日清、日露のころからさんざん兵站で苦労したというのに、日本の陸軍は最後まで兵站や輜重を重視しなかった。代わりに現地調達。『輜重輸卒が兵隊ならば、トンボ、チョウチョも鳥のうち』なんて言われてましたからね」と、兵站部隊がいかに軽視されていたかを話してくれました(以下略)

半藤一利他「昭和陸海軍の失敗 彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか」(文春新書)p.44-45

 元幕僚が書いた、松村劯『戦争学』(文春新書)においては、もっと遡ること秀吉の朝鮮出兵の頃から、日本は兵站を軽視し、その失敗を改善しなかったことが指摘される。

秀吉の失敗の原因は数多いが、日本が海軍と言えるような海軍を持たなかったことと外征作戦に備える統一的な兵站システムがなかったことが主因と言えよう。

徳川家康は、この敗戦から何も学ばなかった。大砲の近代化と海軍の育成を禁止し、軍の中央兵站システムを造らなかった。(前掲書. p.129)

日本にとっては伝統的に不得意な分野であり、今後研究していく必要があると思っている。

注1:ただし、『福島第一原発事故 7つの謎』(NHKスペシャル「メルトダウン」取材班)によれば、吉田のいる免震重要棟と現場の運転班のいる中央操作室との間でも同様のフロントライン・シンドロームがあったことが吉田所長自身の反省として言及されている。つまり、二重のフロントラインがあったことになる。

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日本の半導体産業の行方はどちらだ?

東芝の再建の行方が大詰めを迎えている。特にキャッシュを得るために売られる優良セグメントであるフラッシュメモリーの売却の行方が、日本の半導体産業の行方、最終的には国策まで言及された形で報道がなされている。

日本の半導体産業の”衰退”に関する報道・議論は、これに先立つDRAMのエルピーダ(現:マイクロン)への集約の頃に一時ピークを迎えていたように思える。2000年前後の頃である。

たまたま過去(といっても2010年頃)に同時に購入した本。どちらも光文社の書籍で、隣同士に並んでいた。

”どっちなんだ”という感じ

どちらも半導体業界では著名な方です。中身の紹介や私自身の意見はまたいずれどこかで述べたい。

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SF的発想と不謹慎

 民間会社では5カ年くらいのスパンの中期経営計画や、更にスパンを伸ばした10年くらいの長期計画を作ることが多い。上場会社などでは、その内容を公開したり、ステークホルダーに対して説明したりすることもある。

 基本的に成長戦略を策定するので、現状のシェアをどうやって伸ばすとか、新規参入分野はここだ、といった、いわゆる右肩上がりの形で戦略が語られることが多い。

 いくら未来の話とはいえ、実現できないシナリオを語るわけにはいかないので、あくまで常識の範囲(=既存の科学技術の発達の予想範囲)でそれらは描かれる。株主にしても、”我が社は2020年にどこでもドアを実用化して、2025年にはタイムマシンを実用化します。そのロードマップを以下説明します”という夢物語は聞かされたくないだろう(本当にあったらすいません)。

 その一方で、例えば、福島第一原発の廃炉に向けた議論(しつこい)は、そうした科学技術のイノベーションも含めたロードマップを描く必要があり、策定も実行も非常に苦しそうだ。

 イノベーションは不連続な事象なので、これを計画には描きにくい。でも、イノベーションが起こらないのか?と言われると、その大小レベルは違うにせよ科学技術というものはその本質として前進するものだ(=イノベーションは起こる)と私は信じている。

 原発の廃炉、即ち溶融核燃料を制御可能な状態にするために、現状よりもっと開いた形で、自由な発想を集約するような体制で検討した方が良いのではないかと思う。シビアに考えると近い将来、原発設備の構造的な劣化、設計寿命が訪れた際に、もう一度重大局面が訪れると私は予想する。そこに向けて、ある意味幅広い視点、即ちSF的視点も導入してブレーンストーミングをしておく必要があるのではないかと思う。

ロボット開発においては

・放射線に対して電子部品は本質的には弱い。

・電子部品は電子の流れを利用しているが故に応答速度が早く、かつ、
 微細化を可能としているが、電磁波との相互作用には弱い。

・電子部品はあくまで電子の流れによる回路なので、電子を使わない制御装置はできないか?

