ホッピー指数(外1本に対する中のおかわり回数)の提唱およびホッピーの最適解

健康診断でも色々と引っかかるようになり、アルコールでもプリン体などを気にするようになってきた。

昔はビール1本やりだったが、さすがにそうも言っていられなくなり、最近蒸留酒系を飲むようにしている。

「そもそも酒は嗜好品なんで、健康を気にするなら最初から飲まなければいいんで、健康を気にして酒の種類を変えるって、どれだけ生き方がコンサバなんだよ・・・(冷笑)」としていた20歳台の自分に今なら優しく言える。

「すまん、そんな大人になってしまった」と。

そんなこともあり、プレーン酎ハイや、ハイボールなどをメインで飲む日々だが、ホッピーも好きである。立ち飲みなどでは雰囲気的にホッピーが良い。

ここで少々問題がある。

有名な3冷の問題ではない。キンミヤ焼酎がベスト、とかそういう問題でもない。

ホッピーは平たく言えば、ノンアルビール+焼酎なのだが、焼酎の部分の量が店によって違いすぎるのである。

通称:外 ホッピー(ノンアル部分)360mlに対して、通称:中 焼酎の量が、グラスの大きさ及び氷の量によって店によってバラバラなのである。

こちらとしては、中二杯で外一杯というペースで進めようとする。しかし、その際に、店によってはものすごい濃い状態になったりする。

私は”ホッピー指数”(ソト1本に対するナカのおかわり回数)を勝手に定義している。通常の店では2から3の間が平均であろう。

ホッピー指数が3を超える、すなわち中を2回追加しても、まだホッピーが残っている場合には、驚きがある。

だいたい、最初の中がきた段階で、焼酎並々状態のこともある。その結果、ホッピーが僅かしか投入できず、混合した後にビール色にならないものまである。この場合、少しずつ飲みながらホッピーを順次投入することになる。面倒臭い。

ぜひ業界で量を最適化の上、統一された標準を策定、その厳密な運用を望む・・・・と言いたいところだが実は、そうではない。

酒飲みの性(さが)として、アルコールは多ければ多い方がうれしいのである。よって本音としては、濃い側に振れる場合にはウェルカムなのである。無理に減らす側に調整する気づきを与えたくない。

ここだけの話にしておいていただけると幸いである。

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私が最も感動したプロレスの名勝負:天龍源一郎vsR・サベージ

子供の頃から長くプロレスを見ているが、一番感動した試合をあげると、1990年4月13日東京ドーム「日米レスリングサミット」(WWE,全日本プロレス,新日本プロレス)のメインでもセミでもなく行われた

天龍源一郎 対 ランディ・サベージ

のシングルマッチである。今でもYouTubeなどで視聴可能なようだが、当時私はTVで見たが、非常に興奮したことを覚えている。その後、何度も映像を見返しても、今でも面白いし、興奮する。

試合自体は正調のアメリカンプロレスであり、当時の日本のプロレスファン(私含む)には本来受け入れられない文脈なのだが、トータルとしてみた時に、非常に両者がスイングして、何故か?面白い試合になったのである。

この試合に至るプロレス業界を示すと、第二次UWF(前田、高田、船木を擁していた)が絶好調の中、天龍も全日本プロレスで天龍革命(天龍同盟)という”硬い”ムーブメントを起こしていた。

日本のファンの志向としては、非常に格闘色の度合いが濃いプロレスを称賛する風潮が強く、ショーマン的なプロレスは基本的に敬遠される傾向にあった。

天龍はこの試合の前に、全日本プロレスの体制内革命である天龍革命を終了(解散)させている。これからは一人で活動する、と宣言して、孤独の中でこの試合を迎えていた。

この試合のマッチメークの意味は、いくつか想像できる。

・今後の天龍の全日本プロレスでの位置付けをどう捉えるか?

試合順は全13試合中、第9試合である。メイン、セミファイナルではなく、後ろから4番目の試合であり、それまでの全日本プロレスの功労者に対する格としては位置付けが低いとも思える。

しかし、日本人としてはジャイアント馬場(セミファイナルでアンドレ・ザ・ジャイアントとタッグを組んだ)に次ぐ二番目で、ジャンボ鶴田よりも後だ(ジャンボは第8試合でタッグマッチ)。

つまり全日本プロレスのエースとしての処遇は受けている。

・相手としてのランディ・サベージとのシングルマッチの意味はどう捉えるか?

