谷川ニコ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』をコミックスで読んでいる。
今回、最新刊11巻を読んだ。
高校生活における”ぼっち”の話が胸打つ感じで、私のサイトテーマである、”単騎でサバイバル”にも通じる話として楽しみに読んでいる。
巻を重ねるごとに、主人公黒木さんや友人小宮山さんの変態性が出てきたと同時に、少々路線が変更されてきた気がする。
友人のいないコミュ障=”ぼっち”が、学校生活という強制されつつ不確定な人間関係の中で折り合いをつけるための結果として胸つまされるような本来のストーリーから、変化が生まれてきた。
登場人物が増え、エピソードも増え、人間関係が固定化されたことによる結果なのか、日常系なストーリーに変化しつつあるように思う。
最大の変化点は、主人公の黒木さんがスクールカーストの最下層にはおらず、むしろそこから独立した優位な位置にいる、ということを、著者が、明示的ではないにせよハッキリさせたことが大きいと思われる。
特に”顔文字(うっちー)”、ヤンキー(吉田さん)、隠れオタク(根元さん)などとのエピソードが強化された修学旅行(8巻)からそれが鮮明になってきた。
それにより、”ぼっち”のいじめ的要素が解体され、異なる側面を見せ出した。
主人公の黒木さんは、スクールカーストで独立的に価値を持つカードをいくつも持っている。
・モテる弟の存在
・同性愛(誤解)で相手に恐怖を与えられること
・空気読めないことで逆に相手に恐怖を与えられること
・オタク趣味が優位価値を持つ世界(注1)で、それをオープンにしていること
などのカードを持っている。決して、スクールカーストの下層にはおらず、むしろこれらの評価が確定した際には、最上位になりうる可能性を秘めている。
ただし、現段階ではあくまで黒木さん本人には明かされていない。黒木さんはあくまで自分は”イケてない”と思い続けている。
これは著者にとって想定している読者層からも、有効な戦略だと思う。
主人公自身には他者を凌駕する潜在的能力、魅力があり、主人公にだけは隠されているが、それ以外の(読者も含めた)周囲が皆知っている、というマンガのストーリーの基本構造と合致している。
このパターンを見つけ出した『ワタモテ』はもうしばらく続くと思われる。時間軸は緩やかに流れているので、高校卒業まではこの方向性で継続できるのではないか(余計なお世話だろうが)。
注1:もちろんこの現実世界が持つ価値基準とは異なることは言うまでもない。