私が社会人になった20年以上前には、まだPCが一人一台ではなかった。設計の製図では、ドラフターがまだ残っており(すぐ消えたが)、CADはそれ専用のエアコンの効いたCADルームがあり、専門のCADオペレータがいた。
情報のやり取りは電話、そしてファクシミリである。会社専用のヘッダー、フッターをコピーした用紙があり、これに手書きで送っていた。出張先からの報告もファクシミリである。
次第にPCが1人1台になり、電子メールが普及するようになったが、ファクシミリ全盛時代を知る人間にとっては、電子メール時代のマナーについて、ちょっと違和感を覚えるものがある。
それは、電子メールの書き出しの「○○(自分の名前)です」である。
ファクシミリだと、ヘッダーに差出人が印刷されていることが多く、この習慣はなかった。
その一方で電子メールだと、いきなり本文が始まるので、こうした配慮が必要と聞いたことがある。
しかし、未だにこれに慣れないのである。玄関で「ごめんくださ〜い、○○(自分の名前)で〜す」(三四郎の小宮の声マネで)と、大声で怒鳴っているうるさいイメージが拭えないのである。
メールの送信者アドレスで、ほぼ99%誰かは推測できるので、この習慣って必要なのだろうか、とずーっと思い続けている。でも、周りがみんなやっているのでやめられない。これが同調圧力というやつであろうか(被害妄想かな)。
また、ファクシミリ時代からも色々言われてきて、個人的に違和感を感じているマナーが2点ある。
①書類の文章最後につける「以上」である。これも、なんかつけたくない。つけた方が文章の終わりを定義できて確かに良いのだと思うが、これもコンサート会場とかでステージ上に立ったアーチストが「以上!」というエンディング風景を思い浮かべてしまうのである。たかが、コピー用紙の補充の用件で、そんな格好つけなくたって……という失礼なことを想像してしまうのである。
②自分のことを「小職」相手を「貴職」と呼称すること。これは完全に好き嫌いではあるが、完全に気持ち悪い。でも使う人が結構いる。昔の私の上司は、”本来は官職が使う表現であって、民間のサラリーマンが使う表現ではない”、と言っていつも怒っていた。私にも「意味が違うのだから、使うな」と言われたことがある。でも、異動してきた更にその上の上司が「小職、貴職」の人であった。もちろんその上司は沈黙していたが。
かような形で、振り返ると習慣づけられてきた部分があるが、慣れない部分も未だに残っている。
小職、貴職なんかは、普段使わないものの、怒りのクレームを入れる際に、突然小職貴職に切り替えて、冷たい怒りを表現するテクニックなどもあった。
小職からの報告を終わります。
以上