【書評】門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」福島原発事故のフロントライン、中操(中央制御室)のオペレータたちの姿を描く

 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」(PHP)を読んだ。(文中敬称略)

 福島第一原発事故において、事故発生から現在に至るまで次第に情報が出てきたものの、現場の最前線の声というものはあまり明らかになってこなかった。

 本書は、当時の所長・吉田昌郎だけでなく、もっとも最前線にあった中操(中央制御室)における現場オペレータたちの声や行動を丁寧に拾っている貴重な書となっている。

 以前の記事(フロントライン・シンドロームと兵站の問題)で、事故当時の福島第一原発では2つの「現場」いわゆるフロントラインがあったことを述べた。東京の東電本店とTV会議ができた「免震重要棟」(所長の吉田はここに詰めていた)と、オペレータたちのいた「中操(中央制御室)」である。

 ベントや冷却水注入などの重要判断があったが、その具体的な実行自体はこの1号機と2号機の間にある中操(中央制御室)に詰めていた、多くは地元出身のオペレータたちが行っていた。

 各種運転操作の実行だけでなく、電源喪失によりプラントの数値(パラメータ)を中央監視することもできず、次第に上昇する放射線環境下の中で、時には現場(機側)で計器を目測していたのも彼らなのである。

 原発事故の推移は、既に多くが明らかになっているように、津波の襲来により非常用電源(自家発電)であるディーゼル発電機が水没したことで全電源喪失の状況に陥った。そして大震災の影響によりインフラが途絶した状況で、冷却作業も虚しく、結果的に核燃料の溶融・漏洩に至った。

 そうした危機的状況が進行していく中、それでも、最も正確な情報が存在したのは最前線の中操(中央制御室)であった。

 非常に極限的環境において、彼らが自らの判断・責任でこのプラントの危機を回避した行為は良く理解できる。そして漏洩する放射線量が増えてくる中で、戦時中の特攻ではないが、個人への犠牲を強いるような場面すら生み出された。

 前記事で記載したように、フロントラインへの補給線は細く脆弱であった。トイレも流せず、食事や休息もまともにできない。彼らは使命感を持ち行動しているが、次第に疲弊していく。そして、次第に様々な事情を抱え、公私や義務といった”究極の判断”を迫られることになってしまう。

 本書では、こうしたフロントラインへの介入として、当時の首相・菅直人の訪問エピソードが否定的に描かれている。確かにこの行動自体には私自身も否定的な感想はある。しかし、こうした「補給線」の観点からは、若干やむを得ない部分もあるのではないかと思っている。

 事故当時の「戦線」は簡略化すると以下のような直線的な構造になっていた。

 プラント-中操(オペレータ)-免震重要棟(吉田)-東電本店-官邸

 この直線的なラインでは、情報の流れ自体と、物理的な補給線、双方の帯域(回線の太さ、流量)が細い状態であった。要するに”伸び切った補給線”となっていたことは厳然たる事実であろう。

 正しい情報は停滞し、その量は少なく、大きな時定数をもつ。

 そして現場から遠ざかるごとに、情報の不正確性は増し、その一方で関係者(専門家)の数は増えるという矛盾。

 従って、官邸では、「不確定な情報で専門的判定を元に重要な政治判断をしなくてはいけない」という状況に追い込まれたともいえ、それが首相の訪問の動機の一つになったことは本書でも菅直人が発言している。

 トップが現場に行って情報を取るような状況を作り出した責任は誰にあるのか、という議論はさておき、その動機自体は(微妙だが)それはそれとして正当な一面を持っていると私は考える。

 ただ、結果的に皮肉なことは、冷却水注入にせよ、ベントにせよ、その個別「判断」自体は、結局のところその段階でベストな解であった。つまり、こうした「東京」からの介入は結果的に”正解”にたどり着いている現場にとっては、首相の現場視察は、実行を遅らせる時間のロスにしかならなかった、という事実は動かし難い。

 確かに意思決定の責任はある。現場の独走は戒めるべきであろう。

 一般的にこうした状況の下では、正確な情報量が多い現場の判断が、より正しい解に近づけるのは自然なことである。それをこうした長大な情報ラインがその意思決定を無駄に遅滞させるという結果を招くという皮肉。太平洋戦争の日本軍の失敗と全く同様の構図に思える。

 かつてのJCOの臨界事故でもあったように、原子力事業者がこれまでの原子力行政との関係性から、事業者としての当事者意識が希薄な半官的な組織体質であったこともその一因であろう。

 加えて、そうした原子力行政を過去に推進し、パイプやそのヌエのような組織の「使い方」を熟知していたであろう自民党が下野し、民主党政権になっていたことも混乱の一因であった。

 福島原発の事故の教訓として、こうした危機管理において、サイバー(情報)・フィジカル(物資)を双方向的に補給する技術が求められているのではないか。

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【書評】R.バックホート「目撃者の証言は信頼できるか」人間の知覚と記憶がバイアスによって容易に変換されてしまう心理学的実験例

 R.バックホート「目撃者の証言は信用できるか」(日経サイエンス社)を読んだ。ワンポイントサイエンスシリーズの1冊であり、平易な日本語で科学解説をしたシリーズである。

 著者はニューヨーク州立大学で心理学の研究者。表題の通り、心理学的な観点から、”目撃証言”が状況証拠と同様に客観的証拠たりうるか、という点について否定的な視点から論じている。その理由として、人間の知覚、記憶といったものが能動的な行為であり、それが故にバイアスがかかりやすいとする。

 例えば、端的に以下のように人間の知覚と記憶について述べている。

 ここで人間の知覚と記憶について考えてみよう。コーネル大学のアルリック・ナイサーは次のように断言している。

 「知覚と記憶は、いずれも複写過程ではない」

 ことばを変えれば、知覚と記憶は、その人間の能力、背景、態度、動機、信条の全体と、環境および記憶が再現されるときの手つづきによって大きく影響される「一つの決断過程」である。つまり目撃者とは、テープレコーダーのように一方的に刺激を受けとめ記憶するだけではなく、もっと能動的に知覚し記憶する存在なのである。

 R.バックホート「目撃者の証言は信用できるか」(日経サイエンス社) p.14-p.15

 そうした「人間の能力、背景、態度、動機、信条の全体と、環境および記憶が再現されるときの手つづき」のいったバイアスによって、過去に目撃した内容が事実と相違するかについての心理学実験的な例を著者は紹介している。

・先入観による思い込みの例①:1930年代のハーバード大のブルーナーとポストマンによる研究で、トランプのカードを数秒見せ「スペードのエースは何枚あるか」と回答させる実験。”赤い”スペードのエースが混じっており、スペードのエースは黒い、という先入観から誤った回答をするというもの(p.25)