ランディ・サベージはこのとき初来日。
まさしく”まだ見ぬ強豪”であることは間違いない。

1988年にはWWFの最高峰WWF世界ヘビー級王座についている(1990年時点では今回のメインに登場するハルク・ホーガンに奪われている)。

しかし、その一方で当時日本のプロレスファンが嫌っていたショーマン派(実力もないのに格好だけ良い)に属する前評判だ。

WWFのエンタテイメント路線は今でこそ日本でも受け入れられているが、この時は外道も外道だった。

天龍自体のこれまでのファイトスタイルは、ショーマン派に全く付き合わず、決して逃げない代わりに相手にもそれを求めるファイトを見せてきた。

今回のこのマッチメイクは、全日本プロレスがエース天龍への新しい方向性、いわば”踏み絵”のようなものではないかと私は当時考えていた。

つまり、天龍同盟のアウトロー的エースではなく、正統派エースへの転向を促すものであると。そして、それは天龍にとって決して望ましいものではなく、また天龍がかつての鬱屈したファイトに戻る原因になるのではないかと、勝手に心配していたのだ。

しかし、結果は全くそうではなかった。

とんでもなく面白い、興奮した試合になったのである。

天龍もうまかったが、それ以上にランディ・サベージというショーマンだと思っていたレスラーに、めちゃくちゃ実力があったのである。

天龍のファイトに付き合った訳でもなく、サベージのショーマン的なレスリングに、観客も完全に飲み込まれて、良いように踊らされていたのだ。

TV映像で見ると、観客が本気で興奮しているのがわかる。私もTVで見てそうだった。

試合前、試合中、試合後に、試合のひとつひとつの展開に、観客が波打ち、うねるように反応している。まさにこの試合は観客にとっても別格だった。おそるべし。

試合を以下に追って分析し、サベージのすごさを示してみたい。

驚くことに、サベージは、ほとんど技という技を使わないのだ。それでいて、リングを立体的に使うことで観客の視線をコントロールし、試合を複雑化している。

そして、試合時間のうち、ほとんどの試合時間でサベージの攻撃となっており、終始試合をリードしている。

0:00(試合経過時間、以下同じ)
ゴング、既に女子マネージャのシェリー・マーテルとともに、観客へのアピールは十分され、観客はヒートアップしている。なかなか組み合わない。サベージが天龍にロープへ振られるが、場外へエスケープしてかわす。その後コーナーポストに登ってアピール、観客ブーイング。

2:40
ようやく最初のロックアップ。
ブレーバスターの態勢から両者持ち上げるも上がらず、天龍が持ち上げるがサベージがかわして天龍の背後に着地。天龍は振り向き様に、逆水平チョップを喉元に打つ。その数13連発。天龍同盟で見せた、あの逆水平チョップである。コーナーポストにハリツケ状態でサベージ耐えるが、最後は崩れ落ちる。ここで、最初の見せ場がやってきた。天龍は雄叫びを上げる。
私はこのシーンは初見で一番感動した。ショーマン派レスラーが嫌う喉元へのチョップを何発も受けたサベージに対して、”こいつ本気でこの試合をやる気じゃん”と思った。

3:58
天龍がサベージをショルダースルーで場外へ。サベージはトップロープを掴んで一回転しながら場外へ転落。とにかくリングを垂直的に使う。その後マーテル介入により場外乱闘は一貫してサベージペースで天龍は攻め込まれている。放送席で徳光アナや一般の観客が本気で怒っているのがわかる。

6:00
リング上の攻防で天龍の延髄斬りが決まるが、足を痛めたか攻め込めず、体勢を立て直したサベージのラリアットを受け、ペースを握れない。サベージの攻撃、チョーク、パンチからフォール。カウント2。

7:07
サベージが天龍をロープに振ってラリアット。ロープを掴みながら、足でチョーク。更にマーテルが介入し、天龍はリング下へ転落。

7:58
リング下の天龍に対してコーナーポスト最上段から飛んで、得意技であるダブル・スレッジ・ハンマー!
(解説の竹内さんが教えてくれた)その後はマーテル介入により、天龍が一方的に攻め込まれる。
場外フェンス外でグロッキーの天龍。

9:05
天龍をリング内に入れて、コーナーポスト最上段から2回目のダブル・スレッジ・ハンマー。カウントは2。

9:30
サベージが天龍をボディスラム。ニーパッドでフォール。カウント2。

9:51
サベージ、別のコーナーポスト最上段に登る。解説の竹内さんが「そろそろエルボーですかねぇ!」
最上段でじっくり時間を溜めた末に、ダイビング・エルボー・ドロップが炸裂。フォームが美しい。
フォールでカウントは2.5。いよいよ天龍ピンチ。
しかし受ける天龍はさておき、ここまでのサベージの連続攻撃の運動量がすごい。だが、スタミナが全然切れていない。

