他人に裏切られる、ということ。特に技術者の場合

 このところ気分が落ち込んでいる。主な原因の一つは、ある遠いところで今も進行している、ある一つの事態であることは分かっている。

 この事態は現在進行形であるが故に直接的には書くことができない。

 しかしながら、自分の今の感情を整理する意味でも、少し書き始めておきたいと思う。

 ディテールは敢えて事実とは異なるように改変したりボカしているが、事態の構図は事実である。

 事の起こりは8年前のことである。

 ある会社と、ある技術について、共同開発を開始した。もう少し詳しく書くと、その会社の製品を対象とした製造技術について、共同で検討をするプロジェクトを開始したのである。

 1年程度の技術検討の結果、ある成果が出た。

 我々が既に持つある特定技術を応用することで、その会社の製品設計品質が向上でき、結果コストダウンができることがわかったのである。

 つまり、我々の持つ先行技術や知見を水平的に応用することになるので、実行スキームとしては、我々の保有技術をその会社へ移転させることになる。

 その会社が、我々の技術を使うことにより儲けることができるようになる訳で、私自身は満足であった。

 達成感もあった。

 向こうの担当者には我々の技術を惜しむことなくオープンに提供した。

 いくつかの技術的な専門書も個人的に貸与したりした。

 それからしばらくしてのことである。

 製造業のIT系webマガジンに、一つの記事が掲載されているのを偶然見つけたのである。

 その記事ではその担当者が実名で、その技術について比較的大きな会議のスピーカーとして語っていた。

 そして、その報告された技術とは、まさに共同で我々と共同で進めていた内容そのものであったのである。

 一応本人なりに機密は考慮しているのか、我々の製品固有の情報については一切語っていない。

 だが、その考慮の結果として我々を登場させることなく開発ストーリーを進めたことにより、登場人物は報告者自身だけになる。必然的な結果として、あたかも報告者ひとりでその技術が製品応用できることを発見し、課題解決したような形で語っていることになってしまっている。そして、あろうことか、解決手段として我々が実際に使ったものとは異なるある特定会社のITツールを利用したという展開になってしまっているのである。

 いわば事実と異なることを、公の場で語っていたのだ。

 目を疑った。

 そもそも設計・製造技術とはノウハウも含め、企業の成長力の源泉であり、いくら学術的な内容であっても簡単にオープンにしてはいけないはずである。

 もちろん、こちらに発表の事前打診もない(あったら当然止めていたが)。こちらも迂闊にも信頼関係がある(同じ資本関係のグループ会社のため)と考え、厳密な縛りのある機密保持契約を結んではいなかったのは、完全にこちらの落ち度であった。

 リーガル的な意味で、契約上の機密保持違反には問えないとしても、なお残る問題もある。

 それは大きく2つある。

 ①せっかくの技術的成果を無償で公開していること。わざわざ苦労して発見した製造ノウハウに属する内容を、敢えて早々に世の中に発表しなくていいじゃない。ライバル会社も見ることができる状況で、簡単にそれを公知化して、世の中に広めてしまうことについて。これは彼の所属する会社にとっての利益相反行為ではないのかと。

 ②事実と異なること、いわば「捏造」行為があること。自分が独力で実行したとする記事の表現は完全に事実と異なる。何故なら、それは彼に我々が教えたからである。さらに加えて、特定のITツールを手段として援用した事実も異なっている。今回の結果は、我々が保有していた別のツールによる解析結果である。だが、なぜ彼がそのツールを使ったと語る必要があったのか。その理由はただ一つ。その実際には使っていないが使ったとするツールを作っている企業が、彼がスピーカーとなった会議のメインスポンサーだからであろう。

 正直どっと疲れが出たし、裏切られた、と思った。

 しかし、私は静観した。

 正直どうしていいかわからなかったと言ってもいい。

 その技術応用について、第一発見者である「名誉」を奪われたことは、実はあまり気にしていない。

 むしろ一番悲しかったのは、自分の実力でないことを、自分の実力であるように語る技術者が世の中にいる、そしてその記事がwebで一般公開される結果、関係者である我々の目に止まった際に、我々がどのような感情を持つかすら想像できない技術者が少なくともこの世の中には一人いる、という事実であった。

