【書評】J・P・ホーガン「星を継ぐもの」ー仮説形成そのものが小説となっているハードSF

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 もはやハードSFの古典であり、誰もが認める傑作、J・P・ホーガン「星を継ぐもの」(創元推理文庫)である。

 先日再読したが、やはりエキサイティングで面白い。

 小説としては、ひとつの「謎」に注目して、それを科学的な視点でひたすら解く、というある意味非常に単純な構造である。

 しかしながら、その「謎」の設定、内容が非常に優れており、それを解明する「仮説」が、最終的にとんでもなく大スケールかつ説得力のあるものに拡大していく。「仮説」が提示されたラストを読み、読了後にはその壮大なフィクションの力に圧倒されるというSFならではの読書体験ができる。

 「謎」とは、月で発見された”宇宙飛行士”の死体の発見から始まる。その死体は分析の結果、今から5万年前のものであり、 また地球人(ホモ・サピエンス)と全く変わらないものであった。装備も明らかにオーパーツなものである。

 つまり、5万年前に高度な科学が月に存在していたのだろうか?

 地球人だとすると、如何にして月に行ったのか?

 などの疑問が湧く。

 これらを新たに発見されていく「事実」と合せ、最終的に壮大な「仮説」として解き明かしていく。まさにこのストーリーだけで小説が進行していくのである。

 ある意味、(日本の)伝統的な文学サイドが目の敵にしそうな、”アイディア先行型”、“アイディアのみ”の小説である。”人間が描かれていない”なんて批判が出そうな感じである。

 しかし、それでもなお、そのとんでもないアイディアのスケールにより導き出された「仮説」の衝撃は、我々 自身の立脚する<現実>を揺るがせるようなインパクトを与えてくるものなのである。

 ただ再読しても疑問に覚えた部分が1点ある。

 冒頭の月における”宇宙飛行士”の記述である。最初は2人で行動していたが、1人が負傷し、もう1人は彼を置いて目的地に向けた旅を続ける。負傷した1人というのが、前述の月で発見された宇宙飛行士であるが、もう1人をこの翻訳では「巨人」と描写しているのである。

 この小説では「巨人」とは、別の意味でも使われている。生物学的に異なる宇宙的な人種の違いの意味である。要するに地球人と火星人の違いのような使い方である。しかし、ここでその意味で冒頭の「巨人」を理解すると、物語のエピローグで大きな違和感を覚えるのである。つまり解釈が分かれてしまう。

 これが以前からの疑問であり、モヤモヤしたものであった。再読してもやはり理解できていない。最後に著者が残した謎、リドルストーリー的な結末なのかとも思わせつつ、それにしては最終的に到達した「仮説」に対する矛盾になってしまい、せっかくの大胆な「仮説」の疵になっているとも思えるのである。

 ネットで調べると、同様の疑問があるようで、意図的な設定説(=続編、続々編を読めばわかる説)や、ある誤訳説などがある。

 その中で、原文にあたったブログがあり、これによるとやはり誤訳(に近い)と判断せざるを得ない。

 プロローグ部分の「巨人」はやはり”大男”という意味の方であろう。

 つまり誤訳というか翻訳によるミスリーディングになる。

 ここをきちんと区別しておけば、ラストのインパクトは一義的に確定し、より衝撃的になると思われる。ある意味罪作りな翻訳である。

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