鉱物が好きで、鉱物標本や鉱物図鑑を持っている。
自然が生み出した無機質でありながら複雑精緻な形状を見ていると、時間が止まったような静的イメージが想起され、なんとなくリラックスできる気がする(気のせいかもしれない)。
あるいは、自分の中にある人間嫌いなところとマッチするのかもしれない。
堀秀道『楽しい鉱物図鑑』(草思社)と鉱物標本(左:白雲母、右:水晶)
最近、何を思ったか、もう少し高価なものが欲しくなり専門店で60個入りの標本を手に入れた。
下の写真がそれである。
鉱物が地球の雄大な時間の流れでゆっくりと成長してきたように、ゆとりを持ち、ゆったりとした時間の流れを感じリラックスできる趣味として鉱物を観察していこうと思う。コーヒーでも飲みながら、憩いのひと時を・・・・・と思っていたが、ちょっと事情が大きく変わってしまった。たった今。
そんな悠長に眺めている場合ではなくなってしまった。
実は、上記の写真は「なんだかよくわからない」標本なのである。
撮影時に手元が狂い、箱が落下、その結果、名前を示す小箱と鉱物がバラバラになってしまったのである。それを良くわからないまま(泣きながら)戻して撮影したのが上記の写真である。
これが菱マンガン鉱ですね、ああ、これは蛍石ですね。なんて区別できるわけがない。むしろこれから学習しようと思ったのに。
いきなり、勉強前にその教材の解答が紛失、いきなり60問の鉱物クイズ(答えなし)になってしまった。
まあ、私もそれなりに馬齢を重ねており、こうした経験も一種のOJTというかスパルタ教育みたいなものだと思って、図鑑片手にコツコツと・・・と思ったが、やはり手に負えない。わからないって。
頑張るか、それとも、無かったことにしてタンスの中にしまい、時の流れに全てを任せるか。鉱物の持つ悠久の時間と私の学習時間のタイマン勝負である。とほほ。