本日は気分が悪い。
仕事ではなく、将棋で羽生永世6冠現3冠名誉NHK杯選手権者が中学生の藤井4段に負けたニュースをテレビやネットニュースで何度も見せられたからだ。
これまで、台頭する若手をちぎっては投げと、しばき倒してきた羽生先生の時代がとうとう終わったかのような感じなのである。
私は羽生ファンであるが、先生も既にアラフィフの領域に入りはじめた。大丈夫なのか。いくら将棋が頭脳ゲームとはいえ、体力の問題もある。いつまで現役第一線でいけるのか。
大山康晴先生のような、人間力によるど迫力(いわゆる盤外戦という奴である)の路線は、羽生先生は初めから狙っていないのだと思う。そうなると、今回の敗北は、ひとつのエポックメイキングとして、ついに羽生先生の時代が終わるのか、ということになってしまう。
私自身も、エンジニアとして現役にこだわるアラフィフなので、羽生先生の動向は気になる。まだまだ第一線で活躍する姿を見て、勇気づけられてきた。
衰えが見えてくると、加藤一二三先生のように、どこまでも勝負にこだわる生き方もあるし、今年A級降格でフリークラスに転出された森内俊之先生のような”引く”美学もある。
羽生先生は身の処し方をどうするのか。むりやり同世代として、非常に気になるのである。
そんなことを、ひとり、立ち呑み屋で考えていた。
何故か、立ち寄ったJR東神奈川駅、あるいは、京急仲木戸駅の立ち呑み屋 「龍馬」において、である。
この店は、串焼きがメインである。今のシーズン、春の山菜として、たらの芽などもある。
写真は激辛の”地獄豆腐”である。うまい。
立ち呑み屋で必要な、スピード感も充分、常連は1,000円以下の会計で、お客がクルクル回転していく。
串焼き10本を食べたのちに、羽生先生の勝負論はさておき、我々エンジニアが、どうして現役にこだわるのかを考えてみた。
私は、個人的に『野球狂の詩』の岩田鉄五郎(93歳!)のような生き方に憧れるのだ。
エンジニアには、そうした生き方ができると思っている。
茨城県の冷凍機、圧縮機メーカーである前川製作所の井上和平氏は95歳まで現役を続けた。
NHKの番組で、特集を組まれたこともあるはずで、私は見て感銘を受けた。
このとき、井上氏は冷凍機のトラブル事例を聞いて、すぐさま過去の経験から真の原因を推定していた。
与えられた研究室には予算は無くてバラックな感じだが、エンジニアとしての長い経験に基づく皮膚感覚が研ぎ澄まされているのだな、と感じたのを覚えている。
エンジニアは装置と日々対話し、その性能を出すために、せめぎ合ってきた。経済性や生産性など、様々な多変量のトレードオフを無意識のうちに最適化しながら。
顧客からの要求に応えるべく、ギリギリの限界までその性能を高めようとする。
それらは特定の”モノ”にまつわる話なのかもしれない。しかし、”モノ”に対して働きかけるのは人間の英知であって、そこには単なるマテリアル以上の付加価値が生じているはずだ。
それこそが、エンジニアの本領なのである。