立ち飲み屋探訪:相模原駅「オールイン」メンチカツ屋と一体になっている立ち飲み

相模原駅から徒歩10分くらい歩いたところの大型パチンコ屋に併設されている珍しい立ち飲み屋「オールイン」である。

メンチカツやコロッケを揚げて売っている店とつながって、立ち飲み屋があり、パチンコ屋と連動しているからか?昼12:00から開店している。

パチンコ屋の駐車場と立ち飲み屋(左)とメンチカツ屋(右)。

どちらも同じ経営者がやっているようで店内は繋がっている。

中は完全な立ち飲み屋のカウンターで、前払い方式その都度会計である。

値段は少し高め。ホッピーの大ジョッキのセット600円。中は250円である。

卵入りマカロニサラダ300円。なかなかうまい。

併設のメンチカツ屋のメニューも注文できる。

「今メンチ揚げたばっかりよ〜」と勧められたが、腹一杯であり、今回は断念。

「爆弾メンチ」が気になる。

昼からやっているのはパチンコ屋のお客が来るのを当て込んでなのであろうか。結構、一杯だけ飲んで戻っていくお客が多かった。でも、郊外型店舗で駐車場併設のパチンコ屋な訳で、結構微妙な感じではある(クルマ運転するなら飲まない、という注意書きはあったけど)。

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立ち飲み屋探訪:鶴見線浜川崎駅「浜川崎商店(後藤)」工業地帯ど真ん中でいまだかつてないアウェイ感に襲われる

浜川崎駅は、尻手駅からの南武支線ルートと鶴見駅からの鶴見線の合流地点にあり、それぞれの駅は一旦道路を隔てている。

その道路沿いに立ち飲み屋「浜川崎商店(後藤)」がある。駅の周りにはコンビニもない。

南武支線のホーム。

改札出てすぐのお店である。既に満員。

出入り口は二つある。なんとか入店できた。

ホッピーセットは400円。角打ちと立ち飲みの中間形態である。

マカロニサラダ350円とゆで卵50円。

いい感じの固ゆでである。

ハイボールに切り替え。グラスに氷を入れてくれる。

常連が多く、一見にとっては完全にアウェイ感じがあり、かなり入店に勇気が要る店であった。おかみさんは美人で親切。前払い、後払いどちらでも対応してくれた。

とはいえ、ここまで臨海工業地帯に来ると、やはり一見客は”浮く”ようで、皆顔見知りでワイワイやっている中、ひとりで黙って飲んでいると「誰だコイツ」感がすごかった。

アウェイ感に少々凹んで、帰りの鶴見線ホームである。まだ鶴見までは長い。

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【ラーメン】相模原のラーメン激戦区「清新3丁目交差点」の「六郷」の煮干し豚骨ラーメン

相模原駅から16号を横断した先の「清新交差点」付近には、ラーメン屋がなぜか密集している。

その中の一つ”煮干し豚骨ラーメン”の専門店「六郷」に入ってみた。

 

長浜とんこつラーメンの六角堂のチェーンのようだが、ここでは「煮干し」をメインに売っている。

煮干しオンリーの「煮干し100%」と煮干し+豚骨という「煮干し豚骨らーめん」があり、後者を選択した。

入店すると店内には煮干しの香りが。

昔は煮干しはあまり好きではなかったが、年齢を重ねると結構好きになってきた。嗜好の変化であろうか。

店内の食券売り場の隣には、上記のようなデモが。

煮干し豚骨らーめんに、玉ねぎをトッピングしてみた。

泥系のコッテリスープに長浜系の細麺。それに煮干しが意外とあう。煮干しの”とんがった”感じが豚骨と良くマッチしている。

チャーシューも薄く、上品な味である。例えはおかしいが、ローストビーフのような感じ。これなら、ライスも頼んで一緒に食べれば良かったと後悔。

満足で店を後にしたのであった。

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立ち飲み屋探訪:溝の口駅「いろは」西口商店街の名店 昭和のガード下の雰囲気満点