 我々は甘かったのか。

 性善説に立つべきではなかったのであろうか。

 だが、仮に、彼がそれで技術者として名をあげたとしても私自身は何も感情が動かないであろう。

 なぜなら、彼の実力はこちらが良く理解しているのである。そんな付け焼き刃のメッキは技術の世界ではすぐに剥がれることを知っている。

 技術の世界は甘くないのだ。

 そして、この発表を皮切りに、彼は複数のメディアで同様の報告をしだした。

 専門家気取りである。

 しかし、未だに彼とその会社からの正式な連絡はない。

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【こだまでしょうか】会議のプレゼン時に発生する「やまびこ現象」「こだま現象」「バックコーラス」の存在について【ヘイヘイホー】

 ビジネスシーンの会議室。

 ここ一番のプレゼンなどで、緊張しつつ喋っていると、後ろの方から聞こえてくる「やまびこ」の存在について論じてみたい。

 登山とビジネスシーンは異なる。そもそも会議室は音声が反響するような作りにはなっていない。ではなぜ、こんなことが起こるのか。

 かつて、こんな「やまびこ」の経験がある。

 私が従事していたチームに、後から入ってきた「先輩」がいた。年齢、経験、地位いずれも私より上である。ただしそのチームはプロジェクト的なタスクフォースだったので、直接ラインとしての上司部下ではなかった(いわゆる評価権はないパターンの”上司”である)

 私はそのチームで既に3年くらい従事しており、その「先輩」は、別の部署でキャリアがあり、リソース増強もあって入ってきたメンバーであった。

 加入当初にはこちらから資料を作成し、状況などを説明する場面を設け、本人も「ふんふん、なるほど」と素直に聞いてくれていた。

 だが、一抹の不安もあったのだ。この業務が少々特殊な面があり、技術的にマニアックな部分を理解していないと完結できない要素が含まれている。どうもわかっているとは言い難い。だが、それは本人のスキルの問題だし、もっといえば上の人間はある意味ディテール全て知る必要もない、という考え方もある。そこはただの不安であったのだ。

 そして、ある会議の席でそれは起こった。

 私が少々難しい局面の説明をしている際のこと。

 私「ここで、〇〇からこんな主張があり」

 私「それを受けてこちらで検討した結果、▲▲▲という技術で対応できるのではないかと判断し」

 とテンポを持って偉い人にプレゼンをする。

 ?「▲▲▲!▲▲▲ね!」

 私「?・・・で、予備検討を技術部門にしてもらいました、その結果がこのグラフです。予想通り□□□□現象を低減できており、予想が正しいことが検証できたと思います」

 ?「そうそう!□□□□現象!」

 ・・・後方から、「やまびこ」が聞こえるのである。

 それが「やまびこ」である証拠にこちらが沈黙すると「・・・・」と「やまびこ」は消える。そして再び話し出すと、また”こだまがかえる”のである。

 要するに、先輩が固有名詞をホストの合いの手のような感じで繰り返していたのだ。

 私「え〜まとめますと、我々の開発した■■■を提案しようと思います」

 先輩「そうそう!■■■ね!■■■ね!」

 流石に何か言いたいことがあるのかと思い、

 私「じゃ、ここから(先輩)さん、説明を代わりに引き継ぎますか?」

 すると先輩は、ニヤニヤしながら両手を振って「いやいやいやいや」と拒否。

 本人は意図があってやっていると思うが、そこに新しい情報もないので、ただのノイズでもあり聞きづらいだけのバックコーラスになっている。またこちらのプレゼンの隙間に無理くり入れてくるので、当初のテンポやリズムも狂うので、誰にとっても何一つ良いことはない行為なのである。

 結局これは何だったのであろうか。いっこく堂を二人でやったおかしなパフォーマンスにもなっているし、考えてみて、以下のような結論に至った。

 要するに「理解できていないが、俺は仕事をしているぞ」アピールなのだと。

 チームには自分も参加しており、もっといえばそのプレゼンで暗示的にマウントを取りたいという上へのアピールの結果なのだと。最大の問題はさらに本人も中身を理解できない劣等感があり、それをこのような「やまびこ」で解決しようとしたと思われる。だが、そのあまりの露骨さにそれは奏功していないのは明白であった。