10:18
再びサベージ、コーナーポスト最上段へ。3発目のダブル・スレッジ・ハンマーを狙うが、ここで天龍がボデイへのパンチで切り返す。素早くサベージを捉え、天龍の必殺技パワーボムの態勢に!観客総立ち!
・・・しかしサベージが踏ん張り、リバースで返す。まだスタミナあるのか。観客いっせいにため息。

10:40
またまたサベージはコーナーポスト最上段へ。今度はフライング・ボディ・アタック!
しかしここでサベージが膝を痛める。ちょうど前かがみになった姿勢に、天龍が延髄斬り!
そして今度こそパワーボム炸裂!カウント3が入り、観客が皆歓喜で飛び跳ねて、TV画面はすごいことになる。

第9試合
シングルマッチ60分1本勝負
天龍源一郎 vs ランディ・サベージ(w / センセーショナル・シェリー・マーテル)
○天龍(10分49秒・エビ固め)×サベージ

試合後天龍が小さくガッツポーズ。これも印象深い。”やったぞ!”という思いなのか?

経過を見ていくと、ほとんどサベージの攻撃だということがわかる。しかも、パンチを中心にした単純な組立であるが、まるでそれを感じさせない。

コテコテのマネージャ介入による反則などまさにヒートを買っている状態であるがゆえに、切れ目切れ目の天龍の反撃もインパクトを与えている。

また大会場であることも考慮して、コーナーポストをフルに使った立体的な視覚にも訴えかけている。

そして、最後のパワーボムに至る、1回目失敗→その後の成功によるカタルシスへのスピード感がある流れ。

まさに名試合だった。

サベージのうまさばかり書いたが、天龍のうまさも当然ある。

私はもともと天龍ファンなのであるが、それを差し引いても、この試合のサベージはすごかった。

繰り返すようだが、基本的にパンチなどの打撃しか使っていないのだ。

むしろショーマンレスラーだったら過激な技をバンバン使いそうだが、スープレックスなんかほとんど出さず、基本技のボディスラムがたったの1回だけなのである。

サベージに一流レスラーの凄みを見せられた思いで、WWF(現在WWE)についての思いも少しこの時から変わっていったと思う。

未だにこれを超える試合がないと私は思っている。

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閉所恐怖症にとってのサウナ風呂

サウナ風呂が好きで、スーパー銭湯とかカプセルホテルなどでは必ず入る。

サウナは完全な個人戦である。

サウナの熱気への耐性には、おそらく個人差があって、周りのペースに踊らされると調子が狂う。従って己との戦いをしつつ限界まで汗を流し、最後にビールをキューっと・・・(ラリったような目つきで)。

先日もスーパー銭湯に行ってサウナに挑戦してきた。

繰り返しになるが、サウナは己との戦いであり、また、そこには作法が存在する。バッターボックスに入る打者が一連のルーティンを行うように、プレイヤーが最高のアウトプットを得るための標準動作がまず求められる。したがって初見のサウナでは落ち着かず、行き慣れた場所でないとうまくいかないのだ。

まず準備段階の大前提は、インフラの確認である。空間は十分か。衛生面は問題ないか。サウナマットの交換サイクルはどの程度か。変なお客はいないか。水風呂の温度は適温か。サウナ→水風呂→休憩という基本サイクルを動かすための動線を確認しつつチェックしていく。特に休憩は重要で、プラスチックの背もたれ付き椅子が複数あるとベストである。この動きが停滞すると全てのサプライチェーン(?)を崩す事になる。また私は眼鏡をかけているので、サウナに入る前のメガネ置き場も必要だ。

そして、此処が超重要なのだが、サウナの非常ボタンを確認する事である。

好事魔多し。

この不確定な時代、何が起こるかわからない。

私はおまけに閉所恐怖症の気があるので、万が一この扉が開かなくなったら・・・という恐怖が常にある。

おまけに近眼なので眼鏡をかけて入ることができない。

ここでいかに恐怖感を持たず、サウナで自分との戦いに没頭できるかが勝負の分かれ目となるのだ。

私の作法としては

①まずは普通の風呂に入り、体と髪の毛は石鹸やシャンプーで洗っておく。

②そののち、ヌル目の風呂に30分入る(最近は炭酸泉なるものがあり、これを良く利用する)

③休憩(椅子に座るか、露天のスペースで、汗が引くまで待つ)