溝の口駅にやってきた。社会人になりたての20年くらい前はこのあたりに住んでいたこともあり、土日は良く溝の口で遊んだ。

再開発される前の溝の口は怪しげなパチンコ屋も多く、なかなかディープな街並みであった。

既に駅の周辺は様変わりしているものの、まだこのJR線路沿いの「西口商店街」は昔ながらのガード下の雰囲気を漂わせている。

有名店である、焼き鳥「いろは」に入店。

線路脇の通路と店の境界がほとんど良くわからない。

立ち飲みスペースを確保し、ホッピーを注文。

うん?焼酎の中が見慣れない瓶でやってきた。

燃える男の酒、だそうである。

瓶の蓋は開いている。おそらくリポビタン系の瓶を再利用しているのであろう。面白い。

中をお代わり。こんな感じで瓶が並んでいく。飲んだ感がある。

またここのサービスは、氷が少なくなると店員さんがお客を回り、無料で氷をグラスに足してくれるので助かる。

焼き鳥は1本90円。シロとハツを注文。しみじみとうまい。

トイレに行くためには、狭い店内に入り、人をかき分けて進むのが、少々苦しかったが、昭和の雰囲気満点でノスタルジックな気分になるのであった。

まだまだディープな商店街は続く。

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立ち飲み屋探訪:武蔵小杉駅「立喰い寿司 ナチュラ」で、たまには高級志向を(後ろめたさ)

武蔵小杉の再開発の影響なのか、結構洒落たお店が増えてきた。

東横線のガード下に立ち並ぶ店が軒並み綺麗な感じなのである。

そのなかの一店、「立ち喰い寿司 ナチュラ」に入店してみた。

立ち喰い寿司自体は色々なところにあり、目新しくないが、武蔵小杉ではどうなのであろうか。

当然ホッピーなどあるわけもなく、富乃宝山のロックである。

マスターのオススメに乗って

マグロ赤身

 

おまかせ5点盛りのうちのブリと貝。

そして秋鮭「銀星」の昆布じめである。これは塩で食べたのだが、うまかった。サーモンとは異なり、鮭の肉厚さと旨味がよくわかる。

食べ比べで、生(これは醤油で)と塩麹バター(これは塩で)も食べたが、昆布締めが一番旨かった。

富乃宝山を3杯のみ、寿司をなんだかんだで13貫食べて、お勘定は5000円でお釣りがきた。立ち飲みや角打ちとは、そもそもの概念が異なるので比較はできないが、たまにはこんな贅沢もしてみたいのである。

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【ビールテイスト飲料の市場】ホッピーとオールフリーの居酒屋における棲み分け戦略

20歳台の頃はビールが大好きで、飲み会でも初めから最後までビールだけ、二次会のカラオケまでビール一貫で十分であった。なんだかんだでビールが一番当たり外れが少ないということも選択した理由である。しかし寄る年波で、次第にビールではなく、ホッピーを頼むことが多くなっている。

ハイボールでも良いのだが、ハイボールは店によって当たり外れが大きい(と思う)。

それに比べてホッピーは基本的にクセの少ない甲類焼酎と定番のホッピーの組み合わせなので、量の問題(関連記事:ホッピー指数(外1本に対する中のおかわり回数)の提唱およびホッピーの最適解)はあるものの、味に関しては一定を保っていると思う。

そんな中、最近気になっていることがある。

「ノンアルコールビール」という存在である。

サントリー「オールフリー」などを皮切りに、飲むに耐えるノンアルコールビールが出現し(昔あった”バービカン”はいまいち旨くなかった気がする)、一つの市場を形成している。おまけにカロリーゼロも謳っているので、手に取りやすい。

私も夏にはノンアルコールビールを箱買いして、朝起きぬけや汗をかいた後などに飲んでいる。

特に朝の起きぬけのノンアルコールビールは、ビールの味という背徳感とその後にアルコールの酩酊が”やってこない”ことに対する脳みその戸惑いがあって、なかなか面白い経験ができる。

いわばビールの味を感じた時点で脳みそは既にアルコールが来たぞ!という先走り信号を出し、軽く人工的な(アルコールを使わない)酩酊感を前払いしているのではないか。その後、実際にはフライングしているので、来るべきアルコール成分が届かないので”あれっ”と戸惑う感じである。

ちょっとした作業をする際にも、酔わないビールなので非常に捗るのである。

そんな効果があるノンアルコールビールであるが、本質的にはホッピーと同じなのではなかろうか。そして、居酒屋にも当然飲めない人(ドライバーとか)用にノンアルコールビールが置いてある。