 こちらもこのままだとプレゼンそのものの価値が落ちるので、まずは早急にその先輩の「成果」を手取り早く作ってあげることにした。つまり、彼の深層心理は「俺の成果がないじゃないか」という不満でもあるのだ。それを作ったことにより「やまびこ」は消えたが、どうやらこれがこの人のキャリアの基本スタイルらしく、そのうち消えていった。やはり人生甘くないのである。 

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謹賀新年2022年!勝負をしたくもないのに勝負をする年になってしまったような気がする

 2022年も明けてしまった。時間の経過するスピードはますます早くなってきた気がする。

 サラリーマンの業務というものは線形的かつ古典物理学的なところがあって、ある程度点と点を繋げて線にすることさえできれば、惰性というのは言い過ぎだが、既存路線の延長で進めていける事が多いような気がする。

 要するに計画を立てて、その進捗状況をチェックするのがメイン。その後は、いわゆるローリングという軌道修正が通常業務であって、計画そのもののゼロベース再構築といった状況は滅多に現れない。

 今回は個人的に、その20年に一度ともいうべき転換期というべき非線形な状態に陥ってしまった。

 まあそれならそれで折角の機会なのでやるしかないのだが、個人的な感情として「なんでボクが・・・」という思いはある。

 やはりサラリーマンとしては不退転というか、退路を絶つようなことはしたくないのだ。だってそんなことをしなくても安穏と生きてきた人が周りに沢山いるんだし。

 しかしながら状況の中で、今までの延長戦でなく、サラリーマンでもいわゆる「一発勝負」をする羽目になることもあるのだな、と覚悟したのが昨年。そして今年はいよいよ勝負する必要に迫られているのである。ルビコン川を渡ってしまったのである。

 勝ち目は多分ない、というか過去の経験は活かせないので、わからないというのが正しいのか。

 そんな状況の中で、ついにチップをベットすることになった。これが吸い込み方式の旧式パチスロなら確実性もあるし、コンチ4枚掛けかMUSASHIリール強制ストップのような裏ゴトが通用するならまだしも(通用しそうな気もするけど)、そんな世界でもないのである(そうでもないような気もするけど)。

 そんなこんなで今年は残念ながら勝負をかけるしかない。とはいうものの、今のこの状況でこんな目にあう人間も限られているはずなので、何がしかの「経験」を掴み取れれば良いのであるが。

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2021年も終わり!今年は激動&激動だった

 激動の2021年もようやく終わりである。

 いや〜マジで今年は肉体的・精神的に疲れた。ヘトヘトである。

 組織的な”人事異動”もあり、それに伴う”職務環境の変化”があった。

 環境的には、コロナもあったので移動することすら面倒な状況で、結構な回数の新幹線やホテル住まいをする羽目に陥った。それもまたストレスである。

 外食も多くなり、不健康極まりないのである。

 ホテルのベッドは慣れないし、いちいち荷物を持って移動しなくちゃいけないし、と。

 いや〜(2回目)マジで疲れた。良く持ち堪えたものである(自画自賛)。

 まだ語っていない肉体的なアクシデントもあった(これはまだ語りたくない)。

 職務環境の変化、ということひとつとっても、単純に自分が新しい組織にポンと整合的に嵌め込まれるという訳ではない。結局、既存組織に対して、私はどう言葉を尽くしても「異物」でしかない。

 そこで齟齬は生じるし、突き詰めると

  ・周りに自分(私)を合わせるか

  ・周りが自分(私)に合わせてもらうか

 のガチンコ勝負になるのである。

 結果的に、今回は苦闘の末に、もう「お前らがワシのスタイルに合わせるんやで」という方向性になった。

 やれ、自席でのTV会議の声がでかいから控えてくれ、とか、しょうもない(失礼)話までくる。

 まあ理由はわかるが、その結果提案されたのが、やっぱり会議はF2Fでやりましょうなので、指摘する側も結局自分達の今までのやり方にお前(私)が合わせろ、という無意識(?)の押し付け感を感じるので、こちらとしてもそんな素直に従うわけにはいかないのである。

 要するに、ボクがそちらに合わせて変化するために行く訳ではなくて、そちらを変えるために行ったのである、みたいな意識がある。

 そんな感じで今年は非常に疲れた(3回目)。

 何かを変える、特に組織を変えるというのは非常なエネルギーがいる。ビジネス本では”弾み車”の例えがあるが、最初の回転を作り出すのは、あらゆる抵抗勢力、現状維持バイアスとの戦いである。

