【書評】ビジネスパーソンは競技のプレイヤーなのだろうか:ケン・ブランチャード『社員の力で最高のチームをつくる《新版》1分間エンパワーメント』

 今さらながら言うことでもないが、ビジネスは団体戦である。

 私自身は個人の力を強く信じる立場のものであるが、団体戦の効果の優越ということは認めざるを得ない。

 団体戦には「集団知」というような、個人の能力を単純合算したよりも大きなアウトプットを産み出せる特性があると思う。

 ただし、それを実際の場面においてメンバーを組織し効率的に運営する体系的方法論はまだ確立されていない。そこで様々な組織論が生まれてくる。

 個々の人間は多様な価値観(優先順位)を持ち、多様な能力を持っている。それらを相互に補い、相乗効果を産み出せば、個人では決して得られないようなアウトプットを産み出せることは誰もが首肯されると思う。

 しかしながら、「人間が3人集まれば派閥ができる」というように、様々な思惑、利害関係など社会には様々な非対称性・非線形性があり、単純に集まればよいという訳ではない。全く異なる方向に向いた行動の修正やメンバー間の摩擦に大半のエネルギーを浪費した結果、失敗に終わるプロジェクトも多く我々は目にしている。

 本書は、メンバーが自律的に動くような組織−エンパワーされた組織−を作るための方法論について、明快な論理で示した好著である。

 前提認識として、著者は

「上司が管理し、部下は管理されるという伝統的なマネジメントスタイルはもはや効力を失っています。(中略)社員を駒のように使う指揮系統的な発想から、全社員が自らの責任感に導かれて最善を尽くせるような支援的発想に頭を切り替える」(p.4)

 必要があると説く。

 その上で、エンパワーされた組織に変化させる3段階を以下のように提示する。

(1)正確な情報を全社員と共有する

「正確な情報を持っていなければ、責任ある仕事をすることができない。正確な情報を持っていれば、責任ある仕事をせずにいられなくなる」(p.62)

(2)境界線を明確にして自律的な行動を促す

「自立した働き方を促進する6つの境界線 ①目的②価値観③イメージ④目標⑤役割⑥組織の構造とシステム」(p.74)

(3)階層組織をセルフマネジメント・チームで置き換える

「エンパワーされた組織では、職位にともなうパワーはさほど意味をもたないということです。それよりも、メンバー各自の専門的知識な能力、人間関係、責任ある行動の方が、ものごとを進めるうえで大きな意味を持つようになります」(p.138)

引用終わり

 ところで肝心の「エンパワー」とは何だろうか?

 著者は以下のように説明する。

「真のエンパワーメントは人にパワーを与えることではありません。与えてもらわなくても人はもとも とたっぷりのパワー−知識、経験、意欲− を持っていて、立派に自分の仕事ができるのです。エンパワー メントとは『社員が持っているパワーを解き放ち、それを会社の課題や成果を達成させるために発揮させること』です」(p.30)

引用終わり

 ここで著者は、大前提としてチームの構成要素である”人間”についての基本的理解を表明している。即ち、誰もが本来自分自身の中に”良い”モチベーションを内在させている、とする。

 そしてそれは適切な方法で自律させることにより、自然に合目的的な動きを形成し、集団的な集合知として発現できる、という立場に立っている。

 読者はこの描像に戸惑いを覚えるかもしれない。

 私は戸惑った。

 その戸惑いの理由のひとつは、おそらく前提としての「労働」に対する認識を単純化しすぎているからだと思われる。

 つまり、労働とは本質的に「苦しいもの」なのか「愉しいもの」なのかという問いである。

 この点を著者は明確に回答していない。

 著者はおそらく、一種の”スポーツ”、“競技”のような、ルールがあり、その勝敗指標が明確なゲームのようなイメージを労働に対して前提しているのではないかと思う。欧米系の著者のビジネス本では、比較的このような労働に対する理解があるようだ(例えば、『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』アンドリュー・S・グローブ(日経BP社)など)。

 頭脳労働に限定する場合、一定の妥当性があるだろう。究極的な理想形態としては、そのようになるべきだ、と私も思う。

 しかしながら、現時点の日本においては、いわゆるホワイトカラーとブルーカラーの区別は欧米のそれほど明確ではなく、そのため頭脳労働と肉体労働が未だ混在している状況にある。

 そうした視点で見ると、やはりこの箇所は少し保留を念頭に置きながら、最後まで読み進むことになってしまう(この箇所がすんなり腑に落ちる人は、ある意味うらやましいとも思う)。