・つまり放射線(電磁波)と非干渉に動作する制御機器ができれば解決するだろう。

・例えば流体コンピュータがそれに該当するだろう。

・でも流体素子は移動速度が遅いし、微細化が難しいよね・・・。

・逆に移動速度が早く、微細化可能な流体素子が技術的にできれば解決する?

など。

 真面目に考えている方々からは”遊びじゃないんだぞ、ど素人が”とお叱りを受けそうだが、絶望的な未来を考えて悲観的になるのではなく、この手のSF的発想もまた検討する余地があるのではないかと思っている。

 ただ本職のSF作家のブレストはもっと”良い意味で”ひどいので注意が必要だ。

 小松左京『やぶれかぶれ青春記』(ケイブンシャ文庫)所収の「気✖️✖️い旅行」(かけない)や、
 かんべむさし『第二次脱出計画』(徳間文庫)の冒頭などに出てくる、SF作家内部の不謹慎を恐れない”自由な”発想で、半分真面目に考えてみた時に、不連続でぼやけている未来像が少しでも明るくなるのではないかと思う(無責任ですいません、と逃げを打っておく)。

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福島第一原発事故と安全弁

■大震災から6年がたった

大震災は関東で遭遇した。幸いと言おうか、自分の周りでは大きな被害はなく、仕事への影響も半年くらいで収束していった。

■福島第一原発事故の推移

当時、福島第一原発事故の進捗を結構気にしていたと思う。特に冷却水が注水できない状況など、かつて私自身も化学プラントなどの安全設計の経験がある中で、部分的に報道される原子炉のパラメータから状況の深刻度をなんとか理解しようとしていた。

結局、絶対的な情報不足もあって、起こっている事象を理解することができず、最後はただただ眺めているしかなく、いつしか日常の中に溶け込んでいってしまった。

最近になり、ようやく公開された東京電力のTV会議画像や文献を見たり読んだりする機会があり、実際にはより深刻な状況であり、現場ではまさしく死線のギリギリの中で復旧作業を行なっていたことがわかった。

■圧力上昇、容器破壊の危機

特に、放射線防護の観点から核燃料の閉込め機能を担保する構造体である原子炉圧力容器及び格納容器が、核燃料空焚き状態になった結果、その崩壊熱で内部蒸気の圧力上昇が発生し、その圧力が設計圧力を超えて、容器自体が破裂し広範囲に放射線被害が拡大する可能性が高まっていた時点が最も危険な状態であったと思う。

そこで、何が起こり、結果として容器自体の大規模破損は免れたことは事故調査報告書、文献、TV番組などで、ある程度明らかにされている(ただし、2号機の圧力低下の原因はよくわかっていないと思う)。

■圧力容器ベント(圧力解放)をめぐる理解できないこと

それらを通じて、未だに理解できないことがある。(これは単なる私の不勉強に起因する知識不足が主な原因であって、原子炉設計者にとっては自明のことであったり、私の誤認識に基づいていることもあるかもしれない。予めお詫びをしておく)

それは、圧力容器及び格納容器の「圧力容器構造」としての安全弁に対する設計指針である。通常、高圧ガスの容器などでは、法規により安全弁、破裂弁を具備する必要がある。

これは例えば液化ガスの貯槽が真空断熱機能の喪失や火事などにより急激な温度上昇を受け数百倍の体積に膨張した場合、圧力容器の破壊を防ぐための最終安全機能である。

圧力容器が破壊することによる外部へのリスク(例えば金属の飛散)を防止する非常手段であり、通常バネ式や破裂板など、機械的な機構が用いられている。

また、安全弁と容器をつなぐバルブ(安全弁元弁)も通常は存在させないか、交換などのメンテをする場合に備え間に安全弁元弁を設ける場合でも、常時開としておく。人が間違って操作する場合もあるので、ハンドルを撤去する、こうした手段を講じている(はずだ)。