 妥協の誘惑や感情的な同調圧力もある。そりゃ調和的な世界が一番良いのは私も重々わかるが、そうではない状況もあるのである。

 愚痴を言っても、やるべきことが明確である場合は、それを粛々と実行するしかない。逃げられないのだ。よって、アウェイの中でひとり孤独にやるしかないのである。

一人の道が暮れて来た

尾崎放哉

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我々の世界は本当に「循環経済」に向かうつもりなのだろうか?ただのポーズなのでは?–年末年始の牛乳消費呼びかけについて思った「個別最適」が大好きな人々のこと

 2021年の年末に少しだけニュースになった出来事があった。

 それは「年末年始に牛乳の消費量が下がるため、消費者ができるだけ消費してほしい」という呼びかけである。

 例えば、こんな記事もある。

 例えば「牛乳飲んで! 大臣が消費呼びかけ 生乳5000トン大量廃棄のおそれ」(FNNプライムオンライン/2021年12月17日)などである。

 その背景として上記サイトから引用する。

2021年は、夏場の気温が低く、牛の乳の出が良かったことで生乳の生産量が増える一方、感染拡大の影響で牛乳や乳製品の消費が落ち込んでいる。

保存がきくバターなどの加工品の製造もフル稼働で行われているものの、生乳をさばききれなくなっているという。

 これはこれで一つのナマモノの生産-消費の問題であろう。もっと言えばサプライチェーンにおいてボトルネックが存在することを示唆している。

 上記の報道に関連して複数のサイトなどで「保存の効くもの(例:バターやヨーグルト)の生産を増やせないのか」という指摘もある。これはこれで単純にはそうだが、実際にはサプライチェーンの問題なのでできない事情もあるのだろうな、と思っていた。

 この問題はフードロスなどの課題や、もっと端的には「もったいない」という感情的な問題も孕んでおり、そう簡単にはスッキリしていないようだ。

 やはり業界団体からは、こうした批判を避ける意味でも、反論記事が出ている。

 例えば「「余った生乳5000トンはバターにすれば廃棄せずに済むのに」乳業業界の回答とは?」「生乳5000トン廃棄問題、「みんなで飲む」より根本的な解決法とは」などである。

 既存サプライチェーンの処理量増加には諸問題がある(設備投資やリードタイム)ので、十分対策は打った上で、消費を増やして欲しい、というお願いなんですよ、という「説明」である。これはこれで事情としては理解はできる。

 ただ、それでもなお、私自身は釈然としないものがある。

 つまりこれらの主張全てに通じて言えることは、いわゆる「循環経済」の思考が欠落しており、部分最適な主張に止まっているということである。先進的なEUの動きを受けて、日本でもようやく「循環経済」が推進されている。これは、従来の大量生産、大量消費の一方向(動脈生産と言われる)な生産ー消費だけでなく、還流側(リサイクル、リユースなど)の思考を入れた静脈生産を実現する、というものである。日本でも経済産業省が「循環経済ビジョン2020」でこうした新たな産業の転換を提唱している。

 これをサプライチェーンに置き換えると、循環的なサプライチェーンにおいて、エネルギー最小化(=持続性を最大化)した制約条件の下で、最適化を動的に行うこと、と理解できる。要するに、これすなわち「スマート社会の実現」であろう。これはエモーショナルな「もったいない」ではなく、持続性を最大化するために、全体最適解を実行する、ということに他ならない。

 しかしながら、この牛乳廃棄をめぐる主張にはこうした意思とは全く逆行したものばかりが横行しているように思える。

 「もったいないので牛乳を飲んでくれ」という、特定商品について消費者に扇動的な形で負荷を押し付けるようなメッセージや、「業界は全てやることをやっている」という個別最適を実行したら責任がなくなるかのような自分本位の思考。さらには「牛乳の他の用途を考えるべき」みたいな消費拡大に全てを押し付ける単純思考。

 もしも「循環経済」を本当に実現したい、と考えるのであれば「全体最適解」を探すべきであり、そうした論調が見られないことに不思議な思いにとらわれている。

 特定商品の消費を、その都度の理由で扇動的にメッセージする意味は、今後も同様な事例においても同じことを繰り返すことを意味している。「〇〇が余ったので、今度はこれを消費してくれ」「次はこれ」といった、消費者を消費する機能としてしか使役しない感情すら垣間見える。

