面白い科学:ORによる昇進競争と妨害の最適戦略とは

オペレーションズ・リサーチ(OR)という自然科学と社会科学の境界線のような学問がある。

その対象を、自然現象というよりも社会的現象まで広げ、その分析に数理的な手法で行うジャンルである。

私は専門領域ではないが、対象として人間や社会まで広げた数理モデルによる分析は、色々と参考になることが多い。

現実のビジネスシーンでは、数字や科学技術では割り切れない泥臭い問題が多く、エンジニアにとってはストレスが溜まる。意思決定などは科学的にズバッと決まりそうなものだが、未だに人間の感情のようなものに左右される。

正直本音で言えば、こんなビジネスの意思決定こそAIでやるべきではないかと思う。

そんな折に見た論文を紹介したい。

紹介する論文:湯本祐司「昇進トーナメントにおける足の引っ張り合い」オペレーションズリサーチ2012年6月号p.322

なかなかの題名である。そのものズバリで、出世レースという人間感情のドロドロする格好の素材である。これを数理モデルで検討する。

まず昇進レースを以下のような数値モデル化している。

・1番「成果」の値の高いプレーヤー1人だけが昇進する
・各プレーヤーはリソース1だけ持っており、これを他のプレーヤーの「成果」の値を下げることに使える(妨害)

このときのプレーヤーの戦略は、自分の勝利確率を最大化するように選択する。

最適な戦略は何かというと、”出る杭は打つ”という、成果の最も高い期待値を持つプレーヤーの成果を最小化する、という戦略になる。

要するに、1番能力のあるプレーヤーほど、足を引っ張られることになる良くあるパタンが再現される。

また3人の離散モデルでは、上位2人が足を引っ張り合った結果、最後の1人が漁夫の利を得るパターンや、トップランナーに妨害が集中するパターンも、ナッシュ均衡(誰も選択変更できない三すくみ状態)になる。

また昇進競争は、1回だけの勝負ではなく、現実では、ある一定期間についてのトーナメントの様相を示す。

この場合も検討している。

この場合には、能力のあるトップランナーがその能力を知られることが戦略上の大きな焦点になる。当然、トップランナーであれば妨害が集中するので、途中の時点で誰もがトップになりたくないというインセンティブが働く。

これは組織トータルとして見た場合の生産性低下要因である。

その対策としてはどうするか。途中経過の情報を隠すことでこれは回避できる。

また、同じ理由で、能力のあるプレーヤーが敢えて目立った成果を出さない、能力を隠すようなインセンティブが働く。これも組織トータルとしての生産性低下要因なので、この対策としては2つある。

1.アメリカ型の早い選抜
初めの時期の成果で強いインセンティブを付与
→後半は低位のプレーヤーには妨害しない程度のインセンティブを与える

2.日本型の遅い選抜
途中時期の成果に強いインセンティブを付与
→能力ある人は後半に力を発揮、無い人も平均的に発揮

また、ここまでの議論の前提では、妨害活動=組織全体の生産性に対する悪化と単純化していたが、そうでない場合もあるとしている。

それは、1人ダントツの能力がある場合で、その場合低位の能力のプレーヤーはやる気をなくし、ダントツ能力のプレーヤーもそれ以上の努力をしないというパターンである。
この場合には、むしろ妨害行為を禁止せず、ハンディキャップ装置として機能させることで組織全体での高い努力水準をひきだせる場合があるとする。

以上、論文では数学を使っていたが、これを使わず解説してみた。

出る杭は打たれる、能ある鷹は爪を隠す、漁夫の利、などのことわざで代表できるところが、古来からの知恵との類似性を感じさせる。

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【異世界】給水塔が生理的に怖いので、克服すべく給水塔の聖地「多摩川住宅」へ巡礼してきた