また、内部のガスが特殊で大気環境に放出すること自体がリスクを伴う場合には、放出する2次側の配管ラインをスクラバーなどの廃棄処理ラインへと接続する(はずだ)。

このような手段により、万が一にも操作員が全員いなくなっても、バネという機械の力によって容器破損という最大のリスクを発生させないような手段を講じている。

ありえない例だが、人類がこの瞬間に突然絶滅しても、圧力容器は破裂しないで、時々安全弁が吹いて容器内の圧力を設計圧力以下に落としている光景が見られるはずだ。が、原発ではそうではなかった。

まず、機械的に圧力上昇を防ぐ破裂板と容器の間には、電動でのみ動くバルブ(注1)が存在していた(これは推測だが、ノーマルクローズ;電源喪失時閉動作と思われる)。

これが津波の電源喪失により駆動できなくなった結果、圧力容器及び格納容器の圧力破壊の状況に直面することになった。

現場では急遽、そのバルブを動作させるための動力源(バッテリーやコンプレッサ)を探索する状況に追い込まれ、対策の時間が失われていった。

設計規格における圧力容器の板厚は材料力学の破壊公式に対して3倍くらいの安全率は見込んでいると思われるが、長期運用において減肉が起こっているはずだし、また実際の製造工程におけるばらつきも含めると設計圧力以上で持ちこたえられるかどうかは厳しいと考えるのが自然だろう。

3/14頃の2号機のベントができない待った無しの状況下で、現場にいた技術者の心情を考えると、こちらも胸が苦しくなる。

■どうしてこのような設計思想になったのか

何故こうした状況に至ったのだろうか?

プラントとしてのリスク解析上、設計時にどのように評価されたのだろうか?

圧力容器及び格納容器には、核燃料の閉じ込めと圧力維持の機能の両立が求められていた。

これは相反する機能であって、それぞれのリスク(核燃料放出と圧力容器の破壊)を評価した上で、最終的な安全対策に至っているのだと思う。

ここで勝手に推定すると、圧力容器内圧上昇に対する破壊リスクに関して、ベントラインにノーマルクローズの電動弁を存在させて緊急時に人的介入を不可避としたことは、核燃料閉じ込め機能を、容器破壊よりも優先したという判断・評価がなされた結果(注2)なのではないかと思う。

その結果として容器破壊の際に、本来は破壊弁が破裂するべきタイミングでそれがなされないという、設計者にとって悪夢のような事態が現実となった。

安全弁、破裂弁(注3)を放射線防護(閉じ込め)機能の一環と解釈した場合、確かに閉じ込めを阻害する可能性要因と解釈されるが、一方で圧力破壊に対しては有効に働く。このトレードオフを、トータルの設備安全としてリスクを最小化する観点でどのように解消する議論がどのように結論づけられたのか、そうした議論が当時あったのかも含めて、私自身は今も疑問がある。今後も考えて行きたい。

注1:設置位置が放射線管理区域内にあって遠隔操作が前提でも、手動併用にすること、ノーマルオープンにすることはできたのではないか。

注2:電動弁をノーマルオープンとした上で、破裂弁2次側を何らかのフィルターに通すことも今となっては結果論で想像できるが、当時の考えでは、放射線を含んだ気体の大気放出系統を設計上作りえなかったのかもしれない。

注3:安全弁と破裂弁の機能は本来異なる(安全弁は可逆動作、破裂弁は不可逆動作)が、ここは安全弁として包括して議論した(実際に原発に搭載していたのは破裂弁である。安全弁ではなく、破裂弁が搭載された理由として、圧力降下に必要な流速確保に技術的な問題があったのかもしれない)

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