・先入観による思い込みの例②:ハーバード大のオルポートによる実験で、地下鉄車内で、ややデフォルメされた黒人および白人の二人の男が言い争うイラストを数秒見せる。「剃刀を持っていたのは誰か」という問いに、多くの回答は「黒人」であった。しかし実際に剃刀を持っていたのは「白人」であり、偏見によるバイアスがかかっていたとする(p.27)

・時間とともに変わる記憶:ハーバード大のオルポートによる実験で、不完全な「三角形」(ある一つの辺が途切れている)を見せる。30日後、3ヶ月後にその図形を思い出して描いてもらう。すると、時間が経過するほど完全な三角形を描く回答が多くなる、というもの。「人間は記憶をより論理にかなったものに「修正」しようとする傾向がある」(p.36)

・同調による改変:スワースモア・カレッジのアッシュが1950年代に実施した実験(アッシュの同調実験)。7人の実験者に2本の線を見せ「どちらが短いか」を問う。7人のうち6人は実はサクラで、1人が真の被験者である。6人はあえて間違ったほう、つまり長い方を「短い」と回答した結果、真の被験者もそれに引きずられて長い方を短い、と回答しやすくなるというもの(p.43)これがさらに上司と部下(被験者)のような権威があると更に同調は大きくなる、という例も紹介されている。

 このような我々自身の実感としてもそうであるように、知覚・記憶はバイアスがかかりやすい。こうしたものがデマや風評被害などを引き起こす要因の一つとなっているともいえる。

 また科学による不正行為においても同様の例が挙げられる。

 例えば、統計的データに対して、本来あるべきでないパターンを先入観によって読み取ってしまう”テキサスの狙撃兵の誤謬”や”どこでも効果”などもある(関連記事:【次元の呪い】私が思う「かっこいい科学技術用語」、「響きが面白い科学技術用語」14選【オーマイゴッド粒子】)。

 また、データの解釈にしても、そのコミュニティにおける”権威”により、バイアスがかかる例もある(参考記事:【書評】村松秀「論文捏造」-ベル研究所の世紀の大捏造事件と”発見”の栄誉の正統な帰属とは)。

 こうした客観的なはずの自然科学的な現象の解釈ですらも、人間の知覚や権威が介入することにより、同様の心理的バイアスが存在するのである。

 と言っておきながら、実は自分でも不安になっている。

 この本自体ももっともらしく実験例を挙げているが、そもそもそれが事実なのか?

 「科学者が著者としてクレジットされ、良く知られた出版された本」だから、その内容が信じているだけで、全くの「嘘」かもしれない。その位の仕掛けがあってもおかしくなさそうでもある(考えすぎかな)。

 この記事を書くのも、この著者の「権威」によるバイアスがかかって、先入観的に無条件に信じて良いのかという疑問も抱き、完全ではないが、上記実例は別に存在を確認しておいた(だからと言ってそれでも正しいかと言われると厳しいが)。

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【書評】村松秀「論文捏造」-ベル研究所の世紀の大捏造事件と”発見”の栄誉の正統な帰属とは

 村松秀「論文捏造」(中公新書ラクレ)を読んだ。アメリカにおける最先端研究所であるベル研究所で、2000年から起こった「世紀の大発見」と、それが研究者による不正行為(データの捏造)であったことが判明するまでのドキュメンタリーである。

 実は我々はこれを他山の石とはできなかった。

 考古学における旧石器捏造事件、そしてSTAP細胞事件、そしてそれらがあまりに大事件故に隠れてしまった様々な不正事件群をこの日本でも発生させている。

 このベル研究所で起きた問題は、上記の事例と同じくいくつかの現代科学とそのコミュニティが抱える課題を内包している。

 最先端にあるがゆえの境界領域や専門領域の細分化により、部門横断的な成果に対して専門家が非常に少なくチェック機能が働きにくい構造になっていること。ただこれは一方で、イノベーションの本質でもありブレークスルーはこうした常識外あるいは既存の発想外によって生まれる事実もある。したがって、大発見は本質として「今までそこに材料は転がっていたが、それを気づいていないだけ」という側面を持っている。

 今回も「高温超伝導」、「有機材料」、「酸化物の薄膜スパッタ」、「半導体プロセス」という最先端かつ異分野融合という側面があった。特に発想そのものは「有機半導体」「有機エレクトロニクス」という極めて現代的なテーマなのである。

 そこに先行者の「権威」という要素が加わる。これもバイアスとして存在することが本書でも指摘されているが、権威とはそれ自体悪いものではなく、要するに「専門性」であり「信頼性」と言い換えても良いであろう。この構図も、旧石器捏造事件、STAP細胞事件、常温核融合フィーバーでも起こった。

 今回の捏造の主犯とされた研究者は、最後まで「自分はその現象を確かに確認した。ただそのデータやサンプルは全て持っていない。捨ててしまった。再現は確かにできていないが、その理由はわからない」という主張をしている。世界各地での追試でも現象は再現されず、成功したとする実験装置は彼だけが独占した「マジックマシン」であり、最終的にその装置を使っても再現はされなかった。

 確かに不誠実な態度であり、証言に信用性はないと判断されるであろう。私もそう思う。だが、彼が「見た」と主張する以上、本当にそうであった可能性を完全消去することもできないのである。

 今回の事件における疑義のきっかけは、彼が論文で主張した「有機物に酸化アルミニウム薄膜を形成することにより高温超伝導体となる仮説の実験的検証」が再現できないというものである。

 この仮説自体はシリコンを対象とした電界効果トランジスタの原理そのものである。従って、物理仮説としては一定の妥当性がある。

 また、ここで登場したスパッタリングなどの成膜技術は、半導体製造技術(薄膜形成工程)として既に産業界で実際に高度に実用化・応用されているものであった。

 例えば、ハードディスクの高集積化を実現した巨大磁気抵抗効果は、まさしくスパッタリングによる薄膜形成技術によって実現できた。既に数原子層レベルといったミクロの世界で精密なコントロールが現実的に可能である。そこには製造技術として様々な手法の開発が必要であり、そこにもまたブレークスルーがあった。確かに製造技術として容易にマネのできない「レシピ」や「装置技術」は存在する。そして、それを秘匿する意味も確かに産業界の先行者利益として理解できる。

 この「マジックマシン」もその実態が不明な時点ではリアリティがあった。実際に高度になった半導体製造の現場ではそれに近いことが起こっているのである(ただ、彼の「マジックマシン」の形状は、いわゆる旧来型ベルジャータイプであり、むしろ非常に原始的な構成である。この例からも信憑性に大いに疑念が湧くのは当然であろう)。

 私自身、かつてある噂話を聞いたことがある。伝聞に伝聞を重ねているので本当かどうかはわからないが。

 ある電子部品を製造するために巨大な投資をしたメーカがあり、製造装置を作ったがどうしてもうまく生産できない。歩留まりが悪く、いつまで経っても大量生産に移行できないのである。製品計画は遅延し、製造装置メーカも手離れの悪い装置となり、疲弊していた。採算が取れず、撤退するメーカも現れた。