 業界団体は「自分たちは120%努力しているので、これ以上何をしろと?」という論調のみである。

 要するに当事者意識不在の状況の中で、一番単純な「消費」に全ての調整弁を押し付けるようなこの動き自体は、「循環経済」とは真っ向から矛盾していると思う。全体最適解は確かに苦しいことではある。感情論とは全く異なる解が最適である可能性もあるのだ。だが、それこそが、単なる「もったいない」からより高次な「持続性」へと探求する道筋であろう。

 こうした分裂的な主張が横行する中で、果たして我々は「循環経済」に向けて動けるのか、これは所詮ポーズにしか過ぎないのか?

 そもそも「循環経済」ということを目指していない、としてくれるならまだ納得もできるが、そうではないらしい。

 非常に暗い気持ちになるニュースであった。

 

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八王子市大楽寺町の陣馬街道沿いの”デカ盛り”で有名な中華屋「大進亭」の焼肉丼+小ラーメンセットにびびる

 空腹を抱えていたある昼下がり。八王子方面を車で走っていて閃いたのが、この陣馬街道沿いにある「大進亭」である。時々ネットなどで評判のあるこの店、通り過ぎるばかりで全く入ったことがなく、この機会に入店してみることに。

 店内は座敷とカウンターとテーブル。昼食どきだからか満員である。なんとかカウンターに着席できた。ちょうど厨房が目の前なので、夫婦と若者2名でキビキビと動いているのが見える。

 ただ、見ていると全てのサイズがでかい。そして、全ての皿が山盛りなのである。

 ラーメンのあんかけも山盛り、唐揚げも山のよう。ここはデカ盛りで有名なのであった。

 とはいえ空腹を抱えていたこともあり、セットメニューの焼肉丼と小ラーメンを注文。1,150円である。

 きたのはこんな感じ。小ラーメンが確かに隣の焼肉丼との比較ではそう見えるが、実際には通常のラーメンサイズ。当然ご飯はてんこ盛りである。

 一瞬びびる。

 だが、空腹でもあり、さらに味もイケる。

 普通に美味いのである。そんなこんなで結果的には、完食。

 満足度もあったが久々の炭水化物大量摂取で、体温が上がること、この上ないのであった。晩御飯は食べなくても大丈夫であった。

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手間要らず&2度美味しい「バリバリ無限豆苗のもと」にハマる

 酒のつまみとして、東洋水産「バリバリ無限豆苗のもと」にハマっている。

 もやしやキャベツでも同様シリーズがあるが、豆苗の場合には下茹でなどの手間が要らず、そのまま細かく刻んで投入するだけ、という簡単レシピであり、味も飽きが来ないので、ついに10個入りを箱買いしてしまったほどである。

 中にはフライ麺と粉末スープがあるだけ。刻んだ豆苗に砕いた麺とスープをまぶすだけで出来上がりである。

 そしてこの「豆苗」の真骨頂は、マンガ「上京生活録 イチジョウ」でもあったように、水をやれば再度芽が生えてくるという、リサイクルというかリーズナブル性である。

 以下は初日の状況である。水はこまめに取り替え、日光に当てると良いらしい。

 1週間後。夏場は結構成長速度が速かったが寒くなってきたので、もう少し生育を続けることにする。

 10日後。かなり伸びてきた。ここで収穫して、再度作成である。

 味もニンニクとチーズの効いたスパイシーな感じで、ワインなどに合う。

 ローカロリーということあり重宝しており、調達が不安にもなったので箱買いしてしまったのである。

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流行りの”マリトッツォ”を食べてみたが、アラフィフには胸焼け必須

