町内会、自治会のような付き合いはどうしても避けて通れない。
日本の高齢化は着実に進んでいるようで、持ち回りの役(班長とか祭りの係といった、雑用係)が、”主人が介護状態なので”とか”目が見えない”といった切実な理由でできなくなり、ただでさえ少ない現役世代に集中し、消耗する、といったことが私の身の回りでも起こっている。
本来は退職したばかりのシニア世代がこのあたりを引っ張って行くべきだと思うのだが、そうした人たちはもっと上の名誉職を志向するので、どうしても下働きが不在になる。
結果、多数の老人世代を支える少数の現役世代、そしてそれを見て”自治会?いいっすう”という新世代の登場で、この年金問題と同様の構図をもった町内会逆ピラミッドはまさに崩壊寸前だと思う。
私もかつて祭りの係にされ、祭りを仕切る老人軍団にまさにスパルタ式でこき使われた。祭りを仕切る老人軍団はこの道40年の猛者で、こちらは引っ越してきたばかりのペーペーで、勝てる訳がない。神輿の休憩所の場所取りで、軽トラで夜中に先に行って、設営、そのまま神輿が来るまで6時間着のみ着のままで野宿、神輿がいなくなったら今度は撤収作業と、何が悲しくてこんな思いをしなくてはいけないのかと情けなくなったのを覚えている。
しかし、祭りに関しては比較的人間関係のジメジメさはなく、祭り老人たちもサッパリしていたので実は思い出としては結構”大変だったけど、まあよかった”というものになっている。
問題は町内会である。ついに回ってきてしまったのである。上述の要介護コンボで班長の順番が2年前倒しでやってきてしまった。まあ、仕方ない。今年一年やるしかない。
回覧板を回す、町内会費を徴収する、3ヶ月に1回町内会館を掃除する、年2回広場の草むしりをするくらいのものだろう(結構あるじゃんか)。心を無にして、やり過ごすしかない。いざとなったら北斗神拳究極奥義「無想転生」がある(?)。
電話がきた。「あのさ、回覧板が今頃ついたんだけど。お知らせの日付が、もう過ぎてんだけど」・・・・キェーっ、クレームだ。
いや、回覧板は1週間前に回してあって、届くのが遅いのはあなたより順番が前の人のせいだと思うんですけどね。なんで、それを班長に言うの?どうしろって言うの?
早くもくだらないウェットな人間関係を予感させて、もはや撃沈寸前である。
既に「金でこの班長を免除できるなら、いくらまで出せるかな」という妄想がよぎっている。おまけに、ここで下手に調整などをしてしまうことが、実は愚策だということはわかっているのである。
先日、新年度役員と新年度班長の第1回目の会合があった。老人7割、現役世代3割である。既に、新役員の目は虚ろである。
ここでうまく班長として立ち回った場合、何が起こるか。
来年度の役員昇格である。これがまたきつい。
懲役2年である。その先に衆議院議員でも約束されていれば、まだやる気も起こるが、町内会役員では、勲章だってもらえまい(適当)。
今年の新役員の虚ろな視線は、来年の犠牲者を物色する視線なのである。
私としては、その瞬間読み切った。
ここは、ちょっとした”この人おかしい”風を演じた方が良いと。それしかない。こんな人に任せたら町内がおかしくなる(といってもカルト宗教色、原理主義的スタンス、新左翼過激派思想などを出したら今度は別の意味でまずい)ように相手に思わせなくてはならない。
正直、町内会の会議のファシリテーションなんて、当たり前だが、ひどいものだ。
文字通りのぬるま湯である。
ぬるいもぬるい、追い炊きが必要なくらいだ。
意思決定のプロセスと権限を事前に定義しないまま、だらだらと老人の意味のない脱線を放置して、いたずらに時間が過ぎてゆく。もう、明らかに最初と違う話を始めた老人トークへのブレーキがない。ゆるゆるである。
牛乳入れすぎたフルーチェである。
ああ、ファシリしたい。でもしたらまずい。葛藤である。
ここで議論の主導権を握ったが最後、”あとよろ”になるのは自明の理である。
愚を演じるのはきつい。どこまで我慢できるかわからないが、日本政府がこの問題に真剣に対処してくれるまでは、この方策を継続するつもりである。