 そんな中、ある電子部品メーカのトップの前で製造装置の動きを見せろ、という場面(これもよくあるテコ入れ策で)があった。要するにうまくいっていない状況をトップ自らが視察することで鼓舞する意味があるので、労力をかけてリハーサルもするが、やはり当日まで装置は立ち上がっていない。ある意味関係者も、喝を入れられる覚悟でそのデモに臨んだ。

 しかし、その実際の場面で起こったことは、装置画面に完全に所定の性能を達成したことを意味する「数値」が出たのである。電子部品メーカのトップは当然成功と見て喜ぶ。そして、この製造装置を量産のために大量発注せよ、という指示が飛ぶ。だが、関係者は自分自身でも、なぜそうなったか理由がわからないので、半信半疑で喜べない。

 この真相は、実は装置の画面表示の「バグ」であった。

 装置はその時、別の理由の動作不良により、内部でエラーを出していた。制御的には、そのエラーが発生した時点で、画面に予め適当な表示をするようにプログラムを組んでいたが、その数値が偶然、装置の目標とする数値と一致していたというのである。つまり、装置は現実的にはエラーとして止まっていたのに、結果的に装置としての最高性能を示したように振る舞ってしまったのである。制御技術者がたまたま入れただけの数値なのだが。

 やはり実際の性能は出てなかった。しかし、もはやそうした真相は、関係者誰もが公にはできない。

 その結果、何が起こったか。

 なんと数ヶ月後には、その装置を使って所定の製品が、高い歩留まりで実際に製造できるようになったのである。

 つまり、確かにその製造装置には性能を出せるポテンシャルはあったのである。しかしその条件が見出されていなかっただけであった。

 だが、そのポテンシャルがあったということは、所詮結果論に過ぎない。運がよかっただけである。

 自然科学における実験データの再現性と同様に、結局は具体的なモノを製造して現実化しないと意味はない。しかし、上記のように、それよりも前に「できた」ように(故意ではないが)偽装してしまう状態も起こりうる。つまり、ここでは「一度はできた」(実際にはミスだが)という瞬間があり、結局最後は辻褄があって「できた」ことになる。栄誉は確かに正統な所有者の元に帰属された。

 今回の事例も、理論的な仮説としてはありうるものであり、この仮説が将来的に実験的に証明される事は起こりうるだろう。それはしかもベル研の自体と同様にアルミ酸化膜をつけるという方法かもしれない。

 その場合の栄誉は誰に与えられるのか。

 「一度はそれを見た」と証言する捏造した研究者であろうか。

 それは当然異なるであろうが、その時、もし本当にそうだったら・・・という可能性はゼロではないはずだ。これはSTAP細胞事件でも同様である。

 その場合、悲劇の研究者を産んだこととなるのであろうか。

 この点は自然科学の進歩自体にも同様の構図がある。誤りを修正しながら進歩してきた歴史があるからである。

 その時点の学会、コミュニティで承認された業績も、現時点で否定されているという事実も多い。しかし、れでもその研究者がその時点で誤っていたとは言えない。

 今起こっている正しさも、未来のフレームワークから見ると誤りの連続である可能性も十分にある。

 自分自身が今誤っている可能性を常に感じているが故に、科学者コミュニティとしても非常にナイーブな問題を含み、歯切れの悪い後味の悪さが残るのであろう。もちろん、ここで問題にしているのは、誤りと偽装(故意)・捏造との違いは存在する上で、個人の経験という要素を考慮した場合に、それを「客観的事実」として峻別することの困難さのことを指している。

 最終的には科学者としての誠実さ(どこまで自分の行動・結果を客観的に証明できるか)が問われているのであろう。

 繰り返しになるが、今回の主犯とされた研究者の態度が不誠実である事は間違いない。

 だが、彼個人はこれからも自分自身のストーリーを信じ続けるであろう。そして、もし将来に彼とは別の人間により偶然仮説が検証されたとしたら「悲劇の犠牲者」というストーリーが新たに彼の中で開幕するであろう。さらに世間と彼のギャップは広がり、そのことを想像するとやるせない気持ちになってしまう。

 

 

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【次元の呪い】私が思う「かっこいい科学技術用語」、「響きが面白い科学技術用語」14選【オーマイゴッド粒子】

 色々と科学あるいは技術関連の仕事や勉強をしていると、「この定理の響きが、かっこいい」とか「ものすごく真面目な内容なのに、ちょっと間抜けに聞こえる」用語があり、メモ帳に転記していたら、そこそこ貯まったので、ここで少し披露したい。

 なお既にSFなどでよく知られている「事象の地平面(シュワルツシルト面)」のようなかっこいい用語や、「ラーメン構造」などどいう”擦られすぎている”用語は避け、あまり一般的に知られていないようなものを選択したつもりである。

次元の呪い

 既にカッコいい。ルパン三世のエピソードみたいな響きであるが、これは数値解析用語である。数値解析におけるモデル空間の次元(例えば、平面なら2次元、空間なら3次元)が増えることに従って、その解析時間は幾何級数的に増加していく現象のことをいう。応用数学者リチャード・ベルマンによるネーミング。(参考:wikipediaのリンク「次元の呪い」

病的な関数

 れっきとした数学用語である。関数が病的とは?と疑問に思うが、直観から外れた異常な性質を持つような関数を指す。例えば、ワイエルシュトラス関数と呼ばれる「至る所で連続であるが至る所微分不可能な関数」があり、これはのちにフラクタルの概念として現れた、自己相似的(観測スケールを小さくしていっても同じ構造が現れる)な性質を持ち、どこまでいっても”接線”、導関数を定義できない。(参考:wikipediaのリンク「病的な関数」 「ワイエルシュトラス関数」

アビリーンのパラドックス

 これは響きがかっこいいと同時にその内容が面白い。社会心理学における集団行動の事例で「ある集団の意思決定において、個々人が誰も望んでいない決定を選択してしまう現象」を指す。命名者は、経営学者のジェリー・ハーヴェイ。アビリーンはアメリカの地名で、ハーヴェイによれば、”ある家族がアビリーンへの旅行をするが、その地は旅行に適しておらず誰も満足しなかった。そしてその提案者も含めて誰もそこへ行くことを望んでいなかった”というエピソードによるもの。(参考:wikipediaのリンク「アビリーンのパラドックス」

ラザロ徴候

 これは響きも良く、内容も厳粛である。脳死とされた患者が時々手や体を動かす現象をいう。自発的動作であるのか、反射的な動作であるのかまだ議論が尽きていないようだ。脳死はヒトの死か、という問題にも影響する現象である。時に、両腕を動かして祈るような動作があるという。ネーミングの「ラザロ」とは、新約聖書「ヨハネによる福音書」の11章でイエスによって死から甦らせたユダヤ人ラザロに因む。イエスはイエスを信じないユダヤ人群衆に半ば責められながらラザロの墓に行く。