 最近私の視界に入ってくる「白い塊」がある。

 ダイエットを続けており、危険を告げるセンサーも働いているのであるが、その一方でカロリーモンスター的なセンサーも働くのである。

 それは今流行りの「マリトッツォ」である。

 フォルムの単純な”ただただ生クリーム”感。

 これはそそる。

 が、同時にカロリーもかなりありそうな気もするので、手に取るのは躊躇う。

 しかし、ここまで流行り出し、行くパン屋などで何度も目に入ってくると、もはや一度ならいいだろう、という気になってくる。

 これが宣伝効果でもあり、私のような遅れてきた大衆にまでブームが展開する瞬間なのであろうか。

 ということで、ついにあるパン屋のイートインコーナーで注文。

 パックマンが生クリームを咥えたようなコミカルなフォルム。そしてこの圧倒的な生クリーム感がやはり期待をそそる。

 食べてみる。

 プリオッシュ生地のパンの柔らかさとクリームは確かに合う。

 ただ、シンプルといえばシンプルなので、パン+生クリームという組合せ、および、ほぼ生クリーム、この2つの状態しか口内に存在しない。そして、後者の方が当然のことながら圧倒的に多いのだ。

 結論として、甘党とはいえアラフィフの身には生クリーム連続状態はきつい。やはり乳脂肪分に少し体が悪い方向に反応してしまう。

 要するに胸焼けなのである。

 美味いは美味いのだが、この後半の胸焼けを経験してもう一度食べたいか?と自問自答しているが、今のところYesという答えは出てこない。

 とはいえ1つだけのケースで即断もできないので、別の店でもトライ。

 ここはクリームに拘りがあり、生クリームとシャインマスカットクリームが入っている。こちらはクリームに味の変化もあり、シャインマスカットの爽やかさがあり、なかなかいける。しかしながら、後半の脂質胸焼けはやはり襲ってくるのであった。

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製造装置メーカやプラントメーカにとって複雑なサプライチェーンを重ね合わされた市場の”潜在ニーズ”を探るために:B2(B ^X )B2C=B2B2B2…B2Cのマーケティングとは

 先日読んだ、稲田将人「経営参謀」(日経ビジネス文庫)は、アパレル市場を舞台として経営戦略をテーマにした小説であるが、そこにおいて製品戦略のためには「マーケティング」が主な手法となることが描かれる。

 アパレルすなわちB2C市場なので、消費者の行動をヒアリングや面談などで聴取し、巧みな質問と分析によって明らかにしていく。これを感心して読んでいた。いわゆる「マーケットイン」の考え方であると理解している。

 ただ、最近のB2BあるいはB2Pと呼ばれているビジネスモデルではどうなのか?という疑問が湧いた。

 最終的には消費者(コンシューマのC)にたどり着くにせよ、その前段にある材料メーカや製造装置メーカなどサプライチェーン上流側にあるメーカにとって、同様にマーケティングをしようとした場合、非常に困難を感じる実感がある。

 特に製造装置メーカなどは、個別受注型モデルを選択することが多く、その結果として中期計画などが個々の顧客の”点”だけの繋がりになってしまう。逐次、中期計画の検証・修正をしようとしても毎年看板を掛け替えるだけになり、要するに行き当たりばったりの計画になってしまうことが多いように思える。

 身も蓋もない言い方をしてしまうと、”御用聞き”にとっては、中期計画も戦略も必要ないし、存在しないのである。

 だが、それでも会社の規模によっては経営企画部門があり、彼らは毎年一生懸命、中期計画や戦略を作ることになる。しかしこれは上記のように毎年無意味な徒労に終わることが多いようだ。

 確かに戦略自体も1次仮説であり、これを小さい範囲でPDCAを回して精度を上げれば良い。「経営参謀」に正しく書かれているように、それは理解している。

 だが、サプライチェーンが多重的に重なり、最終的な「ニーズ」や「進むべき方向」のコアがボカされた結果、目の前には”伝言ゲーム”で作られた、謎に広いニーズだけがある(以下の図式)。

 こんなものを前にして進むべき方向を作れ、と言われても厳しいのも事実なのである

 芯を食った「進むべき方向」など出てくるわけがないのである。

 ちなみに半導体業界などは巨大市場であるが故に、そんなことはなく、デバイスメーカと装置メーカが業界団体を作り、ロードマップそして規格を作ってきた。こうしたイニシアチブがある業界はむしろ例外である。