④サウナへ入る。出口の確認は怠らない(いつ地震でドアが歪むかわからないのだから)。最初は汗が出る程度で出ることにしている。

⑤水風呂へ。ここで頑張って急速冷却をする。休憩するための椅子の空きを確認しつつ。

⑥休憩。ここで全身を脱力する。口は半開き、目は閉じている。当然全裸なので、端から見たら、ヤバい人だが、サウナは個人戦なので気にしない。この最初の休憩が、最も快楽を得られると思う。急冷された肉体が、次第に温められてくる際に、うまくすると、肉体の感覚がなくなって無重力状態にいるような気になる。10分くらい休む。

⑦サウナ、水風呂、休憩を3セット繰り返し、ラストは水風呂で終わる。

これが一応私のお作法である。最近はロウリュウなどイベントが増え、個人戦でなくなりつつうあるのが気になる。

とはいえ、誰もいないサウナも実は逆に恐怖なのである。万が一自分が倒れた時に助ける人がいなくなる。

かつて数か月オーダーの単身での長期出張の際に、連泊するのでウィークリーマンションを借りたことがある。そこの風呂にプライベートサウナが付いていた。ラッキーとは思い皆に「いいところを見つけた」と自慢しつつ、一度も使用しなかった。怖かったのである。

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年賀状による消息から想像する”人生の黄昏”

年賀状の話題をこの時期にするのも微妙であるが、先日ふと思ったので備忘のため記載しておくことにする。

社会人になると交際範囲は増える、と同時に実際にリアルな場面で会う頻度はまだら模様になってくる。

学生時代の恩師や友人、仕事上の同僚、顧客など、今でもリアルで会う人もいれば、遠方に行って何年も会えない人もいる。

当然メールやLINEなどの手段で維持できる部分もあるが、特に自分より高齢の人だと、年賀状でしかその消息がわからない場合が多い。

今年(2017年)、大学時代の指導教官から年賀状が来ていないことに気づいた。こちらは毎年、年賀状を出していて、戻って来ていないので不在という訳ではなさそうだ。

もう80歳を遥かに超えているはずだ。気になったので遡って調べてみた。

昨年(2016年)時点で、年賀状は来ていなかった。そして、その前(2015年)の夏には転居通知が来ていた。私が知っていた指導教官の自宅から、マンション?への転居だった。

一昨年(2015年)の年賀状は単なる印刷で、これまで手書きでメッセージがあったものがなくなっていた。

さらにその前(2014年)は喪中はがきで、奥様が亡くなられたことを告げていた。

整理すると

-2013年まで    年賀状のやり取り、手書きメッセージで近況あり

2013年から2014年 奥様を亡くす

2014年から2015年 年賀状来るが、手書きメッセージ途切れる

2015年から2016年 自宅からマンション?へ転居

2016年から2017年 年賀状途切れる

となる。想像力を膨らませると、ある種の人生の黄昏を感じる(勿論全くの勝手な妄想かもしれないので非常に失礼な事を思っているのは承知で)。こちらも非人情で、日々の忙しさにかまけ、今まで何もコンタクトを取れずにいた事を後悔している。

しかし、事此処に至ると、直接のコンタクトそのものが取りにくい。研究室ももう残ってはいないので、同様に年賀状レベルの付き合いのOBにコンタクトを取るしかないのか。

自分が不義理をしている訳で、何とかしなくてはいけないと本気で思うなら、こんなところでグダグダと言い訳を書いている場合ではないのだが、気持ちが少々乱れている。

思案中である。

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富士そばの「富士山もり」(3玉)を食す

朝食を食べそびれて外出、用事を済まして11:00。
結構な感じで空腹である。

ラーメン屋は早くも混んでいる。

富士そばが目に入ったので、お腹の空き具合と調整会議を行い、ここは「富士山もり」(3玉)で勝負(?)することにした。

待つこと5分。

なかなかの迫力であるが、想像より形が富士山ではない(当たり前か)。

麺つゆも予備が用意されており、こちらの心配もない。

結果、満足して完食。

これから骨休めにスーパー銭湯行ってマッサージを受けようかと思案中。

ただしギックリ腰気味の状態にマッサージはどうなんだろう。腰を外して受けようか、足裏だけにしようか、費用対効果とリスク分析を含めて検討中である。

 

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ももクロChanDVD「こんばんようから始めよう。」ゲット

今週は非常に疲れた。

ギックリ腰は不調だし、ストレスの溜まる渾身のプレゼン壇上で、容赦ない聴衆からの北斗剛掌波の連発に晒される大ピンチだった。が、・・・悲しみを知ったもののみが使える北斗神拳究極奥義「無想転生」で攻撃を無効化・・・できず大ダメージを食らって個人的に大炎上である。どうすればいいんだ。