(略)「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。

新共同訳「ヨハネによる福音書」11.43-44

この奇跡によってユダヤ人たちはイエスを信じ、名声が高まるが、それを快く思わない人々たちが、イエスを捕縛・逮捕する契機のひとつとして描かれる。(参考:wikipediaのリンク「ラザロ徴候」 「ラザロ」

ポンデロモーティブ力

 これは単純に面白い響きで選んだ。ミスタードーナツの製品のような響きであるが、物理学用語。一様でない強度の振動する電磁場に置かれた荷電粒子がうける力をいう。ちょっと具体的な例では、質量分析における四重極イオントラップでのイオンがうける力として現れる。(参考:wikipediaのリンク「ポンデロモーティブ力」 「四重極イオントラップ」

ローレンツ・ローレンツの式

 これも単純に映画「ニューヨーク・ニューヨーク」みたいな響きを感じて選んだもの。屈折率と分極率の関係式で、由来は発見者が二人の同性ローレンツ氏、ルードヴィヒ・ローレンツとヘンドリック・ローレンツによるものである。(参考:wikipediaのリンク「ローレンツ・ローレンツの式」

パンケーキクラッシュ

 これは用語というか慣用語に近く、建築関係でビルなどの積層物が構造破壊した場合に、例えば下層階(1F)が上層階から押し潰されて”パンケーキが膨れたように”層状破壊することを指す。のどかなスイーツを連想させる携帯アプリのゲームかな、と思いきや、内容は重いのである。(参考:wikipediaのリンク「パンケーキクラッシュ」

シロキサン

 「白木さん」ではない。ケイ素と酸素を骨格とした化合物を指す。高分子化合物であるシリコーンはシロキサン結合を持ち、半導体製造の現場では低分子シロキサンが半導体の微細回路の絶縁不良の原因になるとされ、忌避される。この手の書類を頻繁に書く場合には日本語入力ではシロキサンとして単語登録しないと毎回「白木さん」が候補に出てきてストレスが溜まる。(参考:wikipediaのリンク「シロキサン」 「シリコーン」

どこでも効果

 ドラえもんの道具のような響き。英語ではlook-elsewhere effectというらしい。しかし、物理学、特に素粒子物理実験の統計処理に関する用語である。データが極めて多い実験結果から有意な結果を導き出す際に「偶然によって起こった見かけ上の有意差」を事前に排除する必要があるというものである。(参考:wikipediaのリンク「どこでも効果」

テキサスの狙撃兵の誤謬

 これも統計学における用語で、由来は狙撃兵が何もない壁に向かって銃を乱射し、射撃後に壁に開いた穴の中から一番そこに集中した点を中心に”後から同心円を描き”、自分の射撃の腕前を過剰に見せた、とするジョークからきている。いわゆるランダムな点群から、何らかのパターンを読み取ってしまうという誤謬にも関連する(参考:wikipediaのリンク「テキサスの狙撃兵の誤謬」

エデンの園配置

 あるルールによって生成・消滅が定義されるセル・オートマトン(例えばライフゲームのような)の時間発展において、初期配置以外で生成されない配置をいう。旧約聖書「創世記」の「エデンの園」(最初の人類、アダムとイブだけがそこにいて、楽園を追放されてしまって二度とそこには戻れない」から由来する。(参考:wikipediaのリンク「エデンの園配置」

ノーフリーランチ定理

 フリーランチ=ただ飯である。要するに「ただ飯のような美味い話は無い」という意味である。SF作家ロバート・ハインラインの名作「月は無慈悲な夜の女王」において有名になったフレーズ(※)There ain’t no such thing as a free lunch.に由来する、組合せ最適化問題における用語。ある問題を解く場合に、あらゆる問題に汎用化されたアルゴリズムというものは存在せず、もしその汎用化されたアルゴリズムより性能の良いアルゴリズムがあったとしたら、それはその問題にのみ特化したから(他の問題では汎用以下の性能)であるということを示す。ある意味、情報処理における「エネルギー保存則」を示している。(参考:wikipediaのリンク「ノーフリーランチ定理」)※ただし、この文章自体は英語で「タダより高いものはない」を意味する慣用句でもある。

帆立貝定理

 のどかな名前で、実際にもまさに「帆立貝の海中遊泳」を説明した流体力学の定理である。「低レイノルズ数においてニュートン流体中を遊泳するものは、時間反転しても非対称になるように変形しなければ推進できない」という内容。(参考:wikipediaのリンク「帆立貝定理」

オーマイゴッド粒子

 本編の最後を飾るのは、このようなふざけた名前だが、これもれっきとした物理学用語である。1991年に観測された超巨大な高エネルギー粒子に、観測者がその観測データに「Oh My God」とペンで記載したことから命名された。(参考:wikipediaのリンク「オーマイゴッド粒子」

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【ダイエット】体脂肪率計の測定値とカロリー計算による脂肪減少値との差異についての考察

1.序論

 10/1から開始したダイエットは、目標を上回るペースで推移している。3か月で5kg減量に対して、1か月で6.5kg減量という好結果である。ただ、これも元々のベースラインがでかいことから、あまり凄い訳ではない(世の中のライザップ各位よりも、初期体重がでかいのだ。要するにガリガリガリクソンみたいな感じと思っていただければ(泣))。

 それはそれとして、三五八漬けダイエットだ何だと色々やっている最大の目的は、精神的な飢餓感を紛らわすために他ならない。要するに、何か”作業”をしていないと、精神が”腹へった”で充満してしまい、身動き取れなくなるのである。

 そんな背景もあって、今回も体重、体脂肪率をタニタの体重計で測定し、毎日記録するだけでなく、食べた食事や運動も記録してカロリー計算もするようにしている。ここまでしなくてもとも思うが、やはり何か記録という”作業”をしたい、という気持ちからなのであろう。

2.問題の提示

 そんな感じで1か月記録してきて、そのデータを整理してみると、ちょっとした疑問が湧いている。それは、

 ①体重計と体脂肪率で測定した結果から推定される、体脂肪の減少カーブ

 ②カロリー計算から計算される、体脂肪の減少カーブ

 この①と②に差異があり、その差異が単純に説明できないのである。

 今回は、この①②のデータを基に、その差異を説明する仮説を考察してみたい(そんなことをしないと気が紛れないでのある)。

3.測定結果および計算結果

 図1に、タニタの体重計による体重および体脂肪率の測定データを示す。体重計は、年齢・身長を入力する機能がある。測定は、夕食後、風呂に入る前、服装は一定という条件である。最初の日をゼロとした変化を示す。

図1 体重と体脂肪率の推移(初日をゼロとした差異の変化)

 図2に、測定からの体脂肪減少量とカロリー計算による体脂肪減少量の比較を示す。今回は食事および運動を全て記録し、できる限り正確にカロリーを記録した。折れ線グラフを作成するための計算式は以下の(1)(2)である。