 実際の方法論の3段階ステップは、実用的な記述であり説得力がある。①の「正確な情報」に関する部分などは確かにその通りである。

 照会する際に質問の背景まで含めた説明をしなかったばかりに、最善のアウトプットが得られないことは良くある。

 正しい問いをしなくては正しい答えが返ってこないのは当たり前であるが、正しい問いとは、正確な情報に裏付けられていることを我々は忘れがちである。特に専門家の場合には、常にある状況の前提において「Yes」「No」を判断し回答する。この前提条件が間違っていれば、当然回答も変化するのである。

 こうした実際に”使える”ノウハウも十分に含まれており、実用的な本ではある。

 その一方で、繰り返しになるが、欧米的なスポーツ競技的な思想に裏付けられた楽観的な(これは悪い意味ではない)労働理解、人間理解に基づいた団体戦についての論考である点には注意が必要である。

 労働者が競技者(プレイヤー)とし、会社がチームとして抽象化できれば確かに成立し、説得力のある組織論である。

 私自身そうあってほしいとも思う“スポーツマンシップに則った”理想的ビジネスの姿である。

 論理構成が明快で説得力があるがゆえに、そうした抽象化したモデルでの前提を念頭に置いた上で実行に移すことが必要であろう。

 それを怠ると、現実的な場面で実行するフェーズにおいて「あれ?あれ?なんかうまくいかないぞ」という形で、足を掬われる恐れがあり、注意を払っておきたい。

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【純喫茶】箱根登山鉄道「あじさい電車」の車窓と強羅駅で現役稼働のジュークボックスと出会う【レトロ】

箱根登山鉄道の風景でアジサイが見頃になっており、「あじさい電車」に乗るべく、箱根へGOとなった。町田からロマンスカーで箱根湯本まで約1時間である。

あまりに早いので、チューハイ飲む暇もないという感じ。

箱根湯本駅は観光客でかなりの混雑である。

箱根湯本から強羅までの箱根登山鉄道の約45分の旅は、3箇所のスイッチバックもあり、急カーブあり、峡谷の風景ありと見所が多い。

強羅駅で軽く昼食を食べるべく、散策。

喫茶店「旅情」を発見した。

入店するとインベーダーゲームがあり、昔ながらのレトロな雰囲気が漂う。

そして入口付近には、ジュークボックスがあり、今でも現役である。

100円を投入しボタンで曲を選択する。

奥側に縦置きで並べられているレコード群から、選択されたシングル盤レコードをアームが把持する。

把持位置はレコードのセンター部分であり、手前側にアームが旋回した後に、90度の捻りが入ってレコード盤を水平把持に姿勢変換して、ターンテーブル上にセットされるというシーケンスである。

そして、アームが退避後にターンテーブルが回転し、針が自動セットされ、曲が店内に流れる。

2つのボタンで選曲をする。

レコードは洋楽もあり、演歌もあり、フォークもある。手書きがいい味出している。

迷った挙句に、A4のカーペンターズ「イエスタディ・ワンスモア」を聴く。レコードの針のノイズが、レコードを知る世代にとってはなかなか風情を感じるのであった。

注文したのは、小倉トースト。うまい。

ホットコーヒーも美味かった。

時間が止まったような落ち着いた空間で、非常に気持ちが安らぐ店あった。

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【小江戸】川越へ行って、小江戸鏡山酒造「鏡山 純米吟醸」をゲットする【八高線】

休日の昼下がりに「このままでは何もしないで休日が終わってしまう」と危機感を覚え、八王子駅から、当てもなく八高線に乗ってみた。

八王子発、川越行きの八高線(川越線)4両編成である。

八王子駅ホームにて。車中は約1時間。あっという間である。

行き当たりばったりで到着しているので予備知識がまるでない。

観光名所は、少し駅から離れている模様である。しかもJR川越駅、東武線の川越駅、更に東武線で1駅行ったところにある川越市駅、加えて西武新宿線の本川越駅と4つが入り組んでいるため初心者には厳しいものがあった。

地酒の酒蔵があるそうなので、まずはそこを目指して行ってみることにした。

迷うこと45分。ようやく到着。

もともとは醤油蔵があり、その一部を借りて酒蔵にしたそうである。

以下、引用(小江戸鏡山酒造

酒造りには水が重要。適当な空き地に蔵を構えることはできません。そんな折に、川越市に残る醤油蔵(松本醤油)の水が良いとの評判を知り、その醤油蔵の一角に土地を借り、醸造設備を持ち込んで酒造りを行なう環境を整えました。

引用終わり

中には醤油、味噌、漬物なども売っている。利き酒コーナーがあり(200円から350円)、テイスティングもできる。今回購入したのは、「鏡山 純米吟醸」。非常にフルーティである。