そんな疲れた日々に、予約したDVDが到着していた。

待望のももクロChanDVD「こんばんようから始めよう」(第22集から第26集)である。

パッケージイラストが非常に可愛い。

これでしばらくは癒されそうだ。

私の推しは、れにちゃんであるが、ももクロの名物マネージャーtmmnことフルヤ女史も非常に注目している。

社会人としてありえないエピソードの一方で、ももクロのメンバーからの信頼は何故か極めて厚いと言う不思議。

5日間無断欠勤後のメンバーとの再会シーン(いわゆる「LIFE IS FUN」事件。DVD第5集の「たまい博覧会」所収)が、本来泣けるはずない、この1分に満たない、おまけのような映像に何故か毎回感動する。不思議だ。

(2023.09.25 追記 古屋さんが闘病の末逝去された報を聞いた。非常にショックである。魂の安らかなることを祈るばかりである)

ももクロZは2011年のアルバム「バトルアンドロマンス」(注1)からハマっている。

1から26集までコンプリート中である。

注1 このアルバム名が、あのプロレス団体SWSが崩壊し、傷ついた天龍源一郎が旗揚げした団体WAR(レッスル アンド ロマンス)へのオマージュであることは有名であるが(そうなのか?)、この団体名も結局WARの頭字語はそのままに変更になったと言う歴史がある。この名称をつけたとき、SWS崩壊で多くの人に裏切られた天龍が初期WARで孤独に戦っていた日々が、少し救済されたような気がした。

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クリーンスーツ(防塵着)の思い出とクリーンルームあるある

過去のある一時期、ほぼ仕事場がクリーンルームの中だったことがある。設計した装置の設置場所がクリーンルーム内で、装置の立上げ、試運転のためにはクリーンスーツを着てお客さんのクリーンルーム内で作業をする必要があったためだ。

クリーンスーツとは

こんな感じの全身つなぎの服で、細かいアイテムとして

・手袋(布とゴムがあり、両方重ねるパターンもある)

・靴(安全靴仕様になっていて爪先に金物が入っていたりする。ブーツ状もあり)

・帽子(服と一体型あるいはセパレートがある。更に上級者にはこの上からヘルメットを被る仕様もある)

・マスク(いわゆるマスクである。花粉症の時には助かる)

などがあり、クリーンルームにもその工場のポリシーがあって、細かいルール、躾が決められていた。

いずれにせよ、周りから見える場所は目の周りだけで、皆同じような外観になる。目の周りしか見えないところはスキー場の状況と似ている。

会話もマスク越しなので声も通りにくく、基本的に誰だかわかるような情報が少ない。

なので、クリーンルームによっては名札やゼッケンなどで誰かを明確にしていたところもある。服の色などでVIPなどを区別できるようにしているところもあった。VIP仕様のクリーンスーツが近づいてくると、訳もなく緊張したものだ(入室自体が面倒くさいので、あまり偉くなると入ってこないことが多い)。

それでも、長い時間作業をしていると慣れと言うもので、背格好や歩き方で「この人が誰か」わかるようになる。

ただ、覆面レスラーのようなものなのか、微妙にそれぞれ人格も変わっている場合もあるなと思ったことがある。

クリーンルーム内で関西弁で乱暴に話してきて、思わず言い争いになった人と、クリーンルーム外で続きの打ち合わせをしたら、ものすごい紳士で、何か騙されたような気がした。

女性も結構クリーンルーム内にいた。やはりスキー場状態で目の周辺しか見えないのだが、同時私の野生の勘は研ぎ澄まされていたのか、結構当初予想からのズレはなかった。

一番困ったのはトイレ(外にある)に行くことがものすごく大変で、どうしてもギリギリまで我慢してしまう。出入りも、前室(エアシャワーがある)を通過し、着替えて、と言う手間があり、結構スリリングだった。

通気性が基本的には良くないので、手袋の中で汗で蒸れて手がしわしわになってしまうし、二日酔いの際には自分の吐いた息がスーツと下着の間の空間に充満して、一日中気分が悪かったのを思い出す。

今でも時々クリーンルームに入る機会があるが、やはりそうした思い出があり、若干閉所恐怖症的になっている私としては足がすくむことが多い。

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論文検索プラットフォームCiNiiのpdfトラブルについて