給水塔が怖い。何のことかわからないであろうが、団地にある、あの給水塔の姿が怖いのである。

給水塔を見ていると、身がすくむというか、ものすごい不安な気持ちになる。

まるでこの世界が終わってしまったような終末感、取り返しのつかない絶望感に襲われるのだ。

何か病んでいるみたいな記述であるが、これがわかったのは最近である。ある種類の”給水塔”とその風景を見て以来、こうした根源的かつ生理的な恐怖感に襲われるのである。

巨大建造物が怖い、という人は他にもいるらしい。ダム、発電所、送電線、鉄塔などである。私はこれらには全く恐怖を感じない。むしろ巨大建造物は得意な方なのである。

前職はプラント系エンジニアであった。高さ10mクラスのプラントなどは当たり前であった。現地の施工時などには狭いキャットウォークや梯子などを使って(当然安全対策はする)、登ったりするのはむしろ得意だった。10mクラスのタンク内の幅1m以下の狭い空間によじ登って、故障がないか点検する際にも、皆嫌がる中、むしろ面白そうで志願してそこに入ったくらいなのである。

しかし、今回紹介する給水塔だけはちょっと違う。何かものすごい外観からオーラを感じてしまうのである。異世界に引きずり込まれるような、現実の確かさを揺さぶられそうな根源的な異物感を感じるのである。

そもそも給水塔は何のために存在するのか(そこから?)。

それは、団地のような高層階に対して静水圧ヘッドを与えることによって安定した給水能力を確保するためであろう。それは問題ない。

団地のような集合住宅の日常風景の中に、給水塔は自然に存在している。それは認める(ちなみに超高層ビルなんかはどうしているんだろう)。

かように理屈では理解している。その証拠に、実際、いわゆるよくある給水塔(下図)は、怖くないのである。

ただ内部はどうなっているのか、とか、モーメントが結構きつい形状なので、基礎をどのくらい打って転倒に備えているのだろうかなどは気になるが、普通の感情の範疇である。全く何ということもない。心はフラット、平穏な心境である。

ところが、怖いのはこんなコンクリ打ちっ放しで中間部分に凹みのある”とっくり型”という奴。

どうよ、この存在感!

4階建の団地と比較しても、なんかスケールが違いすぎる。日常の風景じゃないでしょこれ。異世界だよね。人類が滅亡した後の世界でしょ・・・(そろそろお薬の時間だ)。いやあ、怖い。ゾクゾクする。良くこんなもの団地にあって、住民は平和に暮らせるものだ(余計なお世話だ)。

よく見ると給水塔に窓があって、それらが目のように見えてくるし、何よりこの巨大さに圧倒され、不安感をそそられるのである。

これが夜で、”夜の給水塔”などと文字で想像しただけで、ああああ(泡を吹いて卒倒)。

こんな昭和30年代建築の給水塔が5つもある、多摩川住宅(東京都調布市)に行って写真を撮ってきた。

はっきり言って、精神的なプレッシャーはきつい。

しかし、自分の嫌な感情と向き合うのもまた一興(そうなの?)ということで、わざわざ調布からバスに乗って多摩川住宅へ行ってきたのである。天気は快晴だったので、尚更異世界感がすごい。5つある給水塔全てを写真に納めてきたので、ここで紹介する次第である。

まず一つ目(仮に①とする)。道路とのコントラストがきつい。この絵面も精神的にくる。

①に寄ってみた。車の小ささと給水塔の巨大さのコントラストが、心に突き刺さる。さらに遠くにもう一つの給水塔②が見えている。

給水塔①の入り口。とてもではないが、入る気などさらさら無い。

給水塔①を見上げて見た。近づいても怖さは変わらない。不気味な風貌だよなあ。

給水塔②に近づいていく。この距離でこの存在感。何かありそうな予感・・・。

広い公園の中に佇む給水塔②に近づいてきた。これまた怖い!