でも「オールフリーの焼酎割り」というメニューは見たことがない。

値段も同じくらいであり、形態が缶かビンの違いだけであるが、なぜ居酒屋のシーンでは完全に棲み分けが行われている(ように見える)のであろうか。

つまり、焼酎を割る割材としての「ホッピー」と、ノンアルコールとしての「(例えば)オールフリー」のように。ホッピー自体は厳密にはノンアルコールではなく(0.8%のアルコールを含む)、ノンアルコールと称することはできないが、「オールフリー」が「ホッピー」の割材の市場に入ることは、既に既存の営業網も出来上がっており、原理的には可能なはずなのだ。

サントリーなどの大企業に対する、中小企業である「ホッピービバレッジ」のニッチ戦略が奏功しているということであろうか。

確かにホッピービバレッジの売上高は2016年で36億円に対して、ビールテイスト飲料の国内市場規模をざっくり計算(注1 )してみると、2015年でおよそ576億円。これを大手4社で分け合っている状況である。

平均して約150億円規模のシェアを取り合っている大企業にしてみると、隣の36億円はあまりインパクトがないということなのであろうか(そんなことはない気もする)。

ビールテイスト飲料の市場規模自体が鈍化している中で、独立に棲み分けてきた現状の構図が今後どうなっていくのか、非常に気になるところと同時に、ホッピー側の生き残り戦略が非常に気になる(前述の通り、ホッピーはノンアル側には攻め込めない)ところである。

これを家庭で焼酎で割っても普通にいける。ただ気分的にはいまいち乗らないのも確かである。このあたりの”気分”がやはりホッピーの参入障壁(いわゆる下町感)になっているのかもしれない。

参考までに先日行ったスーパー銭湯のレストランメニューを以下に示す。見事に棲み分けができている。

注1:

【図解・経済】ノンアルコールビール市場の推移(2016年7月)より、2015年のノンアルコールビールの出荷ケース数を1,600万ケースと見積もった。

1ケースが大瓶633ml×20本換算なので、これを350mlの値段で金額に直す。

633×20÷350=36 1ケース350ml36本換算で、1本あたり100円とする。

よって1,600万ケース×36本/ケース×100円/本=576億円

参考:wikipedia:ビールテイスト飲料

 

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立ち飲み屋探訪:鶴見線弁天橋駅「中村屋酒店」は重厚な店構えの角打ち

鶴見市場駅と弁天橋駅の中間くらいに位置する角打ち「中村屋酒店」である。

店構えは結構ゴージャスで、綺麗である。

左側にカウンターが。このあたりの角打ちは酒屋左側に一列カウンターが多いような気がする。

立ち飲みエリアにはカウンターと、小窓が。

この小窓から注文を受けるスタイルである。

要するにカウンターを乗り越えて、ということは出来ない(しないけど)ようになっている。

ホッピーは黒だけ置いてあった。珍しい。焼酎1合で、黒ホッピーセットとツマミで570円。氷は選べるので、無しを選択。

黒ホッピーは久しぶりである。

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【炭鉱労働】あまりにも過酷な労働と記憶の遺産【書評】

   以前の記事:【炭鉱労働】上野英信と山本作兵衛を読んでブラック労働を考える【書評】

   に引き続き、

・真尾悦子『地底の青春 女あと山の記』(ちくまブックス)

・鎌田慧『去るも地獄残るも地獄 三池炭鉱労働者の20年』(ちくまブックス)

   を読んだ。

   日本の近代化を進めるにあたり、明治から昭和30年代まで、当時のエネルギー戦略によって振り回されつつも、炭鉱という産業が存在し、その現場に過酷な労働が存在したことは歴史的事実として確かなことである。

   そしてその過酷な労働自体は、自動化や機械化などの手段で解消されることなく、全く別の論理である”石油への転換”という「エネルギー政策」の帰結によって産業自体が消滅することで労働自体が消滅するという皮肉な運命を辿った。

   炭鉱には大企業が経営する大ヤマ、そして中小企業が経営する中ヤマ、小ヤマ、そして個人経営レベルの”ムジナ掘り””狸掘り”と呼ばれる半ば非合法な零細規模のものまで、広く存在した。