 こんな状況の中で、妥協的に考えて、経営企画的に行動すると、どうなるか。

 いわゆる「プロダクトアウト」になってしまうのである。

 強い自社技術を特定して、それを生かす市場の方を探しにいくという手法である。

 だが、これは経験上、上手く行かないことが多い。確かに上記のような目の前にある「市場」が広く、薄く、ぼんやりしている場合、唯一ロジカルに解を出したように見せられる方式である。経営層にも一応「納得」を感じさせられる、経営企画部門のテクニックとも言える。実際上手くいかなかった場合、技術力が足りなかったと技術サイドに責任転嫁できる狡い手法でもあるのだ。

 だが、B2Bにおいて「プロダクトアウト」方式は、それ自体は否定しないが、まぐれのホームラン狙いのような感じであることも確かである。そんなロジカルに解が出れば苦労しないのだ。

 実際に、その業界で勝っている(勝った)企業は、実は「プロダクトアウト」ではなく、「マーケットイン」で勝利しているように思う。やはりB2Cと同様に誰も見つけていない”真空市場”があり、”市場を作り出した”はずなのだ。そして、それは今この場でも「ある」はずなのである。

 しかし、多重に連鎖しているサプライチェーンが、B2Cでは可能だった市場分析の手法ができない、あるいは、そもそもシステムに存在する時定数の大きさ(遅れ要素)が、単純なマーケティング手法を適用できないという課題があるのである。

 ではそのB2B、あるいは、多層的B2B(B2(B ^X )B2C)において、市場の「潜在ニーズ」を特定するにはどうしたら良いのか。

 その答えはまだ私にはない。今もうんうん唸っているのである。

 

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これは”ホテルあるある”なのか?クリーニング代370円を730円で請求されて、疑問を呈したら逆にフロントに食い下がられた話

 色々あって、最近ビジネスホテルに長期滞在していることが多くなった。

 QOLにとって問題なのは、やはり洗濯である。下着だけでなく、Yシャツなども大量に持っていく訳にもいかない。

 下着、靴下、ハンカチなどは、ホテルの部屋で洗濯し、部屋で干す。しかしアイロンが必要なYシャツはそうも行かないのでホテルのランドリーサービスに出す。

 朝出かける時にランドリーバッグに入れてフロントにお願いすると、夕方には特急でYシャツができている。割高ではあるが、これは納得である。ちなみに価格は370円である。

 実際地元で時間をかけていいなら100円台なので、割高だが当日特急ならばやむなしである。

 と思っていた。

 だが事態はなかなか更に上を行くもので、本日あった出来事はこうである。

 フロント「(Yシャツ1枚を返して、電卓を見せながら)730円です」

 ぼく「えっ」

 フロント「730円です」

 ぼく「(何かの間違いかもしれない)えーっと、たぶんその価格って違うんじゃないすかね」

 フロント「いえ、お客様、こちらが決めた料金でやらせていただいていますので」

 ぼく「(そうなんだ、でも昨日までは370円だったけど)でも、違うような」

 フロント「いえ、そうではなくて、お客様が出していただいた時点で価格はこちらで決めさせていただくので」

 ぼく「(そうなんだ、でも流石におかしいような気がする)いや、おかしいですよ」

 フロント「(向こうもちょっとキレて)伝票を見ていただければわかります通り(伝票を出す)」

 そして、そこには370円と書かれているのであった。

 おそらく超好意的に考えて、伝票を客側に見せているので、読み間違っていたのではないかと思うが。あるあるなのか?

 フロントからも謝罪されたので、まあ問題はなかった。私の財布も損はしていないので満足とすべきなのであろう。

 だが、この金額でやりとりしたこの「ラリー」のもやもやは解消されてはいない。向こうは私を「ホテルのクリーニング代は高いんですよ、発注後にそんなことを言われるのはおかしいですよ」と諌める、私は「いや、そんな議論はしてないんだけど」というすれ違い。これは、一体なんだったのであろうか。正直そこそこの格式あるホテルなのに。そんなに値切るクレーマーが多いのであろうか。

 そんなこんなで、今部屋で一人、ホテルにある「総支配人宛」の封筒を前に悩んでいるのである。フロントの実名もわかるし(思わず名札をチェックした)、どうしようかと。

 ここは関西であり、私も関西人であれば「おんどれ、支配人を呼んでこい!口だけではなく、謝罪と誠意を形でしめさんかい!何が謝罪になるのか己で考えんかい!」と交渉する流儀がデフォルトなのであろうが(スーパー偏見)、私にはそんな文化もないので、非常に悩ましいのである。

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