根元に木々を従えたかのような給水塔②の風貌。なんか宗教寺院みたいだ。

給水塔②を逆側から。団地を圧倒し、睥睨しているかのよう。怖いよ〜

比較的平和?な給水塔③

給水塔④に向かう。これもなかなかのきつい雰囲気である。

出た!窓が睨んでいる目のように見える。楳図かずおのマンガに出てきそうな風景。車が一撃で蹴散らされそうな給水塔④の上から目線である。

逆角度からの給水塔④。やはり怖い。

給水塔⑤である。スケール感が苦しい。

以上、給水塔マニアの聖地、多摩川住宅にある5つの給水塔を巡礼した。

やはり怖い。周りの建物などとサイズ感が不自然な感じを受けており、どうも異世界感が強いのである。内部が全くわからないのも恐怖感を高めている。

ちなみに写真を見返すと、休日の昼下がりだというのに人の姿が写り込んでいない。なんか、意味深だよね・・・。

ということで、恐怖感は全然解消されてはいないが、いい運動にはなった(強制終了)。

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町田市民文学館「本の雑誌 厄除け展」に行ってきた

こんな展示を見かけたので興味を持って行ってみた。

椎名誠はSF小説や自伝的小説含めてかなりハマっていたし、目黒考二(北上次郎)も活字中毒関連でエッセイを面白く読んでいた。

目黒考二『本の雑誌風雲録』(角川文庫)

特に編集長である椎名誠の、暴力的な部分と繊細な面を一つの人格の中で無理やり力ずくで同居させている感じがなかなかグッとくるものがある。

JR町田駅から徒歩15分くらいであろうか。ラーメン屋群を抜けると、町田市民文学館にたどり着いた。

展示室は2階にあった。途中の階段には、こんなプレートが。

創刊号の表紙である。展示室の中は1箇所を除いて撮影禁止であった。

椎名誠、目黒考二、沢野ひとし、木村晋介らの青春とも言える、ガリ版刷りのミニコミや、生原稿などが展示されていた。

唯一の撮影可能コーナー。

「友達はいつか消えていく。本は裏切らない。」というコピーが良い!まさしくその通りである。椎名誠が作り上げた(と私は思っている)「本の雑誌」的つながりは、結構体育会的義理人情的つながりが強いように見えるが、その底流には徹底した孤独感があると思う。椎名の自伝的著書にも、常にその孤独感、人間不信感が漂っているように思えて、そこが私にとって非常に落ち着くのである。

なんで町田?という疑問については、目黒考二と木村晋介(記憶曖昧・・・)が町田在住らしい。

展示では、上記のような椎名誠や目黒考二らのブックガイド(リスト)がもらえる。無料の展示会なのに、このお得感。敢えてモザイクをかけたので、是非見に行って欲しいと思う。

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立ち飲み屋探訪:橋本駅「気利屋」

京王閣競輪で日本選手権競輪をGW期間中にやっており、そこで苦闘した挙句に、橋本駅で途中下車した。

ブックオフに寄り、本を買って、その後立ち呑み屋があることを思い出し、入店。

いつもは結構混んでいるが、今日はGW中だからか、あまり混んでいない。

ホッピーとマグロ刺しを頼む(下の写真時点では未到着)。

メニューには、ドンペリがあった。

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【京王閣の負師】何をやっても当たらないので、もう何も考えずに予想屋に11レース全乗っかりしてみた結果

ささやかな趣味である競輪だが、最近スランプである。

勝てない。

全く勝てないのである。

予想するが裏目裏目、何をしても上手くいかない。勝てないと楽しくないのである。ドキドキ感だけではなく、当たった感も欲しい。

仕方がないので、先日ついに予想屋から全レース予想を購入し、その買い目に完全に乗って見た。

もう自分の予想ではダメで、こうなったら当たりそうな予想屋を見つける方向で予想をしてみたのである。

予想屋の予想は、今でいう情報商材である。昭和の時代から今でも生き残ってきた訳で、たいしたものである。

京王閣競輪で開催していた日本選手権競輪で、7レース時点で全レース分を購入してみた。ちなみにその予想屋に決めた理由は、私の目の前でご祝儀(といってもアジフライ)をもらっているのを見たから。調子いいんじゃないの?

予想代金は全レース分で500円、以下の紙をそっと秘密の感じで渡される。

暗号文であろうか。数字の羅列である。また少々多すぎである。絞れない。

ちなみに、6レースまでの結果は既にわかっているので照合してみた。

推薦の3車(左から)をワイドで3点買い購入する前提で、以下照合すると、

1レース:外れ

2レース:外れ

3レース:1つ当たり(払い戻し200円)