愛用の論文検索プラットフォームCiNii(国立情報学研究所)で問題が起こっているらしい。

検索機能は問題ないが、これまでリンクされていた電子化論文(pdf)が見れない(リンクがなくなった)ものが続出している模様である。

以下、Buzzfeedの記事(1)から引用する。

論文をPDF化するために1997年から始まった電子図書館事業 「NII-ELS」が、2017年3月末で終了したためだ。

「NII-ELS」の終了は、国が論文電子化を新たなプラットフォーム「J-STAGE」に一本化する方針を打ち出したことを受けたもの。運営元の国立情報学研究所によると、これまで「NII-ELS」で公開された論文は430万件にのぼるという。

PDFの提供停止はもともと決められたスケジュールに沿った措置だが、移行作業が終了していない学会などの多数の論文が入手できない状況になっている。

引用終わり

CiNiiのサイトでも、ひっそりとお知らせが出ていた。

電子図書館事業(NII-ELS)の終了に伴い、発行元学協会との協力の下で他の論文公開サービスへのコンテンツの移行を進めております。移行済みの論文はCiNii Articlesにおいて論文PDFファイルのダウンロード先のリンクが表示されますが、現在移行作業中の論文についてはダウンロードを行うことができません。最新の移行状況については以下の情報をご参照ください。

引用終わり

一本化は結構なことだが、なんか移行がうまくいかないまま、あとは我々の領域じゃないから知らんもんね、みたいな「お役所仕事」の感じが拭えない。

混乱を受けての記事(1)の国立情報学研究所のコメントも、なんか他人事で、当事者意識が感じられない。

改めて、学術研究においてCiNiiが果たしている役割の重要さを痛感しています

引用終わり

みんなから怒られて、「アタシって実はみんなから頼られていたの?」みたいな感じで初めて自分の役割に目覚めた感がある。ひょっとして、今まで報われない仕事してたのかなあと勘ぐりたくなる。

J-STAGEにプラットフォームを一本化すると言うが、検索性もJ-STAGEとCiNiiは微妙に操作性が違っていて、使い分けて行くのかと思っていた(CiNiiに移行されれば結果そうなりそうだけど)。

CiNiiは著者検索があって、例えばビタミンB1の発見者「鈴木梅太郎」と入れると、

こんな感じで1920年代の論文がざっと出る。右側には著者間の関連もつけてくれる。

  • 理研酒に就て (1927)
  • う゛いたみん説ノ發達ト榮養學説ノ變遷 (1926)

なんて論文があって(しかも縦書きもある)なかなか味わい深かった。

また日本物理学会講演概要集などもあり、いわゆるトンデモ系の予稿が検索できたりして、これもなかなか面白いものだった。

J-STAGEは一つの雑誌を年代ごとに追いかける(図書館の閉架棚で文献を探すイメージ)感じがあった。こちらは「応用物理」が1号から電子化されていて日本の科学技術の進歩を戦後から追いかけることができて味わい深い。

ただ気になるのは、最近J-STAGEが異様に重かったり、謎の緊急メンテナンスをしていたりして、この界隈、なんか不穏なムードを感じる。

全く根拠はないが、予算が大幅に削られたのだろうか?

ということで、早期の事態収拾を祈念いたします。

参考記事

面白い科学①

面白い科学②

追記:4月10日で続報が。

本年4月10日より、学協会との調整が必要な論文を除き、ダウンロード機能を含む従前通りのサービスを再開しました。

平成29年度(2017年度)以降にJ-STAGEへの移行作業が行われる予定の論文のうち、NII-ELSにおいて無料で公開されていた論文(181誌・約22万件)については、科学技術振興機構との協議の結果、経過措置として移行作業の完了時までCiNii Articlesからのダウンロード機能を提供します。なお、平成28年度(2016年度)中にJ-STAGEへ移行された論文(217誌・約89万件)については、CiNii Articles上でJ-STAGEへのリンクが表示されます。

また、発行終了あるいは発行元の解散等の理由により移行作業が行われない論文(309誌・約88万件)については、代替措置としてCiNii Articlesからのダウンロード機能を継続する予定でしたが、CiNii Articlesのシステム更新の遅れにより一時的に提供ができない状態となっていました。これらの論文についても、ダウンロード機能を再開しました。

とりあえず再開できた模様である。

 

 

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【炭鉱労働】上野英信と山本作兵衛を読んでブラック労働を考える【書評】

   この記事は、過重労働問題、特に現在日本で直面している労働の課題について相対化する意図はないことを冒頭で記しておきたい。

・上野英信『追われゆく坑夫たち』(岩波新書)
・山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録』(講談社+α文庫)