   過酷であったその炭鉱労働の法的規制とその運用はどうなっていたのだろうか。

   「鉱夫労役扶助規則」の昭和3年の改正で、原則として女子の坑内労働を禁止している。

   しかし実態は中小ヤマではそうではなかったようだ。更に戦争に入るとなし崩しになっていく。

本規則(「鉱夫労役扶助規則」引用者注)の改正が1928(昭和3)年になされ、原則として女子の坑内労働を禁止したが、実施が迫って、中小炭坑の鉱業権者から坑内労働禁止が実施されれば経営不可能に陥ると泣き言が入り、結局は省令で女子の坑内労働禁止の特例を認めた。さらに 1939(昭和14)年の戦時下には、労働力不足を補うため25歳以上の女子(妊娠中の女性除く)の坑内就業を解禁し、1943(昭和18)年にはさらにそれを20歳以上の女子にまで拡大した 。

奥貫 妃文「近現代日本の鉱山労働と労働法制 ~三重・紀州鉱山の足跡~」相模女子大学紀要. C, 社会系 77, 107-121, 2013

引用終わり

   昭和22年に制定された労働基準法で、改めて女性の坑内労働は禁止される。

   しかしながら、中小ヤマそして狸掘りのような規制から外れたところでは、依然として女性の炭鉱労働は存在したという。

   真尾の著書には炭鉱労働に仕事を求めて、戦後も昭和32年まで「あと山(掘られた石炭を坑外へ運び出す役割)」で働いた女性の証言がある。

 これ以外にも、同様の証言(【書評】田嶋雅巳「炭坑美人 闇を灯す女たち」(築地書店)–明治、大正生まれの女性たちが生きた過酷な炭坑労働の聞き書き)もいくつか見かける。

   坑内は高温、高湿度の暗黒閉鎖空間であり、そこに居るだけでも過酷な労働環境である。その状況を、真尾の著書は、マキさんという女性の思い出話として記述する。少し長くなるが引用する。

先山が切り出した石炭を、女あと山が、合砂(かつつあ)という、草けずりに似た道具で搔き寄せ、スコップでタンガラに入れる。

それは、直径五、六〇センチ、高さ七、八〇センチ、くち回りと縦骨にほそい木の枝を用い、針金で荒く編んだ背負いカゴである。

あと山たちは、豊満な乳房を丸出しにして、三〇センチ幅くらいの腰巻きと、その下に黒いパンツをつけている。稀に、一糸まとわぬ裸形の女もいた。

タンガラに石炭がいっぱいになると、素早く背負ってトロッコへ運ぶ。ダァーッと石炭を開けるが早いか、脇目も振らずにタ、タ、タ、と切羽へ戻っていく。

マキさんは、その女たちと目を合わせるのがこわかった。何ものをも寄せ付けない、憎悪とも憤怒ともつかぬ表情なのである。きッ、と目尻を吊り上げ、犬のように舌を出して、ハア、ハア、と荒く喘いでいる。やや前かがみに通り過ぎる彼女らは全身汗にまみれていた。

切羽の近くでは、天磐からしたたり落ちる水滴が、肩に当たると熱かった。湯なのである。

(真尾悦子『地底の青春 女あと山の記』p.61-62)

引用終わり

   女性は坑内から外へ出れば酒を飲み始める男性と違い、外に出ても掃除、洗濯、育児、炊事があった。妊娠、出産を控えても仕事はやめられない。陣痛が来るまで中で仕事をしているのである。「あと山たちは、臨月でも六〇キログラム余の石炭を背負い、トロッコを押した」(真尾p.118)。

   マキさんの娘千恵子さんもまた若くして炭鉱労働を始める。千恵子さんの時代の炭鉱産業は、いわゆるスクラップ・アンド・ビルドの時代であり、もはや産業が崩壊寸前のころである。彼女はこんな言葉を語っている。

「何度も言うようだけンど、俺は仕事つらいなンと思わねかった。ひもじい思いも、いやっつうほど知ってるし、ラクでカネ取れねえことくらい分かるもん。ほんとうに食えねえ人間は、何仕事でも、カネンなるところさえありゃ、文句なンと言ってらンねんでねえけ。安いとか、仕事きついとかってブツクサ言ってたら糊も舐めらンね。アタマ張っつられたって何したって、おいら、モグリだっぺ。それしか道がねっか、仕様あンめ。まず、食わねか始まんねもんな。スト、なんつうのは、あした食う米ある人でなきゃやってらンねえと思うんだよ。こんな考え、いまどきおかしかっぺか」(真尾 p.204)