また、折角なので、「醤油とせんべいセット」も購入してみた。自分でオーブンで焼いたあとに、醤油をつけるタイプの珍しいセット。

この酒蔵の周辺が観光スポットで色々あるのだが、もう体力がなく、ここから帰宅。歩いて川越駅まで20分。疲れた。

帰りの八高線ホームにて。川越の小江戸=「COEDOビール 瑠璃」

ピルスナービールで、疲れた体に染み渡った。

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【書評】ラズウェル細木『酒のほそ道』41巻 なんと!エビちゃんと諏訪さんが

 そのウンチクと主人公のごっちゃん体質がイマイチ気に入らないものの、習慣的に最新刊41巻を購入し、読んだらビックリ。

 なんとエビちゃんと諏訪いずみ君が、いい感じになっているではないか。

 クリスマスイブに腕組んだり、花嫁修行したりと。

 へえ〜、そうなんだ(遠い目で)。

 親戚の子供がいつの間にか結婚する年齢になって、突然の報告に驚かされたような気がした。

 だいたいp.122の顔が既に色気付いている表情ではないか。口調が「〜っス」で男勝りのキャラだったのに。

 え〜もしかして、既にそんな関係に?(下世話な表情で)

 以下は初登場の時の諏訪さん。初々しい。

 ・・・まあ小篠くんという新たな舎弟キャラも出たし、エビちゃんも新たなステージに移行するということであろうか。

 関連記事:【書評】ラズウェル細木『酒のほそ道』42巻 エビちゃんと諏訪さんの結婚報告と知識ロンダリングの表現

 関連記事:【書評】ラズウェル細木『酒のほそ道』43巻 男女関係の伏線展開とストーリーラインの複雑化に戸惑う

 

 しかし相変わらず主人公岩間は、課長の天ぷらを狙ったり、ノドグロをゴチになってるのにも関わらず後から「課長はノドグロ初めてなのに、それを隠してた」なんて陰口を叩いたりして、外道な性格は全開である。

 高い金出して、挙句バカにされる課長は中間管理職の悲哀が漂うものの、作品世界でのカーストは常に低く描かれ、心底同情する。

 正直主人公のようなサラリーマンとしてはおそらく無能に近いであろう(何故なら飲むことしか考えてない)メンバーを組織して、彼らの飲み代となるべく給料を出すたために、会社としての利益を課長は必死に上げているはずで、そうした陰の苦労は決して描かれることはないであろう。

 最初の登場からして、鼻毛を出しながら、バーでニセウンチクを垂れるキャラで、課長に報われる日は来るのだろうか。

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【駅弁】駅弁設計の名作「崎陽軒シウマイ弁当」

駅弁というのは、やはりハレの食べ物である。

 参考:ハレとケ(wikipedia)

出張自体が一種の非日常であり、そこでの食べ物も、日常というより名物的なものがいい。

コスパから言えば明らかにコンビニ弁当なのだが、旅先感覚としては、明らかに割高な(←失礼)駅弁に手を出してしまう。

とはいえ駅弁には結構当たり外れがある。正直ボリューム的はイマイチだ。ハズレの場合のダメージは、購入時点の期待値との差分で効いてくるので、やはり定評のあるものwを堅実に選んで、決して失敗はしたくないのである。

そんな中で、私のイチ押しは、横浜名物「崎陽軒シウマイ弁当」である。これは非常によく設計されていると何時も感心している。

駅弁に設計ってあるのかと思うが、やはりあると思う。オカズのセレクト、味付けなど、この弁当には設計者の思想が入っていると思うのである。

オカズエリアには、オカズ能力、即ちツマミ能力の高いものがちりばめられている。特に美味いのが、タケノコの煮物で、甘辛くて絶妙である。辛めのマグロの照り焼きに対して、甘目の卵焼きとカマボコが配置。

またご飯の炊き方も独特で、適度にモッチリとしているがご飯粒としてもシッカリしている。駅弁としての必要要件である移動しながらでも食べやすいような一定の塊を形成しつつ、個々の味はキープするという、まさに技術による課題解決の見本のようなご飯である。

wikipedia シウマイ弁当より

ご飯は釜で炊いたものではなく、蒸気で蒸したものを使用しており、粒の立った堅めの食感が特徴である。弁当に用いる米を、安定した味でおいしく供給するための工夫という。

引用終わり

シューマイも5個あり、ハズレの無い旨さである。ラストには干しあんずで締める。

ご飯によし、ツマミによしと正に駅弁の王道である。

東京在住であっても時々日常で食べたくなる駅弁界の名作であろう。

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