立ち飲み屋探訪:京急蒲田駅「ドラム缶 蒲田店」ーチューハイ150円、ハイボール200円という激安でコスパ最高な立ち飲み

 京急蒲田駅と蒲田駅は結構離れている。秋津駅と新秋津駅も結構離れているが、それより距離がある。その間の商店街は人の往来量が多いのか、やはり発展している。

 京急蒲田駅近くの2Fにある「ドラム缶 蒲田店」に入店。うなぎの寝床チックな店内に、複数人用のドラム缶やお一人様用のカウンターがある。

 メニューはどれも安い。生ビール250円、プレーン酎ハイは150円、ハイボール200円、サワー類200円というラインナップ。ホッピーも300円で中100円、外200円という安さ。ツマミも100円からあり、非常に助かる。

 ハイボールを注文。金属製のお皿にお金を入れてその都度精算してくれる。

 下町グラタン250円。なかなかうまい。

 かぼちゃコロッケ150円。これも甘くていい感じ。

 ハイボールの後にチューハイを2杯飲んで、ツマミと合わせて900円。や、安い。

 今回は店内満員の中、店長1人のワンオペ状態であり、結構大変な状況であった。酒飲みの性で、酒がなくなると落ち着かなくなる。誰もが同じ思いのようで、ドリンクの注文が次々と。”ごめんなさいね、順番で”という感じで腰も低く、注文を自力でさばく店長は非常に頼もしいが、やはりちょっと注文の渋滞が起こり、注文する側も気を使う。

 また前述の通り鰻の寝床状態の細長い店内なので、1端にある厨房から離れているポジションは自然オーダーが入りにくく、厨房の正面の場合にはオーダーしやすいという状況が生まれており、ポジション取りも重要になってくる。

 自発的に常連さんが手伝ったりしていたが、なかなか大変であった。

 私の今回位置取りしたポジションも若干厨房から離れている状況なので、オーダーがオンデマンドというよりは、店長の動線に合わせて注文するような若干の仕掛かりを抱えるような状況であった。

 オンデマンドでの1個流しというより、なかなか注文できないことを見越して敢えて仕掛かり在庫を持つために複数注文するような状況になる。トヨタ生産方式でいうところの在庫のムダが発生しているのである。

 本来は「必要な時に必要なだけ」という方法が美しい理想であろうが、ここは製造現場ではなく飲み屋なのでむしろこちらの方が店にとっては効用がある。つまりこの「ムダ」は製造原価に効くムダではなく客側の問題なので、店側としては注文された方がメリットになる。しかし客側にとってみれば欲しい時に酒がない、というフラストレーションを抱える事になる。

 したがって、この滞留による店側の効用とお客のストレスによる機会損失との間の均衡を見出すことが、このビジネスモデルのポイントと思われる(なんでこんな結論になったのであろうか)。

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【書評】J・P・ホーガン「星を継ぐもの」ー仮説形成そのものが小説となっているハードSF

 もはやハードSFの古典であり、誰もが認める傑作、J・P・ホーガン「星を継ぐもの」(創元推理文庫)である。

 先日再読したが、やはりエキサイティングで面白い。

 小説としては、ひとつの「謎」に注目して、それを科学的な視点でひたすら解く、というある意味非常に単純な構造である。

 しかしながら、その「謎」の設定、内容が非常に優れており、それを解明する「仮説」が、最終的にとんでもなく大スケールかつ説得力のあるものに拡大していく。「仮説」が提示されたラストを読み、読了後にはその壮大なフィクションの力に圧倒されるというSFならではの読書体験ができる。

 「謎」とは、月で発見された”宇宙飛行士”の死体の発見から始まる。その死体は分析の結果、今から5万年前のものであり、 また地球人(ホモ・サピエンス)と全く変わらないものであった。装備も明らかにオーパーツなものである。

 つまり、5万年前に高度な科学が月に存在していたのだろうか?

 地球人だとすると、如何にして月に行ったのか?

 などの疑問が湧く。

 これらを新たに発見されていく「事実」と合せ、最終的に壮大な「仮説」として解き明かしていく。まさにこのストーリーだけで小説が進行していくのである。

 ある意味、(日本の)伝統的な文学サイドが目の敵にしそうな、”アイディア先行型”、“アイディアのみ”の小説である。”人間が描かれていない”なんて批判が出そうな感じである。

 しかし、それでもなお、そのとんでもないアイディアのスケールにより導き出された「仮説」の衝撃は、我々 自身の立脚する<現実>を揺るがせるようなインパクトを与えてくるものなのである。

 ただ再読しても疑問に覚えた部分が1点ある。

 冒頭の月における”宇宙飛行士”の記述である。最初は2人で行動していたが、1人が負傷し、もう1人は彼を置いて目的地に向けた旅を続ける。負傷した1人というのが、前述の月で発見された宇宙飛行士であるが、もう1人をこの翻訳では「巨人」と描写しているのである。

 この小説では「巨人」とは、別の意味でも使われている。生物学的に異なる宇宙的な人種の違いの意味である。要するに地球人と火星人の違いのような使い方である。しかし、ここでその意味で冒頭の「巨人」を理解すると、物語のエピローグで大きな違和感を覚えるのである。つまり解釈が分かれてしまう。

 これが以前からの疑問であり、モヤモヤしたものであった。再読してもやはり理解できていない。最後に著者が残した謎、リドルストーリー的な結末なのかとも思わせつつ、それにしては最終的に到達した「仮説」に対する矛盾になってしまい、せっかくの大胆な「仮説」の疵になっているとも思えるのである。

 ネットで調べると、同様の疑問があるようで、意図的な設定説(=続編、続々編を読めばわかる説)や、ある誤訳説などがある。

 その中で、原文にあたったブログがあり、これによるとやはり誤訳(に近い)と判断せざるを得ない。

 プロローグ部分の「巨人」はやはり”大男”という意味の方であろう。

 つまり誤訳というか翻訳によるミスリーディングになる。

 ここをきちんと区別しておけば、ラストのインパクトは一義的に確定し、より衝撃的になると思われる。ある意味罪作りな翻訳である。

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