【書評】結城昌治「ゴメスの名はゴメス」(光文社文庫 結城昌治コレクション)戦争の体験がリアルな時代のスパイ小説の傑作

 前から探していた、結城昌治「ゴメスの名はゴメス」(光文社文庫版;結城昌治コレクション)を、ようやく古本屋で入手した。

 1962年(昭和37年)に発表された、ベトナムを舞台としたスパイ小説である。

 ベトナム戦争にアメリカが介入する契機となった「トンキン湾事件」が1964年(昭和39年)であり、まだこの時点ではベトナムをめぐる国際情勢はあまり日本では注目されていなかったようである(著者のあとがきより)。

 内容はネタバレになってしまうので詳細は記載しないが、主人公の商社マンがベトナムに赴任し、前任者の失踪の謎を探るうちに、当時のベトナムでの内部抗争に巻き込まれていくストーリーである。

 ここで描かれる1961年のベトナムの状況としては、アメリカを背景とした反共のゴ・ディン・ジエム政権とソ連や中国から援助を受けた”ベトコン”(注)(南ベトナム解放民族戦線)とが先鋭的に対立する国内状況があった。

 これらの内戦に至る対立状況を作り出した歴史的要因が、小説のバックボーンとして存在する。

 それは1945年の第二次世界大戦の終了、日本の敗北によって生じた東南アジア国家の独立である。

 著者は更にこの小説において、”ベトナムにおける元日本人兵士”というエピソードを重要なファクターとして加えた。旧日本軍の兵士の中で、一定数が現地で除隊して日本に帰還しなかった(できなかった)事例が、実態としてあるらしい(水木しげるにも同様のエピソードがある。ただし水木の場合には説得されて未遂ではあるが)。

 本書の執筆時点においては、戦争を経験し敗戦による経験がリアルなものとしてあった時代であったことが嫌が上にも理解できる。こうした事例は日本人にとって特異的なものでなく普遍的なものであったのであろう。

 そうした物語においては、ある特定の時代背景を描くことによって、読者に対してある種の特異性を印象づけてしまう場合がある。

 例えば、本書では、ベトコン、冷戦構造、旧日本軍兵士などの既にある種の固定イメージを持ってしまう用語がそれに該当するであろう。

 現在から半世紀経過したこの作品であるが、そうした時代背景を感じさせることなく読み終えることができる。何故だろうか。

 その理由の一つとして、著者の文体の格調高さにあると思う。

 非常に簡潔かつ無駄がない。古びた表現もなく、現代でも充分通用するものである(ちなみに、唯一わからなかった単語は”コキュ”=寝取られ男のみであった)。

 文章に対する自律性、即ち抑制された理性が、本来時代の色に染まった物語に普遍的な意味を与えてくれることを実感した作品であり、何より素直に”面白い”小説である。

 注:”ベトコン”という呼称は、反革命側からの蔑称であるが、ここでは本書の記述に従う。

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