引用終わり

   発言自体の問題意識についての是非は別にして、産業の底辺かつ末端であり、法すら及ばないリアルな、そして遠くない過去の日本の生活の中で、こうした「労働者の想い」があったと言うことだけはたしかな事実であると思う。

   その一方で、大ヤマと呼ばれた大企業の炭鉱はこうした状況とは異なっていたのであろうか。恵まれていたのだろうか。

   決してそんなことは無かったのである。

   鎌田の著書では、三井三池三川炭鉱の炭塵爆発事故を中心とした炭鉱労働者の悲劇が語られている。

wikipedia(三井三池三川炭鉱炭塵爆発)より引用する。

三井三池三川炭鉱炭塵爆発(みついみいけみかわたんこうたんじんばくはつ)は、1963年(昭和38年)11月9日に、福岡県大牟田市三川町の三井三池炭鉱三川坑で発生した炭塵による粉塵爆発事故である。

死者458名、一酸化炭素中毒(CO中毒)患者839名を出したこの事故は、戦後最悪の炭鉱事故・労災事故と言われている

引用終わり

   三井財閥では、不足する炭鉱労働者を集めるために、離島などから集団移住者を大規模に行ってきた。三池炭鉱には与論島からの移住者が多かった。彼らもまた運命に翻弄されていく。ここでも与論島移住者の差別があったという(鎌田 p.73)。また明治の頃は囚人を炭鉱労働に使役していたという(鎌田 p.89)。

   こうした労務政策はやはり徹底しており、大企業であるがゆえに、その手段は過酷かつシステマチックであったと言える。組合の分裂による人々の人間関係をも引き裂くような例や、こうした事故の対応を巡る会社との裁判なども、労働者の生活に重くのしかかった。

   この炭塵爆発事故では、仲間を救出に入った労働者が、内部で発生した一酸化炭素による中毒にかかり、重い後遺症を受けて長く補償も受けられず苦しむ姿が描かれる。その裁判の行方も、極めて長い時間をかけて行われている(1998年に最高裁で確定。実に35年かかっている)。

   こうした規模こそ違え、国家のエネルギー政策から産まれる産業、そして産業に伴う経済の流れ、それらに多く依存する生活環境のもとで、炭鉱労働者(だけではないが)は翻弄され、繰り返すが、最終的には産業自体が消滅してしまうのである。

  こうしたあまりにも過酷な「労働」とその運命の中で、彼らが何を考え、何を想っていたかということは、確実に我々が留めて置くべき「記憶の遺産」といえるものだと思う。

   そして「労働」という行為そのものについても、どうあるべきかを再度問い直す必要があろう。

関連記事:シベリア抑留と強制労働

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立ち飲み屋探訪:鶴見線安善駅「ほてい屋酒店」は広めカウンターの角打ちであった

鶴見線の奥にある「安善駅」である。既に周りは工業地帯の雰囲気にあふれている。

駅前には年季の入った飲み屋が散見され、改札出て数歩のところ、目の前に「ほてい屋酒店」がある。

店の前にテーブルもある。

入店。カウンターでその場支払い方式である。店内は結構広めであった。

缶詰などの乾き物だけでなく、ちょっとした料理も並んでいる。

ホッピーは無かったので、ハイボール250円。ツマミはニラ玉200円である。

その後、ハイボールをお代わりして、ほてい屋だけにほていの焼き鳥缶の激辛バージョンをツマミ追加するのであった。

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立ち飲み屋探訪:鶴見線鶴見小野駅「豊嶋屋酒店」の帰りは市営バスで

鶴見線鶴見小野駅から、商店街を鶴見方向へ。そこに「豊嶋屋酒店」がある。

右に曲がると、立ち飲みスペースの入口がある。

中は満員状態。19:30閉店だが、全然人が減る様子はない。競輪の話や仕事の話で賑やかだ。

ハイボール220円。満員のためツマミエリアまで到達できず。

鶴見小野駅に戻るとよりは、と近くのバス停で市営バスの鶴見駅行きを待つ。……なかなか来ない。時間にして15分遅れてバスはやってきた。こういう待ち時間があると、やはり時間が読める電車の方が飲み屋帰りには良さそう。

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