4レース:外れ

5レース:外れ

6レース:外れ

全然ダメなのである。投資1,800円に対してリターン200円。

さっきのご祝儀は何だったのか(困惑)。

しかし、これは問題ない。むしろ私にツキがある。

ここまで外れできているということは、それ以降のレースの予想確度が上がっているに違いない(オカルト)。

また予想屋の場合には、ついていない予想屋の目をあえて外すという高等テクニックもある。要するに、的中率6割の予想屋に乗るより、的中率2割の予想屋の逆張りに乗る方が儲かるという論法である。今回はそこまで裏をかくつもりはないので、素直に買い目に乗ってみることにした。

その後の結果はというと・・・。

7レース:1つ当たり(払い戻し150円)

8レース:外れ

9レース:1つ当たり(払い戻し680円)

10レース:外れ

11レース:外れ

ダメでした。人生上手くいかないものである。

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【ご当地グルメ】競輪場だけで食べられる、あのスポンジの様な黒モツ肉(やおぎも)が激烈に美味い件について

初めて食べたのは立川競輪場の売店であった。

黒モツと白モツがあり、串に刺してある。食感はスポンジのようなフワフワな感じである。七味唐辛子をたっぷりかけて食べると、味が染み込んでおりうまい。

若干臭みはあるが、全く気にならない。ただ、黒と白では肉の部位が明らかに異なる気がする。黒の方がうまいと思う。

京王閣競輪場では、モツ煮を頼むと黒と白を両方、あるいはどちらか一方セレクトしてくれる。味噌ベースのタレでじっくり煮込まれた肉は、ギャンブル場の雰囲気ともマッチしている。

上の写真は”黒”だけ。うまい。

上の写真は、黒と白のミックス。おかわりである。

黒のこのスポンジのような食感といい、一体どこの部位なのかが長年の疑問であった。白は何となく腸のような感じがする(いわゆるモツですな)のだが、黒の食感がどうにもこうにも、わからない。

調べてみるとどうやら牛の”肺”らしい。”やおぎも”とも呼ばれる部位である。

なるほど、スポンジ状になっているというのも頷ける。

見事に競輪場でしか見かけない鉄火場フードであるが、なぜなんだろう?流通経路の問題だろうか?でも、1頭に1部位は必ず出るんだから、何らかの形で消費されていてもおかしくない。ホッピーは進み、車券は外れ、謎は尽きない。

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【駅弁】高崎駅 「だるま弁当」で晩酌

出張のお供には駅弁がある。割高ではあるが、色々地元の工夫を凝らしており、時々お酒のツマミに購入する。

先日の出張先の高崎駅で、名物「だるま弁当」を購入した。これは山菜や蒟蒻を中心としつつ、濃いめの味付けなので、酒のつまみに良い。

日本酒四号瓶を空けてしまった(呆れ)。

ベタであるが、空き箱を持って帰ると貯金箱になる。

オープン前のだるま弁当の勇姿。

中の様子。山菜などがあり、多めのご飯も味がついており、酒のツマミになる。

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【ドリンク】新潟のお土産 「良寛コーヒー」

 乳飲料は保存が効きにくいので、地産地消になりやすい。よって地元のブランドができやすいという仮説に従い、先日の新潟県出張時にスーパーの乳飲料売り場に足を運んでみた。

 すると、予想通りあった。

 新潟県の出雲崎酪農組合の作である「良寛牛乳」「良寛コーヒー」である。

 私は牛乳を飲むと腹を壊す(関連記事:牛乳が苦手な大人たち)ので、「良寛コーヒー」の方を買ってみた。

 味の方はパッケージに”コーヒー豆から抽出”とあるだけあって、なかなかコーヒー感が強い。この点は、福島県の酪王カフェオレと異なり、苦味がある。

 コーヒー牛乳ひとつとっても、土地土地でローカル感があるということを実感したのであった。

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手の中のリアクションホイール:「パワーボール」を買ってみた。

なんか最近流行っているのかそうでないのかわからないが、「パワーボール」を買ってみた。

人工衛星の姿勢制御などで使われるリアクションホイールの原理(ジャイロ効果)を利用したトレーニング器具で、回転軸が直交する回転2軸が内蔵されている。いわゆるジンバル(下図 wikipedia ジンバルから転載)構造になっている。