   を読んだ。

   肉体労働の極北とも言える「炭鉱労働」の実態を記録したもので、これが戦後、昭和の時代に日本で起こった現実であることに衝撃を受けた。

◆背景:

・近代化により、エネルギー源として石炭の需要が増加し、明治以降から日本の炭鉱産業の大規模化が始まった。九州や北海道などの800程度の炭鉱が存在し、そこに労働力が集まり始めた

・太平洋戦争後、朝鮮戦争(1950-1953)を背景に日本の炭鉱産業は最後のピークを迎える

・第3次エネルギー革命により石炭から石油への転換が起こった。これは日本では1960年代に当たる。ここから日本の石炭産業は衰退に向かう

参考記事:第三次エネルギー革命 wikipedia

   ここで描かれている”事実”(山本作兵衛は自身が8歳から炭坑労働をしている)は、わずか50年前の日本でありながら、ブラック労働に対する批判的視座のある現代から見ると信じられないようなものばかりである。

◆記載されている炭鉱労働の記録:

・炭鉱労働では労働者が生活全面を資本家に拘束される。前受金のように借金を抱えているケースが多く、経済的に支配されている。日用品なども炭鉱会社経営の店から、そこでしか使えない金券で購入するため、搾取が日常的に行われていた。また生産に必要な、ツルハシ、カンテラ、ダイナマイトなどの経費も全て労働者の負担だった。

・大手炭鉱から中小炭鉱まで階層的となっており、大手炭鉱より中小炭鉱の方が、労働環境も悪い。大手炭鉱では労働組合も(遅まきながら)組織されていたが、中小の炭鉱の組織化は遅れた。労働者は高齢になったり、病気になったり、自身の生産性が落ちていくと、より規模の小さく過酷な労働環境へ流れていく傾向にあった。

・炭鉱労働は、2人組で地中にある石炭の良質層をツルハシで崩し(前山)、それを地上まで運んでいく(後山)。1日1トン程度石炭を産出するノルマがある。狭く(腰を屈めなければダメな場所もある)、暑く(半裸で作業する)、危険な(落盤事故、ガス中毒、水没事故が起こる)労働環境だった。

・女性労働もあった(終戦後に女性の坑内労働は労働基準法の改正で禁止されたが)。夫婦や娘と父親で作業する場合もある。また女性はそれに加えて家庭の仕事もあった。

それにしても一番ひどかったのは、女坑夫であります。坑内に下がれば後山として、短い腰巻き一つになってスラ(掘った石炭を入れる台車;引用者注)を曳いたり、セナを担うたり、命がけの重労働です。まっくろになって家に帰れば、炊事、洗濯、乳飲み子の世話など主婦としての仕事が山ほど待ち構えています。男は昇坑するとすぐに汗と炭塵を洗いおとし、女房のいそがしさをよそに刺青をむきだして上がり酒。昔のヤマの人は誰もそれを当然のこととして怪しまず(略)山本. p.134

・炭鉱の休みは月 1日で、拘束時間は休憩なしで12時間以上になる。上記のノルマを達成するために早朝4時にダイナマイトを持って炭鉱に潜り、爆破している間に地上で食事をとり、再び潜って石炭掘りの作業を行うといった壮絶なエピソードがある(上野. p.118)。

・男性は刺青をしていることが多かったらしい。山本の著書でも多くそのような男性が描かれている。ただし、上野の著書では逆に大手の炭鉱では刺青をしていると採用不可だったらしく、それを隠すエピソードがある(上野.p.116)

・炭鉱労働者には、他の仕事ができないような物理的、心理的バイアスが存在する。上野の著書にも

おれたちのごと、何十年もアナのなかばっかりで働いてきたもんにゃ、地のうえの仕事はでけん。お天道さまがきつくてなあ。もぐらもちとおんなじで、やっぱり地の底がよか上野. p.33

   という聞き取りが収録されている。また、炭鉱労働者に対して、その他職業(農民)からの差別意識もあったようだ(上野. p.168)。

   まさに『カイジ』帝愛地下そのものである。

   こうした悲惨な労働環境にもかかわらず産業としての状況は好転せず、むしろ悪化の一途を辿る。石炭産業は最終的に崩壊し日本の炭鉱はほぼ全て閉山する。一つの産業が消滅に至る全面退潮の中で、彼ら炭鉱労働者は追われていく。

   確かに我々の親の世代、すなわち手の届く記憶の範囲に存在したはずのこれらの事実が、歴史の中で断絶と変転を繰り返した結果として、現実性そのものが希薄化されてしまっているようだ。何かフィクションのような感じすら受けてしまう。

