【書評】倉田喜弘『明治大正の民衆娯楽』ーメディアとしての芸能「講談」の隆盛と衰退の背景

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倉田喜弘『明治大正の民衆娯楽』(岩波新書)を読んだ。

明治、大正の様々な–既に廃れたものや、今なお形を変えて続いているものもある–芸能が解説されている。時代背景も含め、興味深く読んだ。

例えば「娘義太夫」という三味線の演奏で女性芸人が浄瑠璃を歌う芸能がある(ビートたけしの祖母が娘義太夫の演者だったことでも知られている)。

この娘義太夫は、今でいうアイドルそのもので、人気の出た女義太夫に当時の学生たちが”追っかけ”をするなどして社会問題になったという。

また川上音二郎が流行させたと言われている”オッペケペー節”は今でも音源が残っており、YouTubeでも聴くことができるが、まさしくラップである。

時代は繰り返す、ということで片付けるつもりはない。社会の風景は、その時代の産業および経済環境などによって当然異なっているであろうが、我々の感性の根幹はそれほど変化していないのではないか、ということを言いたいのである。

さて、気になったのはもう一つある。

「講談」という、現代でも残っている芸能がある。

講談は講談師と呼ばれる演者が、壇上で”清水次郎長伝”や”赤穂浪士”などの歴史ものを、わかりやすく読み上げる形式である。

明治時代に文明開化が起こり、講談が急激に伸びた。

この背景として、倉田の著書では、

・文明開化によって急激な情報量の増加と民衆の知識欲が起こった

・新聞が発売されはじめたが、当時の識字率は低く大衆には浸透しなかった

・講談師が今起こっているニュースを口頭で紹介することでそれに応えた

という時代背景があったとする。

つまり、当時の大衆のニーズに講談師はマッチしたのだ。

しかし、倉田の著書では、1875年に185人だった講談師は、1887年に429人でピークを迎え、そこから減少が始まる。これは、義務教育などの教化政策により、大衆の識字率が上がってきたこととリンクするとしている。

1887年には半数以上の割合でいた不就学児童が、1899年には28%にまで低下している。

それに伴って、講談師の必要性(人気)は薄れていくことになる。講談の寄席は少なくなり、新聞、小説にそのニーズを奪われていったのである。

わずか50年、人気のピーク的には20年程度であったことになる。世代で言えば1世代がギリギリだ。

つまり、講談師に憧れてその世界に入って、講談で飯を食い、贅沢に生活できた人間は少なかったであろう。

大衆の知識欲(ニーズ)によって生まれた講談というメディアの隆盛が、識字率の増加により、他のメディアに奪われていったことを示している。それも約50年で。

明治、大正ですらこうした早いサイクルでメディアや芸能が消費されていった(注1)。

翻って現代はどうか。

まさに現代も同様に、IT化の流れの中で様々なニーズが現れ、また消えていこうとしている。例えば、YouTuberやブロガー、SNS、キュレーションメディアなども、後にこうした民衆の歴史の中で振り返ることが行われるであろう。

講談師がそうであったように、芸能だけでなく、人間の生活基盤がそこに依存している場合、こうした隆盛と消費のサイクルを歴史的に見ておくことは、サバイバルの観点からも意味があると思う。

注1 昭和時代では、水木しげるが自伝で触れていた、紙芝居、貸本屋などが同様であろう。

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