図2 測定からの体脂肪減少量とカロリー計算による体脂肪減少量の比較
棒グラフは運動による消費カロリーの推移

 測定からの体脂肪減少[kg]=(初期体重[kg]×初期体脂肪率[%])-(その日の体重[kg]×その日の体脂肪率[%])・・・式(1)

 カロリー計算による体脂肪減少[kg]=昨日までの体脂肪減少の累計[kg]- (その日の基礎代謝量[kcal]-その日の摂取熱量[kcal]+その日の消費熱量[kcal])÷(脂肪1kg燃焼するために必要な熱量)・・・式(2)

 ここで、基礎代謝量は一定で2,000kcal、脂肪1kg燃焼するために必要な熱量は0.007kg/kcal(7g/kcal)とした。

 図2の折れ線グラフを比較すると、カロリー計算による体脂肪減少率よりも、測定からの体脂肪減少の方が減少として大きいことがわかる。本来の肉体のメカニズムからすると、脂肪燃焼による体重変化という代謝の時定数があるはずであり、両者のグラフが上下(経過日数で見ると進行方向)逆になるべきである。つまり、カロリー計算の見積が先行し、実際の体脂肪変化が追従すべきであるが、この結果では逆転している。

 更に測定による体脂肪率が持つ日々のバラツキを平均化するために、線形近似した直線を図2の点線に示した。この点線は、カロリー計算による体脂肪減少率にほぼ一定(約700g)のオフセットがあるように見える。

 この理由について、以下の仮説について考察してみたい。

4.仮説の提示

 仮説(A):カロリー消費が少な目に見積もられている

 仮説(B):体脂肪計測が多めに見積もられている

5.仮説の検討

 仮説 (A)の検討:

 式1のパラメータである、「脂肪1kg燃焼するために必要な熱量」については、オフセットではなくグラフの傾きに効くはずであり、この数値の変化が原因である可能性は低い(複雑な時間変化をしている可能性は捨てきれないが)。基礎代謝量も同様に傾きに効くので、可能性としては少なく、それに加えて今回のケースでは、カロリー計算の基礎代謝量が平均よりも大きい値である必要がある。棒グラフに示した程度の運動はしているものの、この運動量が基礎代謝を上昇させるためには時定数が必要である。何よりサンプル(私のこと)の特性(日頃から運動習慣なし、ほぼオフィスワーク)からすると、基礎代謝が平均以上であることは、ありえないと思われる。

 以上より、仮説(A)は可能性としては低いと考える。

 仮説(B)の検討:

 体重計の体脂肪率の測定原理は、体内の電気抵抗(インピーダンス)測定である。体内組織のうち、脂肪は電気抵抗が高く(電気を通しにくい)、水分や筋肉組織は電気抵抗が低い(電気を通しやすい)。これによって全体の体脂肪率を測定する。

 また、今回の測定で、実際より多めに脂肪を見積もっているということは、より大きい電気抵抗のオフセット成分が測定系に混入していることに相当する。この測定系において、ランダム成分ではなく、オフセット成分として現れる可能性のあるものは、「足裏皮膚と体重計電極の間の界面接触抵抗」である。

 当然のことながら、年齢を入力している体重計において、加齢による皮膚の乾燥など、こうした想定できる要素は内部計算に考慮されていると思われる。しかしながら、想定できない固有の要因である、足の皮膚のグローバルな物理形状の平均からの逸脱(扁平足とか)、ミクロ的な物理形状の平均からの逸脱、乾燥状態の平均からの逸脱などの要素が存在した結果により、界面に高抵抗な成分が存在していると考える。

 また、上記のうち、乾燥状態が影響として大きく効いているかどうかについては、風呂上りなどの測定条件を変化させた際の影響を調べることでより原因が絞り込めると思うが、本論では言及に止める。

6.結論

 ①体重計と体脂肪率で測定した結果から推定される、体脂肪の減少カーブ

 ②カロリー計算から計算される、体脂肪の減少カーブ

 この差異として現れたオフセット成分の原因は、足裏皮膚と体重計電極の間の界面接触抵抗に起因するものと結論する(だからどうした)。

 

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移転した”ものづくり文献調査の聖地”県立川崎図書館へ行って、マニアックな技術系雑誌を堪能する

 ものづくりを生業(なりわい)とする技術者にとって、かつて川崎競輪場、(旧)川崎球場の隣にあった県立川崎図書館は、なかなか使い勝手の良い強力な図書館であった。

 JISなどの各種規格類や、めったに書店に並ばない技術書、科学書、便覧、ハンドブックや、技報、技術系雑誌類が揃っているのである。

 しかも平日の夜まで開館しているので、仕事帰りに寄ることもできる。昔川崎駅近くに勤めていた時には、会社帰りに論文などを検索したことを思い出す。

 ここの司書さんも結構プロ意識が強く、昔のことであるが、ある技術の変遷を時系列的に調査する必要に迫られ、ある学会誌を過去15年間ざっとレビューして必要な記事をピックアップする必要に迫られたことがある。電子公開はまだしていない頃であり、かつ、文書のざっとした網羅検索性が必要な状態であった。司書さんに相談したところ、なんとラックに5冊分ぎっしり詰まった15年分の雑誌を出してくれたことがある。

 昔の建物は年季の入ったボロボロな建物で、川崎競輪場も近く、”浮浪者お断り”的な張り紙もあり、ディープな雰囲気の場所であった。

  老朽化のため何度も移転が噂されていたが、2018年5月に移転されたことを最近知った(遅い)。今度は、溝の口のかながわサイエンスパーク(KSP)の建物の中に移転したらしい。

 今回またしても、あるキーワードで各種の学会誌、技報、技術情報誌を調査する機会があり、移転後初めて行って見ることに。

 参考までに、調べる雑誌を挙げると「工場管理」「計装」「型技術」「省エネルギー」「機械設計」「NEC技報」「機械と工具」「Sheetmetal ましん&そふと」「いすゞ技報」「化学経済」など。なかなか、こんな雑誌類を一望にできる場所は見つからないのである。

 今回はCiNiiでフリーワード検索したものを、図書館で閉架から取り寄せを行なった。無かったのは2,3件だけで、ほとんど所蔵されていたのは流石という感じ。

 現時点でも電子化は進んでいるものの、紙のドキュメントをパラパラめくる検索性や、ざっと眺めている際にインプットされる情報量はバカにならない。検索による絞り込みとはまた異なる網羅性、俯瞰性があり、紙で印刷され製本された情報に直接あたる重要性は変わらない。

 KSPの建物は、なかなか綺麗かつゴージャス。ホテルや食堂もありなかなかの環境である。

 今回はクルマで行ったので、KSP地下にある有料駐車場に駐車した。料金は20分100円。ちょっと高めか。溝の口駅からは徒歩でも行けそう(15分)だが、バスもある。

 2Fの図書館入口。綺麗だ。

 中も明るくて、広い。開架書籍の量も増えている感じ。

 机も多く、結構人で埋まっている。やはり学生の受験勉強組もいるようだが、まだそれほど多くはない。

 さらに申し込みが必要だが、無料WiFiもあるので、ちょっとしたノマドワークもできそうだ。

 また1Fにはドトールコーヒーショップ、郵便局、ファミリーマートもあり、5Fにはカフェテリア形式の食堂もある。

 チキンカレー430円。午前中の読み疲れのせいか、一口食べてしまった。辛めだが、なかなか。食後1Fロビーにいたヤクルトレディからジョアを購入し、午後も作業である。結構疲れるのである。

 若干交通の便が以前に比較して微妙になったが、まる1日を資料収集に使うとした場合には、色々とインフラも揃っており、使い勝手が良いのは変わらずであった。

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1次元セル・オートマトンにおける「エデンの園配置」—256種類の全ルールに対する”密度-流量”マッピングにおける”到達できない”空白領域?