1軸(上図の内側)をスプリングあるいは糸で高速回転した状態で、手首の動きによって外力を与えて、うまくもう1軸(回転方向も変わる)を回転させる。

そうするとボールの回転軸が複雑に移動し、手の中で暴れるような複雑な動きとなる。その結果として、把持する手首に反力が必要になり、これが筋力を鍛えるようだ。

 

「RPM Sports NSD パワーボール 280Hz Autostart Classic」を購入。オートスタート機能付きである。

こんな姿勢でボールを持って、手首を回す。うまく回すと”うなり”音が出る。

デスクワークの傍に置いて、時々回すのは良いかもしれない。

利き手の右手はすぐに素直に回転できるようになったが、左手が握力が足りないのか、なかなかうまくいかない。

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【書評】嵐山光三郎「漂流怪人・きだみのる」ー文明批評される側の論理

 嵐山光三郎『漂流怪人 きだみのる』を読んだ。

 きだみのる(山田吉彦)は、岩波文庫『ファーブル昆虫記』の翻訳で業績のあるフランス文学者である。在野で過ごし、戦後は文明批評で有名であった、というのが一般的な世評である。

 嵐山の著書では、きだみのるが文明批評で人気を博していた時代、若き嵐山が編集者として振り回される交流やその怪人振りエピソードを描いている。

 戦後きだみのるは、八王子の陣馬山近くの廃寺に住み着いた。そこで周辺住民を観察し、文明批評を行なった。

 関連記事: きだみのるが20年過ごした、八王子市恩方「医王寺」の現在

 その文明批評は出版的に大ヒットし、映画化もされた。

 きだは売れっ子になる。

 きだの生き方も無頼そのもの。昔の文人の生き方で、定住することなく「ドブネズミ号」と名付けたボロい車(ブルーバード)で日本中を旅していた。そこでも各地で愛人を作り、子供を作り、と破天荒に生きていったらしい。その最後の子供のことも嵐山の著書に出てくるが、この話もまた色々な方向に膨らんでいくので、ここでは書かない。

 嵐山の著書に書かれた、きだみのるの旅人として宿泊を頼む際のノウハウが、放浪者が経験として身につけた処世術として興味深く読んだ。引用する。

新聞社に乗り込んで「わがはいはきだみのるである」と自慢する。新聞記者がかしこまると、「泊まる部屋はないかね」と切り出し、手頃な部屋を見つけて、「これはなかなかよろしい」と荷物を置く。手口はいつも同じだ。

押しかけ下宿人である

威張るのは、居候をするときの手法で、ペコペコ頭をさげる老人を泊める人はいない。威張るから、偉い人に見え、気迫に押されて泊めてしまう。そのへんの一瞬の気合いは名人芸で、それは放浪に放浪を重ねてきたきだみのるの本能的な呼吸になっていた。

嵐山. p.168

引用終わり

 これは、つげ義春『無能の人』所収の作品「蒸発」で描かれた、江戸時代の漂泊俳人柳の家(井上)井月の人生を呼び起こされる。井月もそうであったように、きだもまたその個性故に、次々と場所を追われていった。定着する場所を欲していたが、それを見つけることはできなかった。

 井月やきだの旅には、漂泊の要素を強く感じさせる。

 ところで、きだみのるについては、まだ書いておきたいこともあるが、ここでとりあえず止めることにした。

 正直、まだあまり客観的に記述できないのである。

 その理由は、きだみのるに、

  ①クレイジーの日本語4文字

  ②集落の意味の「ぶ」で始まる3文字

 ①+②という放送禁止のダブル役満のようなセンセーショナルな土地としてあだ名を付けられ、文明の側から一方的に批評され、メディアに利用された土地に、私がそのルーツを持つからだと思う。

 文明の側から、面白おかしく書かれた側は黙って見ているしかないのか。地元の有名人として有難がっておけばいいのか。私はそうは思わない。

 かつてジャーナリストの本多勝一が同様に民族学への視点として提起し、文明の衝突の問題として敷衍したこの問題に自分が直面するとは思わなかった。

 やはり、落とし前をつけてもらいたいと思う。

 具体的には今は意見表明しないが、いつの日か、きだみのるによって対比された側の立場について書きたいと思う。

参考。ダブル役満の映像。

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