   実際には、形を変えているものの本質として全く同様の労働問題として顕在化し、解決する視座を探しあぐねている混乱状態が、現時点の我々を取り巻く状況であるともいえる。

   これらの著書で大量に記録されている(上野の著書では、当時の岩波書店でもフィクションと思われたほどの)壮絶なエピソードを読んだ率直な第一印象は、”どうしてそんなに過酷な労働をやるのだろうか?他の仕事に変われば良いのに。逃げればいいのに”であった。

   しかし、それは肉体的・精神的全て、全生活そのものを頸木(くびき)に繋がれている労働者にとっては、その問いの意味自体に意味がないことが、次第に理解されてくる。

   単純に、逃げれば良いことはわかっているのである。

肉体的には限界がきている。生活も限界がきている。それでも逃げられないのである。むしろ逃げた結果が、このどん詰まりなのである。生存のどん詰まりで、もはや逃げることもできない、究極の境界がそこにある。我々はそうした状況を他者に対して作り出すことができ、今も作り出している。

   そうした息遣いまで理解できる生活感、リアリティが、これらの著書には詰まっている。

   この労働者の頸木(くびき)は、労働の形は変えても、炭鉱労働の頃から現代でも変わってはいないと思っている。上部構造の部分だからだ。その解放をいかにして達成すべきか、答えは出ていない。

   地の底からの視線はまだ我々を見つめ続けている。

関連記事:【炭鉱労働】あまりにも過酷な労働と記憶の遺産【書評】

参考:山本作兵衛 炭坑記録画 ユネスコ世界遺産登録

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「俺、あの人知っていたっけ?」とこっそり言われた場合の対応

先日、以下のようなメールをもらった。

(概要)
 From: X社長 To: 私
 Aさんって何の仕事で一緒になったんだっけ?

これを私に送ってきた人間を仮にX社長とする。社長とした方が関係がわかりやすいので、そう表現しただけで実際とは異なる。

経緯はこうだ。

Aさんと私は一緒に仕事をしている。その際に、共通の知人であるX社長とも新たに一緒に仕事をすることが決まった。

そこでAさんは、To:X社長 CC:私で、メールを書いた。

(概要)
 From:Aさん To:X社長 CC:私
 X社長、以前お世話になったAです。(以下当時の仕事の話)
 今回仕事をまたお願いするので、よろしくお願いします。

という内容である。

これに対するX社長の返信がないので確かに「あれ?」とは思った。
あたり触りのない内容なので、「どうもどうも」と返せば良いのに。偉いんだから。

どうやらX社長は全くAさんの記憶がないらしい。しかし、Aさんは明らかに X社長を知っている。こちらとしては社交辞令で返せばいいじゃん、と思うのだが意外に義理堅く、裏で私に記憶を呼び起こす手助けを要請してきたのである。

仕方がないので少しヒントとなるであろう内容を送った。ただし3人が同時に仕事をしていた訳ではなく、別々の関係(AさんーX社長、私ーX社長)なのでこちらも限界がある。

するといよいよ困ったのかX社長から、以下のようなメールがきた。

 (概要)
 From:X社長 To:私
 全く思い出せない。どんな感じの人?

”こんな人です”って文章で書けるかっつーの。せいぜい年齢とメガネの有無と髪型くらいだが、人の顔のイメージを文章で表現できるほど、文章はうまくない。いっそペイントで似顔絵を、とも思ったが、それだって絵心の問題がある。人と多く会う立場で、こんな感じで向こうは知っているけど、こっちは知らないというパターンはこれが初めてじゃないんだから、なんとかしてくれ、と思いつつ、「これが限界です」を添えて情報を渡し、この不毛なやりとりは、ほぼ強制終了となった。

最後までわからなかったらしい。

ただ、実は私は解決策を持っていた。しかし使えなかった(使わなかった)のである。

何故か。蛭子能収にそっくりなのである。

だけど、それは紹介に名を借りた悪口になってしまう

いや、じゃあお前は蛭子さんに例えることを悪口と思っているのか?と言われると即答はできない。

でも、仮に草刈正雄に似ている場合には、おそらく私はメールで即レスできた。「草刈正雄似です」と。

ジャイアント白田の場合にはどうか。1秒悩むが、「大食いで有名なジャイアント白田に似ています」と書けると思う。

ところが「蛭子能収に似ています」と素直に書けなかった理由は何か。・・・・まあ、それを掘り下げても詮無いことであろう。妥協を許さず書くべきか、どちらが正解なのか未だに回答はない。

そして蛭子さん、すいません。

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