 最近思い立って簡単なセル・オートマトンの計算をして、色々頭の体操をしている。 

セル・オートマトン(英: cellular automaton、略称:CA)とは、格子状のセルと単純な規則による、離散的計算モデルである。計算可能性理論、数学、物理学、複雑適応系、数理生物学、微小構造モデリングなどの研究で利用される。非常に単純化されたモデルであるが、生命現象、結晶の成長、乱流といった複雑な自然現象を模した、驚くほどに豊かな結果を与えてくれる。

Wikipedia 「セル・オートマトン」より引用

 30年くらい前に8ビット機のPC-8801で動作するライフゲーム(2次元セル・オートマトン)のプログラムを入力(作った訳ではない)して、変化するパターンを眺めていたのを思い出す。当時はPCの演算速度が遅く、マシン語のプログラムであったが、結構モタモタした動きであった。 

 良く考えると、Excelは、既にセルの表示機能が実装されているようなものなので、実はセル・オートマトンと相性が良さそうだと(今更ながら)気づき、VBAの練習がてら計算をしてみた。 

 1次元のセル・オートマトンについて、少しプログラムを作り、検討してみた。ひさびさのVBA なので勘が鈍っているが、なんとか完成。 

 今回検討した1次元セル・オートマトンは、標準的な2状態3近傍とした。すなわち、1つのセルには0か1の2つの状態のみが存在し、近傍に隣接する2つの状態によって定義されたルールに従って、次の時刻の自分のセルの状態が遷移する。

 1つのルールにおける遷移条件は、対象の隣接(前後)のセルを含めた3ビット、すなわち(000)から(111)までの8通りの条件となる。従ってルールの種類の数は、2^8=256通りになる。このルールを8ビットの表現とし、0から255までの数値で表す(=ウルフラムコード)。 

 図1に、これらのルールのうち良く知られている「ルール184」の状態遷移図を示す。このルールは、交通流の渋滞モデルとして知られている。また、1次元の非線形波動を記述するBurgers方程式を「離散化」したものと等価であるという興味深い特徴を持つ。

図1 ルール184の状態遷移図

 直観的には図2に示すように、セルの状態を、1=存在する、0=存在しないとして、自分のセルが「存在する」場合に

・前のセルにも「存在する」場合には、そこに留まる=移動できない
・前にセルに「存在しない」場合には、そこに進む=移動できる

 という離散化された「流れ」を示していると理解できる。交通流における車の動きを単純化したものと言える。

図2 ルール184の各セルの状態。1のセルは右側が0であれば動くことができる。

 こうしたルールによって、初期の状態から時刻を順次変化させていった時に状態が最終的にどうなるかを、既にウルフラムら研究者が検討し様々な興味深い結果を得ている。単純に定常状態になるだけでなく、ランダムになったり、一定の周期を繰り返す状態など複雑な状態が生み出されることが明らかになっている。

 ここでは、先人が既に解明したことの後追いであるが、少し計算した結果を示したい。宮崎市定の語る「無学者の二次方程式の解の公式の発見」の例となっている気もしないでもないが。

 計算条件は、セル数を100とし、周期境界条件(左端と右端がつながっている)を設定した。

 例えばルール184の時間発展は図3のようになる。初期密度を0.5としランダム配置した状態から開始している。初期段階の一部にあった密度の濃い部分(渋滞)が解消され、等間隔の定常状態になって収束していることがわかる。

図3 ルール184の時間発展

 ルール184は周期境界条件のもとで、1と0の数が保存する。また現在の状態から前の状態を一意に逆に生成できるため、可逆である。最終的には等間隔ピッチ(一つ起き)になる状態に近づくように安定する。

 図4にルール30の時間発展の計算結果を示す。中央に1セルを設定することにより、カオス的な複雑なパターンとして増殖していく。

図4 ルール30の時間発展

 図5にルール110の時間発展の計算結果を示す。ルール30と同様に中央に1セルを設定すると、片側に複雑でありながらパターンを描きながら増殖していく。

図5 ルール110の時間発展

 図6にルール90の時間発展の計算結果を示す。中央に1セルを設定した場合には、良く知られているように自己相似なフラクタル図形を示す。

図6 ルール90の時間発展

 代表的なルールの時間発展を見てきたが、さらにルール自体をパラメータとして、このセルオートマトンの系の全体像を見てみたい。

 各ルールの定常状態を示す因子として、十分に時間が経過した後のパターンのセルの状態を次の2つの変数で代表させることにする。

 (1)密度:1の状態のセル数を全セル数で除したもの

 (2)流量:流れとして例えた場合に、動くことができるセルの数を全セル数で除したもの

 密度に関しては特に定義に問題ないが、流量についてはこの変数で表現することについては、疑問の余地がありそうだ。ルール184の交通流では流れのモデルになっているため、「流量」の表現は正しいが、他の場合には”10”というパターンの数、粗密を示した数値になっているだけである。

 従って、ここではルール184の交通流における基本図である「密度-流量特性」の下で全ルールに対して計算結果を同一平面上にマッピングすることを目的とするに留めておきたい。

 今回の計算では、収束させるための時刻(世代)計算数を1000とし(ただしカオス的な様相があることがわかっているので完全に収束はしない)、初期のセル配置を、密度を0から1までの範囲で30分割した上でランダムに配置することとした。

 図7に0から255までのルールについて密度と流量の同一平面上にマッピングした結果を示す。ルール184の密度-流量の関係が示す、(密度,流量)=(0.5,0.5)の点を交点とした傾き45度と-45度の2直線が現れており、ピラミッド形状の下部の領域に全ての点がマッピングされている。

 また時間発展の結果、1のセルが全て消失し0になってしまう場合もルールによってはかなりある。この場合は(密度,流量)=(0,0)の点に縮退することになる。

図7 全ルールの密度-流量マッピング

 図7のグラフの色表現だと、ルール数での依存性、法則性が見えないので、図8に、ルール0から255に対してプロット点の色を赤(ルール0)から黄色(ルール255)に階調させて表現したものを示す。しかし、ここからも特にルールに依存する法則性は読み取れなかった。

図8 ルール0から255まで階調してグラデーションをかけたもの

 ちなみに、ルール184(10111000)のビット反転であるルール71(01000111)は全く異なる挙動を示す。一方ルール184は左から右に動く様相を示すが、右から左に動く場合のルールはルール226(11100010)となり、この場合には本質的に同じ結果になる。つまり、このルールのコードの記法に対称性がないので、階調表現では法則性が読み取れないのかもしれない。

 この計算結果で疑問なのは、このプロットで埋められていない空白領域の存在である。空白領域はピラミッド形状の上方と底部に存在する。

 この空白の領域は、どう解釈すれば良いのであろうか。

 有名な「エデンの園配置」は、初期状態以外からはいかなる発展でも発生しない配置であるが、今回の計算では全ルールに対して「定常状態」に近い状態(ただし、カオス状態があるので定常状態にはならない)においても、密度-流量の2次元表現で空白領域が存在していることを示唆している。

 また、全てが0になるパターンからも自明なように、ルールの中には不可逆、すなわち単射が存在しない系列があり、エデンの園配置が存在することは確かであろう。

 定常状態において、いかなるルールでも最終的に存在しない状態の可能性があるとも言える(過渡的には存在している可能性はある)が、実際にはルール30のようなカオス的な発展を示すルールが存在するので、より初期値依存に対応した初期条件を精密にとった上で、十分長い時間を取ることにより埋まる部分と、エデンの園配置が混在した様相になっていると思われる。

 このような単純な系であっても、そこから、”どうやっても辿りつけない領域が、すぐ近くにある”という、現実と薄皮一枚で異次元につながっているようなホラーSF要素を読み取るのは少し飛躍しすぎであろうか。

 最後にやはり文中で言及した宮崎市定の語る「無学者の二次方程式の解の公式の発見」の例が自分で想起される結果になった。学問は、巨人の肩に乗らないと、なかなか苦しいのである。

(蛇足)VBAの計算で少しテクニカルな部分を、備忘的に記載しておく。

■ルール自体の数値化(変数化):セルオートマトンの「ルール」をブール型変数に格納しておく。具体的には1次元セルオートマトンのセル状態の状態遷移を、ブール型配列変数である「ルール(1)=(111)」から「ルール(8)=(000)」のそれぞれに対して、0の場合にはFalse、1の場合にはTrueというように定義すると良い。

■配列変数における周期境界条件の定義:剰余関数(MOD)を使用することで周期境界条件を考慮した配列パラメータが定義できる。例えば、10の剰余とはNを10で割った際の余りであり、Nを1から順番に増やしていった場合に、その回答が割る数10の周期0123456790123456789…と循環する。これを用いることで状態遷移判定の記述を一般化したまま周期条件条件を定義できた。

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2019年新入社員に贈る:世の中には「時間が解決することもある」ので、のんびりやってほしい。ということを数理モデルで説明してみる

 今年も新入社員が入ってくるシーズンになって、通勤電車で慣れない立ち振る舞いなど、色々と社会の荒波に揉まれている様子が見られるようになってきた。

 実際の業務に就くのはまだ先であろうが、今後慣れてくるに従って、色々な現状へのイライラ感が出てくるであろう。

 ある程度仕事がわかってきて、一人前に近付いてくると「どうしてこの組織は、こんなに意思決定が遅いのだろう」とか「どうして自分が感じている危機感を上司は理解してくれないのだろう」と言ったイライラが出てくると思う。私もそうだった。

 そのイライラが昂じると「危機感と変革力がない上司は老害」「この組織にはスピード感がない」「大企業病」と言った不満になってくる。

 ドラマであるような、熱血・情熱的な現実的なスタンスで問題意識に過敏に反応し変革を求める若い層に、保守的・既得権益維持を使命とする体制層が冷や水を浴びせ、若い層にはフラストレーションを溜める対立構造は、大なり小なりどこにでもある光景として見ることができるのだ。

 そして、その若者の不満は一面として真実であろう。確かに組織というものは集団の内部統制という側面もあり、ルールとチェックでがんじがらめで意思決定が遅くなりがちなのは事実である。

 そして今こうして「一面として」と書くと、「はいはい、またそうはいっても現実はそうじゃない、とか、もの分かりの良さそうな態度で足して二で割るみたいなガス抜き折衷軍団がやってきた、老害乙」みたいな感想が返ってきそうだ。

 ここでは、その功罪というより、既存の組織で行われる意思形成を成す既得権益を持つ主流層いわゆるビジネス的な意味での”エスタブリッシュメント”には、本質的に「鈍感力」というべき応答時定数の遅いシステムが組み込まれている、ということを説明してみたい。

 ここで言う”エスタブリッシュメント”をもう少し具体的に定義すると、組織の予算と人事評価権、人事権を握っている層ということに尽きる。組織は予算と人事、この2つを抑えることで基本的には統制を取っている。

 組織全体は、応答時定数が早い(遅れが少ない)システム(=若い層)と応答時定数が遅い(遅れが大きい)システム(=エスタブリッシュメント)が直列結合で組み合わさっているような、すなわち図1で示す2質点系のバネ-マス(+ダッシュポット)モデルで表現できる。

図1 若者(添字2)とエスタブリッシュメント(添字1)が結合した組織の数理モデル

 例えばこの系は、図2のような運動方程式で表される。外力項が入っているが、ここではゼロとして考える。変数の添え字では、エスタブリッシュメントは添字1、若い層は添字2とした。

図2 計算モデルの各質点の変位xに関する運動方程式

 そのようなモデルの若い層(添字2)の動き(変位)とエスタブリッシュメント層(添字1)の動き(変位)についての運動方程式(図2)を以下の計算条件で数値計算したものが図3である。

 この計算パラメータの条件設定では、若い層がより過敏に反応し、エスタブリッシュメントが鈍感に動く応答性の差異を、バネ定数と質量から決まる固有周波数に3倍の比率を与えて表現する。つまり、若い層はエスタブリッシュメントより”3倍の周期で速く動きやすい”。

 続いてエスタブリッシュメントの応答性の悪さを表現するために、運動に対する抵抗特性である減衰係数の比率を1000とする。つまり、若者はほとんど自己の運動を減衰させない一方で、エスタブリッシュメントには大きな減衰特性を与える。

 初期条件として、若い層にのみ初期速度を与え、それ以外はゼロとする。つまりエスタブリッシュメント層は初期のエネルギーはゼロで、受動的に動くとする。

図3 運動方程式の解とエネルギーの挙動(上図)と各質点の相図

 若い層に当初与えた運動エネルギーは急速に減衰してしまう。一方でより応答性の悪いエスタブリッシュメントは、ほとんど反応せず、自らの減衰特性によって若者の運動を巻き込んで、元の位置に収束してしまう。つまり、若者のエネルギーがより大きな組織のエネルギーに変換されようとしているが、慣性と減衰が大きく、組織全体を動かすに至らず急速に減衰してしまうのである。

 先に述べた対立構造の現実では、このような状態がまさに起こっているのであろう。ちなみに若者がより感度を上げて活動しても、全体としては同じで、こんな若者の”独り相撲”のような解になる(図4)。

図4 若者の固有振動数を7倍した解

 若者の情熱、応答時定数が高い部分の運動が、システム全体の運動に寄与せずダッシュポット要素における熱的散逸、つまり文字通り「摩擦」として全体の運動に寄与しないで無駄に消えてしまうところも現実と同じだ。

 では、なぜこのような構造が発生するのか。特に、なぜエスタブリッシュメントは応答性が悪いのか。

 これは単純に「生理的なもの」と「経験的なもの」と考えられる。

 「生理的なもの」とは、単純に加齢、もっと言えば老化であろう。年齢を重ねるごとに外部の刺激に対して反応が鈍くなる。単純に思考のスピードも遅くなる。また若い場合にはセンサーも過敏で、取得する情報も多いので、この対比はより大きくなる。

 「経験的なもの」とは、いわゆるインサイドワーク、あるいは、経験知というようなものである。物事には実は「時間が解決する」ようなケースは多い。特に複雑な組織において課題を処理するような場合には、先ほどのモデルを更に多変数にしたようになり、1つの要素だけ早く動いても全体には影響を及ぼさない。同期しないと無駄が多いのである。そうすると実は「まずは待ってみる」というのも結構無視できない有効な策であることがわかってくるのである。

 「だからどうしたの?」という声が聞こえてきそうだが、まずは長い旅なのでのんびりと取り組んで欲しいのである。

 補足:この運動方程式は、よく知られたカオス的な挙動を示す「二重振り子」のモデルとも類似しており、単純な系でありながら、現実と同様に複雑な運動の様相(図5)を持っているのである 。

図5 減衰無しのバネのみで結合した場合の運動方程式の解の一例。意外に複雑な運動の様相を示す。
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【異世界】怖い給水塔ー”とっくり型”がある町田の「境川団地」へ行ってみた

 以前書いた記事にあったように、給水塔の中でも中間部に”くびれ”のある”とっくり型”タイプには、異世界なまがまがしい雰囲気を感じて、根源的かつ生理的な恐怖感を覚えてしまう。

関連記事:【異世界】給水塔が生理的に怖いので、克服すべく給水塔の聖地「多摩川住宅」へ巡礼してきた

 町田駅と古淵駅の間にある「境川団地」に、この”とっくり型”が2塔あるので写真に収めてきた。

 横浜線(町田街道)に沿って広がる団地の町田寄りと橋本寄りの2箇所にあり、まずは町田寄りの給水塔に近づいていく。

 なぜか不穏な雲が立ち込める中、こちらも存在感のある送電線の鉄塔とのツーショットである。

 少し近づいていく。

 給水塔は白いペンキで塗られているが、結構年季ものっぽい。その足元に近づいた頃には雲も晴れて、青空が出てきた。この急激な天候変化も偶然であろうか(←偶然であろう)。

 てくてくと歩き、橋本寄りの給水塔へ向かう。

 結構離れてから町田寄りの給水塔を眺める。他の建物と比較して異常な存在感がある。

 これが橋本寄りの給水塔である。

 青空と雲の中での町田寄りの給水塔の1枚。なかなかの存在感で、独特のオーラをまとって屹立するその姿には、やはり不安感を煽られる。ぶ、不気味だなあ。

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電通大附属図書館の古本市で理系×古本にときめく

2018年1月25日(木)から27日(土)まで、調布市にある電気通信大学の附属図書館で蔵書の放出、古本市を開催する情報を入手した。平日は厳しいが、土曜日の27日に行ってみることに。

web情報によれば「除籍図書(各分野の参考図書・理工系専門書・一般図書等)、約9,700冊を販売します」「1冊100円」ということで非常に気になる。

エンジニアはおしなべて、あまり技術書、特に古い技術書を活用しない傾向にあるが、私は昔の技術書、ハンドブック、便覧を集めるのが好きなので、まさに絶好の機会なのである。

技術系の古本というものは、情報が時代遅れであると思いがちであるが、実はそうではない。

もちろん例えばコンピュータ関連などは技術のアップデートが激しいのは確かだが、科学革命のような教科書を書き換えるような大事件が頻繁に起こっている訳ではなく、既にある程度の部分が確立されており、基本情報の信頼性にはほとんど問題ないことが多いのだ。

そもそも量子力学への科学革命の後も、古典力学は一定の範囲で有効であり、むしろ機械系エンジニアにとっては現在でも古典力学の範囲で仕事をしているであろう。

更にエンジニア視点から考えてみると、現状のコンピュータシミュレーション前提で、装置のエンジニアリングの基礎である、化工計算や構造計算などについては、実は昔の本の方が記述が優れていることが多いのである。

つまり、一昔前のエンジニアは、現状のように計算資源にモノを言わせて厳密モデル、大規模モデルでゴリゴリ計算することができない代わりに、モデル化、単純化して簡易計算をする工夫が優れている。

これは実はエンジニアリングの基礎部分の実力形成にものすごい差を生み出すと思う。

現在であればFOAの考え方のように、設計にあたり物理現象を短時間に、第一次近似的に早期に捉える手法が実は求められているし、計算工学の落とし穴になっていると思う。

まあ、そんな個人的な思いもあり、科学技術系古本には魅力があるのである。

電通大は、調布駅から徒歩10分くらいの好立地にある。大学構内には特にチェックもなく入れる。場所を尋ねると、警備員さんが親切に地図で教えてくれた。

この世知辛い世の中に、まだ大学の自治があるようで、何かリラックスできる。

建物の一角に古本市が開催されている。

会場の風景。古本市のセオリーは主催者側が守っているらしく、最終日の3日目昼であるが、順次図書が並べられているようで、在庫はまだ充分あるようだ。

古本市の独特な、他人を出し抜いてお宝ゲットを狙う感じの雰囲気が参加者からビンビン感じる。私も久々のハンター気分で物色である。

さすが電通大、工学系の図書は洋書を中心に多めである。それ以外にも哲学、文学系の図書もあった。

1冊100円とはいえ、ハンドブック系はとにかく1冊が大きく、重いため非常に荷物がかさばる。5冊も買うとリュックが行商人並みの膨れ具合になり、肩にズッシリと重みがかかる。

今回の戦利品の一部である「無線工学ハンドブック」。公式集や回路図、更には巻末にレトロな広告まで沢山あって良い。

またハンドブック系は技術の上位概念や体系を理解するのに非常に有用なのである。

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